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STAP細胞 法と倫理(21) 研究記録の不存在、告発(者)について

小林論文の検討(6)

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今回は、日本の研究不正規律の検討の後半で、「研究記録の不存在に関する論点」と「告発、告発者に関する論点」の検討であるが、前者を中心にみていく。次回は、私の考えを述べたいと思う。

 

4 研究記録の不存在に関する論点

(1) 研究記録の不存在の扱い

(2)「みなし規定」の由来

(1)(2)については、ごく簡単にみておこう。

研究不正の認定において、「研究記録の不存在」は、どのように扱われているか。

文科省2006 指針では、研究記録について、二つの側面から規定されている。

第1 は、研究記録の不存在は「不正行為とみなされる」という規定である。みなし規定により、研究記録の不存在は原則として反証を許さない証拠となる。

 指針原文は;

(不正行為の疑惑への説明責任)被告発者が、生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬等の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により証拠を示せない場合は、不正行為とみなされる。

(不正行為か否かの認定)被告発者の説明及びその他の証拠によって、不正行為であるとの疑いが覆されないときは、不正行為と認定される。また、被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないときも同様とする。

 研究記録の保管については;

第2 は、研究記録の作成や保管を、厳密に言えば研究不正規律そのものではなく、いわば「研究者の行動規範」の中に、研究者が守るべき作法として位置付けることを要請する規定である。

指針原文は;

実験・観察ノート等の記録媒体の作成・保管や実験試料・試薬の保存等、研究活動に関して守るべき作法について、研究者や学生への徹底を図ることやそれらの保存期間を定めることが求められる。

小林はこう述べている。

研究記録の不存在がなぜ研究不正とみなせるのか、という根本的な疑問が残る。…文科省2006 指針を読むと、研究者は「作法としての研究記録」の原則を遵守すべきであり、それを守らないのであれば「研究不正とみなされてもやむをえない」という論理が浮かび上がる。委員会が盛んに「作法としての研究記録」についてこだわったのも、それを「みなし規定」の根拠としたかったからだろうと思われる。

 

(3) 研究記録の不存在はなぜ証拠となるのか

ⅰ 研究不正認定の規範論アプローチ

ⅱ 研究不正認定の手続論アプローチ

ⅲ 日本の研究不正認定の問題点

 

ⅰ 研究不正認定の規範論アプローチ

「作法としての研究記録」の規定を守らないことは、研究者倫理又は研究者の行動規範に背馳する行為であるから、研究記録の不存在を研究不正と「みなす」という論理は、一定の自律性を有する研究者コミュニティにおいては十分に成立する論理である。研究機関や大学は、研究者の自律的コミュニティとしての性格を有しているから、このような規範的な論理によって研究不正の認定を自律的に行うことが可能である。

実は、多比良・川崎データ捏造事件において、理研産総研が採用した研究不正認定の考え方はこの論理に基づいている。研究不正を直接証明できない場合でも、研究所の研究者コミュニティが自ら定めた行動規範や憲章、宣言など、研究者コミュニティとしての性格を有する研究所が自律的に定めた規範に背馳する行為があれば、研究者コミュニティの成員としての責任を果たしていないことになり、処罰の対象となりうる。研究記録がないことで研究不正の疑いを晴らせないのは、そもそも行動規範に反しているのであり、そのことにより研究不正を強く推定されても、原則として反証は許されない、という論理である。これが「みなし規定」につながる。

小林は、「みなす」という論理が一定の自律性を有する研究者コミュニティにおいては十分に成立すると述べているが、この点については疑問がある。(次回に私見を述べます)

ただし、このような研究者倫理もしくは行動規範に基づく論理は、研究者コミュニティの内部で成立する論理であり、そのような行動規範が制定されていない機関では、この論理を適用することができない。そこで、文科省2006 指針は、ガイドラインの枠外であるが、行動規範や研究記録の保存に関する規則の制定を要請しているわけである。つまり、研究記録の保存に関する行動規範と研究不正の認定手続における「みなし規定」を定める規程は、両者が揃うことで効力を発することになる。これを「研究不正認定の規範論アプローチ」と呼ぼう。

文科省と研究者コミュニティとの関連が明快ではない。

ⅱ 研究不正認定の手続論アプローチ

研究不正認定の規範論アプローチには弱点がある。故意性の認定の根拠が明確にならない点である。日本の研究不正規律の多くは、故意性の認定について明確な基準を定めていない。あくまでも調査委員会の自由心証に委ねるという考え方である。さらに、各機関が行動規範や研究者の倫理規程をどう作るかによっても、研究不正の認定結果が違ってくる可能性がある。研究分野や機関の特性に配慮することは必要だが、それによって公平性を失うリスクも受け入れなければならない。

指摘の通り、これは大きな問題だと思う。故意か過失かも明確に判定できずに、どのような処罰がくだせるというのだろうか。調査委員会の自由心証(勝手な判断)で、公平性を保てるのだろうか。

本稿上編で述べたように、米国では[科学技術政策局]OSTP2000連邦規律以降は、研究記録の不存在は研究不正の定義に当てはまることを理由に研究不正として認定され、しかも故意性の認定の根拠にもなる。研究者倫理や行動規範に頼る必要のない、単純明快な論理である。これを「研究不正認定の手続論アプローチ」と呼ぼう。この論理は[公衆衛生庁]PHS2005 規律の制定時に、明確に解説されていたので、文科省2006 指針の検討に際して、この解説を参照することは可能であったと思われるが、議事要旨を見る限り参照した気配はない。文科省2006 指針の検討に際して、PHS2005規律を参照しなかったのか、参照してもその枠組みをあえて選択しなかったのかは、議事要旨等の資料からは判明しない。一方で、日本の文科省2006 指針に準拠した研究不正規律に、米国流の枠組みを単純に適用することができないことも明白である。なぜならば、研究不正の定義そのものが異なるからである。…文科省2006 指針の研究不正の定義では、研究成果の発表段階における捏造・改ざん・盗用を研究不正としているのであり、研究実施中の研究記録の改変や省略は、改ざんではあっても研究不正ではないのである。

ⅲ 日本の研究不正認定の問題点

日米で研究不正の定義が大きく異なっている結果、研究不正の証明方法も異なってくる。日本の多くの研究不正規律の下では、研究記録の不存在そのものは研究不正ではないし、研究不正であることの合理的根拠もない。そこで根拠とされるのが、研究者倫理や行動規範であり、研究不正認定の規範論アプローチである。研究不正の認定が、研究者の倫理観や行動規範に左右されることは研究不正認定の公平性を欠く結果となりうる。それだけでなく、部外者も固有の倫理観に基づいて研究不正認定のあり方を批判できることになるから、事案によっては研究不正の認定が批判の嵐を呼び、収拾がつかなくなる可能性もある。

日本の研究不正規律では、研究記録の不存在は多くの場合、「みなし規定」により、研究不正の認定が可能になり、何も根拠がない場合に比べると、迅速で明白な研究不正調査、認定を可能にする。「みなし規定」はこの点で優れた「知恵」だが、それを成立させる根拠は研究者の倫理観である。それ自体は理想主義的であり、決して悪いことではないが、倫理観次第で研究不正認定の足元をすくわれる危険性を内包したものであることを自覚しなければならない。

研究不正認定の公平性を欠いてはならない。それは「研究記録の不存在」だけの話ではないだろう。次回に述べる。

 文科省2006 指針の策定時の議事概要で頻繁にみられるのは、良心的な研究者を不当にも研究不正を疑われる事態の頻発からいかにして守るかという観点である。このことが、研究不正を発表された研究成果の中の捏造・改ざん・盗用に限定することや、後述するように研究不正の告発を抑制することなど、ある意味では過剰防衛的な研究不正規律の構築につながった。こうした防衛的姿勢が研究不正認定の規範論アプローチに結びついている面もある。研究不正規律に防衛的な姿勢が本当に必要であったのかは多分に疑問がある。もっとも、机上の論理だけで研究不正規律を改正しても、研究者コミュニティに受容されなければ実効性はない。日本でも、2005年以来、研究不正の調査や認定の経験を積んできた。あるいは、文科省2014 指針案ではフォローアップも予定されている。そのような分析を通じて、エビデンスに基づく、説得力のある研究不正規律の見直しが、今後の課題となろう

当然、過剰防衛的な研究不正規律であってはならない。不正を見逃すことになる。なお最後のほうにある「エビデンス」が何を意味するのかよくわからない。

 

(4) 文科省2014 指針案における研究記録保存義務の論理

小林論文:ⅰ研究記録の保存の位置付け、ⅱ「ガイドライン」化の意味するもの …省略。

文科省2014 指針は、第2節 不正行為の事前防止のための取組 1 不正行為を抑止する環境整備 (2)研究機関における一定期間の研究データの保存・開示 において、次のように述べている。

故意による研究データの破棄や不適切な管理による紛失は、責任ある研究行為とは言えず、決して許されない。研究データを一定期間保存し、適切に管理、開示することにより、研究成果の第三者による検証可能性を確保することは、不正行為の抑止や、研究者が万一不正行為の疑いを受けた場合にその自己防衛に資することのみならず、研究成果を広く科学コミュニティの間で共有する上でも有益である。このことから、研究機関において、研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける旨の規程を設け、その適切かつ実効的な運用を行うことが必要である。なお、保存又は開示するべき研究データの具体的な内容やその期間、方法、開示する相手先については、データの性質や研究分野の特性等を踏まえることが適切である。

小林は、ⅲ「ガイドライン」化の問題点を、次のように述べている。

これは、研究者コミュニティの自律性へ行政が干渉することを意味する。もちろん、機関の研究活動のほとんどが国民の税金によって賄われている現実や生命倫理等の問題を考えれば、「学問の自由」の原則を単純に適用して、行政による介入を否定することは現実的でない。しかし、学問の自由が憲法で保障されている以上、研究者コミュニティの自律性の領分に行政が踏み込むことについては謙虚さが必要である。また、同じ効力を別の論理で実現できるのならば、安易に規範論を根拠とすることは好ましくない。米国連邦機関の研究不正規律の枠組みを導入すれば、研究不正の定義などを変更する必要があるとはいえ、研究不正認定の手続論アプローチで研究記録保存義務を合理化することは十分に可能であり、あえて研究者コミュニティの自律性の領分に行政が介入する必要性はない文科省2006 指針の検討の時代とは異なり、今日我々は米国の研究不正規律の枠組みを十分に参照できる。ほかに選択肢があるのに、あえて研究者コミュニティの自律性の領分に行政が踏み込む形にルールを変更するのであれば、その根拠や正当性を丁寧に説明する方がよいだろう。

「研究者コミュニティの自律性の領分に行政が踏み込む」という言い方には違和感がある。研究機関(大学)は治外法権ではない。「研究者コミュニティの自律性」については、次回に私見を述べたいと思う。

 

(5) 研究記録の保存期間と告発の期限

小林論文:ⅰ日本における保存期間の規定、ⅱ米国PHS2005 規律との比較から見える課題、ⅲ保存期間の例外について、ⅳ文科・厚労2014 指針案の問題…詳細は省略

米国の[公衆衛生庁]PHS2005 規律は告発の期限を明確に6 年と規定している。機関の裁量に委ねるのではなく、原則を規定することで、機関間の公平性を確保しようとしている。これに対して日本の場合は、告発の期限の判定を研究分野の特性や調査委員会の自由心証に委ねている。すでに日本でも研究不正の認定の経験を積んできたので、このような枠組みで公平性を保証できるのか、検証する必要があろう。PHS2005 規律は、告発の期限の例外も明確に示している。すなわち、連続利用の例外、公衆の健康や安全に関する例外、要件適用免除の3 条件である。日本においても、このような例外を明示しなくてよいのか、検討の余地がある。

 

5 告発、告発者に関する論点

(1) 現状と特徴

(2) 告発、告発者をめぐって

顕名による告発に対して極めて厳しい条件を課すことを要求する規定は本当に必要なのであろうか。第1 に、匿名の告発や報道や学会等の指摘を実質上受け付けている中で、顕名の告発にのみ極めて厳しい条件を課すことに実効性があるのか疑問である。第2 に、告発の段階で「不正行為を行ったとする研究者・グループ、不正行為の態様等、事案の内容」、「不正とする科学的合理的理由」を明示させるというのは、顕名の告発者に高い証明力の証拠を要求することになる。一方で、研究不正の本調査においては、機関には証明責任はなく、被告発者に証明責任を負わせている。これでは、告発者と被告発者が証拠をめぐって直接対峙し、調査委員会が裁定するという構図になってしまう。この構図は合理的なのだろうか。証明責任の分配を見直すか、もし現状の証明責任の分配が合理的であると考えるのであれば、その理由を丁寧に示すべきだろう。第3 は、現実的に、悪意のある告発をそこまで警戒する必要があるのか、という点である。公益通報者保護法が施行された後、内部通報、特に悪意に基づく内部通報が押し寄せたかと言うと、そのようなニュースは聞かない。また、消費者庁が実施した調査でも、内部通報をしたことのある者は非常に少ない。この経験に鑑みれば、研究不正に関しても告発者に対する厳しい制約は過剰に防衛的なのではないかという類推も成り立つ。本稿は直ちに防衛的な条件を廃止すべきだと主張するものではない。エビデンスに基づいて、実効性の観点から防衛的なルールが本当に必要なのかを検証することを期待したい。

 

各研究機関に、顕名・匿名の告発があった場合にこれをどう取り扱うに関して、「不正行為を行ったとする研究者・グループ、不正行為の態様等、事案の内容」、「不正とする科学的合理的理由」が示されているかどうかは、判断が分かれるところだろう。これを各研究機関に委ねていてはバラツキが出ると思う。

 

(続く)