気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

彼岸花 & 彼岸花星雲

まず彼岸花に関する基礎知識から、

あちこちで、彼岸花が咲いています。毎年見事にお彼岸の頃に咲くので、この花はまさに「秋分の目印」といえるでしょう。彼岸花はなんとも不思議な植物で、葉が茂るのはなぜか冬の間だけ。春には葉を枯らして、夏の間は地下茎の状態で過ごし、地上から完全に消えてしまいますが、秋口になると突然、にょきにょきと茎をのばして、赤い炎のような花をつけます。むかしから畦道や土手、お墓の近くに咲いていることから、地獄花、幽霊花などの異名もありますが、あえてそのような場所に植えられたのは、強く張る根茎で土壌を強化し、球根には毒性があるため、ネズミやモグラの侵入を防ぐ意味合いがあったようです。別名の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、サンスクリット語で「天上の花」の意。おめでたいことが起こる兆しに天から降ってくるという仏教経典から名づけられています。いずれにしても、この世のものではないような摩訶不思議な妖気を感じる花です。開花期は十日余りと短く、この花が枯れるころには急に肌寒くなり、本格的な秋がやってきます。

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http://ameblo.jp/educa-zidoubungaku/image-11370801598-12218095415.html

 

此岸と彼岸

此岸(しがん)とは、欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人(凡人)の世界。彼岸とは、欲望や執着にわずらわされることなく、心のやすらぎを得た人(聖人)の世界。と理解しておきましょう。

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こちら側の岸が此岸、川を渡って向こう側の岸が彼岸です。こちらが住みにくい世界であれば、向こう側に行ってやすらぎを得たいと思うでしょう。ところが、そう簡単には向こう側に渡ることができない。そこで気持ちを切り替えることがすすめられる。彼岸はこの世界にはなく、あの世にある。そこに至るためには、体を使って(行動を起こして)川を渡る必要はなく、「こころ」で渡ればよい。そのような「こころ」は、修行や信仰で得ることができる。…私は、これが宗教の中核ではないかと思っています。それが現に悩み苦しんでいる人を救っている面を否定できないでしょう。しかし私にはそれは一つの解決法に過ぎないと思われます。

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欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人とは、お金権力名誉に価値をおく人のことでしょう。「私はお金がありませんので、そんな高価なドレスは買えません」、「私はこの年でいまもヒラ社員です」、「私には技能がなく、とても代表選手になれません」といって卑下する人は、お金や権力や名誉に価値をおく人です。「あなたにいまお金がないなら、どうしたらお金を得られるか、そのためにはいま何をすべきか、を考え行動すべきです」、「あなたが何故ヒラ社員なのか考えたことはありますか。コミュニケーションに問題はないですか。最新の知識・技術を取り入れ自己啓発に取り組んでいますか」、「あなたは自分に技能がないと決めつけていませんか。どれだけ練習したのですか。どんな練習をすれば効果的か考えていますか」と鼓舞し、激励し、努力を強調する人は、お金や権力や名誉に価値をおく人です。

私たちの日常生活は、この「お金、権力、名誉」の価値に大きく支配されているというのが、わたしの実感です。上の例に見たとおり、これが全面的に否定されるべき価値かどうかは微妙なところもありますが、深入りしないでおきましょう。…私はこのブログで、「YYJT」というタイトルでいくつかの曲目を紹介しています。YYJTとは、「優雅で、安らかで、上品で、知的」という意味の略語です。私は、この「優雅で、安らかで、上品で、知的」に価値をおいています。他に「笑いあう」、「頑張る」、「創造する」、「愛する」、「探究する」等々にも価値をおいています。(「仕事」をするということには、これらの価値を実現するという面もあります。)

 

今日の話は、「価値」を論ずることではなく、此岸と彼岸の話です。彼岸(理想の社会)を、私たちが現に住んでいるこの世界にないものとして、「あの世」に追いやり、「こころ」の持ち方を切り替えることが大事なのだいう論法が妥当なものであるのかどうかということです。これは宗教だけの話ではなく、いろいろなところで聞かれる話でもあります。「こころ」の持ち方を切り替える、世界の見方を変えるというのも、一つの回答ではあるでしょうが、果たしてどうなのでしょうか。それで、「お金、権力、名誉」に狂奔する世界が変わるでしょうか

私は「ものの考え方」として、彼岸と此岸の間に横たわる川をいかにして渡ることができるか(いかに理想の社会と現実の社会との差異を少なくし、理想に近づけることができるか、具体的にどうすれば良いのか)を考え、実行に移すことが最も重要なことだと考えています。

理想と現実の差異は「問題」と呼ばれますが、この「問題」を把握するには、まずもって「理想」と「現実」をしっかりと把握しなければならない。このような「問題意識」の欠如、これが問題なのかもしれない。不明確な「理想」、お粗末な「現実」把握、独りよがりの楽観、自分(とその家族)が良ければそれで良しとする「利己主義」…。合意を得るための手続きの問題、デモクラシーの幻想…。思考の枠組みとしての国家の呪縛…。

 

彼岸花星雲

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http://stardust.saturn-web.net/gallery/deme.html

 

空を見上げてみましょう。

さそり座の尾の近くにある散光星雲 NGC6357(上)とNGC6334(下)です。NGC6357はその形から彼岸花、NGC6334は出目金とか猫の手とか呼ばれています。まさにそのまま、そっくりですね!

関東近辺から見た場合には南の低い所にある為、空が暗くきれいな所でないとなかなかきれいに写ってくれません。(http://stardust.saturn-web.net/gallery/deme.html

もう1枚の写真を掲載します。

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上の写真のどこに、「さそり」や「彼岸花」を見ることができるでしょうか。それを最初に見つけ、名づけた人はすばらしい。「NGC6357」と呼ばずに、「彼岸花星雲」という。そうなれば、話がはずむ。

ここでは、「名付ける」ということについて、すこし考えてみたいと思います。無数にある星の一群に名前をつければ話が通じやすい。いちいち指し示さなくても話ができる。名前の効用である。しかし同時にマイナス面もある。その星の一群をみたときに、これは「さそり」だと決めつける。「さそり」以外の可能性を考えなくなる。だけどこれは「さそり」というよりは、「紙縒虫(こよりむし)」と呼んだほうが適切ではないか。というような話に耳を傾けようとしない。観念が固定化してしまう。そして「奴は、こより派だ。」と、やたら対立したがる。私は、これは妄想性障害の一種ではないかと考えている。「自分は常に正しい!」。自信家(断定的にものを言う)とは、妄想性障害者なのではないかと思ったりする。

 

さそり座や彼岸花星雲がどこにあるか興味のある方は、http://plaza.rakuten.co.jp/aabckenfuji/diary/201305230000/  を参照してください。

 

曼珠沙華

彼岸花は、曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)とも呼ばれます。サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味だそうです。

 

www.youtube.com

山口百恵がオリジナルかもしれませんが、門倉有希も良いですね。

彼岸花花言葉は、「悲しい思い出、想うはあなた一人、また会う日を楽しみに」だそうです。