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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

「神の存在」という幻想(2) 神秘体験(宗教)は、精神疾患である?

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(13)

神秘体験(スピリチュアル/宗教体験)は病気(精神疾患)なのかどうかに関して、ラマチャンドランは、神経科学者として興味深い議論をしている。

大脳辺縁系のなかを神経インパルスの衝撃が大量かつ頻繁に通過すると、ある回路が永久的に「促進」されるか、あるいは大雨の水が丘陵をどっと流れ、新しい小川や溝や水路をつくるように、新しいルートが開かれるのかもしれない。このキンドリングと呼ばれる現象が、患者の内的な感情のあり方を永久的に変化させる――そしてときには豊かにする――のかもしれない。

こうした変化は、一部の神経科医が「側頭葉人格」と呼んでいるものを生み出す。患者は情動が強まり、ささいな出来事に宇宙的な意味を見出す。彼らはユーモアに欠け、ひどく尊大で、毎日の出来事をことこまかに日記に記録しつづける傾向(過書字と呼ばれる特徴)があるとされている。患者たちはときおり私に、神秘的なシンボルや記号でいっぱいの何百頁にもおよぶ書き物をくれる。患者の一部は、理屈っぽくて細かいことにうるさく、自分本位である(もっとも科学者仲間の多くにくらべればまだましだが)。そして哲学的、神学的な問題にとりつかれたように没頭する

「理屈っぽくて、細かいことにうるさく、自分本位である」ことは、神秘家のみならず、似非科学者(似非評論家)の特徴である。やたら屁理屈をこね、些細などうでもよいことに拘り、自分は間違うはずがないと自信満々に主張する者に接すると、私は一体どうしたものかとおおいに悩む。

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「メルクマニュアル医学百科 家庭版」は、「側頭葉の損傷」について、次のように述べている。

右の側頭葉が損傷を受けると、音や形の記憶が障害される傾向があります。言語が左半球優位である人が左の側頭葉に損傷を受けた場合は、言葉の記憶や言語の理解能力が著しく低下することがあり、これはウェルニッケ失語症(受容性失語)と呼ばれます。ときとして、側頭葉の一部が損傷を受けると、ユーモアがなくなる、狂信的になる、性欲がなくなるなど、人格の変化が生じることがあります

 

ラマチャンドランは、ポールというてんかん患者を診察した。

ポールは、自分の考えに夢中で、信者としての尊大さは持っていたが、深い宗教心の謙虚さはまるでなかった。…彼は歓喜を覚え、ほかのものは何もかも色あせた。歓喜の中で神をはっきりと感知した――カテゴリーも境界もなく、創造主との一体感だけがあった。彼はこの話を細部まで念入りに、とてもしつこく説明した。…翌日ポールは私の研究室に、派手な装飾の緑色の表紙を付けた膨大な量の原稿を持ってやってきた。彼が数か月前から取り組んでいる課題である。それには哲学や神秘主義や宗教に対する彼の見解、三位一体の神の本質、ダビデの星の図、霊的な題材を描いた精緻な絵、一風変わった神秘的なシンボルや図などが並んでいた。…ポールがフラッシュバックの話をしているときに「あなたは神を信じていますか」とふいに問いかけてみた。彼は当惑したような様子で「だって、ほかに何があるんです?」と言った。

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ポールのような患者は、なぜ宗教的な体験をするかに関して、ラマチャンドランは4つの可能性をあげている。

第1の可能性は「神が本当に彼らを訪れている」というもの。

もしこれが事実なら、それはそれでいい。神の無限の叡智にだれが疑問をさしはさめるだろう。残念だがこの可能性は、実験的に証明したり除外したりはできない。

これは科学者としては良心的な態度だろう。実験的に証明できないからと言って、この可能性を排除していない。しかし、ラマチャンドランがこのように言うとき、彼には「神」がどのようなものであるかについての一定の観念があると思われる。私にはそれがどのようなものであるかよく分からないので、実験的に証明できないと言われても、本当に?と疑問に思ってしまう。

 

第2の可能性は、「ありとあらゆる奇妙で不可解な感情の体験に対処するために、宗教的な静謐という、穏やかな沐浴を求める」というもの。

こうした患者は、まるで大釜が煮えたぎるように、ありとあらゆる奇妙で不可解な感情を体験するので、唯一の頼みの綱として宗教的な静謐という、穏やかな沐浴を求める。

精神安定剤としての宗教という考えは、かなり説得力あるように思える。免疫力が弱い子どもや老人(精神年齢)には、「ありとあらゆる奇妙で不可解な感情」が押し寄せてきても抵抗できるように宗教という精神安定剤を処方しようということになるのだろうか。

ラマチャンドランは次のような説明も検討している。

ごたまぜの感情が別の世界からの神秘的なメッセージとして、誤って解釈されるのかもしれない。

しかし、この説明はありそうもないとして、退けられる。

前頭葉シンドローム精神分裂病躁鬱病、それに単なる抑鬱などの神経および精神障害でも感情が混乱するが、こうした患者がこれほど宗教に心を奪われるケースはめったにない。…精神分裂病患者には、側頭葉てんかん患者のような強い熱情や、強迫観念めいた形は見られない。したがって、没我的な信心を、感情の変動だけで説明することはできない。

 

第3の可能性は、「キンドリング現象」によるというもの。

世界の不確かさに対処するには、辺縁系の他の部位や海馬にメッセージを送って闘争か逃走かに備える指令を出す前に、事象の顕著な特徴を何らかの方法で評価する必要がある。ところが辺縁系に発作が起こり、そこから出た偽のシグナルがこれらの経路を流れるとキンドリングが起こる。「顕著な特徴」の経路が増強され、脳組織どうしのコミュニケーションが増加する。人や事象を見たり、声や音を聞く感覚領域は、情動中枢とより密接に結合するようになる。その結果は? 顕著なものだけでなく、あらゆる物体と事象に深い意味がふきこまれ、患者は「一粒の砂の中に宇宙を」見たり、「自分の掌の中に無限を」つかんだりする。そして宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸へと運ばれていく。

キンドリングにより、「宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸へと運ばれていく」のならば、意図的に辺縁系に刺激を与えたくなるのではないか。…あなたは、「経験機械」につながれたいですか?(2015/2/20)で紹介したハッピーサプリが思い浮かぶ。

ラマチャンドランは、この可能性を実験的に検証した。その結果は?(次回に紹介)

 

第4の可能性は、「人間は、宗教的経験を伝達することを唯一の目的とする、特別な神経回路を進化させてきた」というもの。

超自然的な存在を信じる傾向が世界中のあらゆる社会にあまりに広く見られる。…生物学的な基盤があるとするなら、鍵となる疑問「どんな種類の選択圧がそのような機構を引き起こすのか」に答えなくてはならない。もしそのような機構があるとしたら、主として信仰や霊的な学習に関与する遺伝子あるいは遺伝子グループがあるのだろうか? 無神論者は、この遺伝子を持っていないか、これを出し抜くコツを習得しているのだろうか(これは冗談)。

この種の議論は進化心理学社会生物学)の分野で行われているそうで、興味深いものがあるが、ここではラマチャンドランの話を聞くにとどめよう。

進化心理学の中心的な教義によれば、人間の特性や性向の多くは、ふつう「文化」によるとされがちなものでさえ、実は、適応的な価値を持っているので自然選択に導かれて特異的に選ばれてきた。…他方、こうした「進化心理学」の理論がいきすぎないように注意する必要がある。ある特性が普遍的に見られても、それだけではその特性が遺伝的に規定されているとは言えない。

では、進化心理学宗教の起源をどのように説明するのか。

宗教(あるいは神や霊性を信じること)は、文化が主たる役割を果たしている料理に似ているのか。それとも強い遺伝的基盤を持っていると思われる一夫多妻婚のほうに似ているのか。

一つの可能性として、権威ある象徴を求める人類普遍の傾向が遵奉的な特性を促進し、同じ遺伝子を共有する社会集団(血縁集団)の安定性に寄与するのではないかと考えられる。したがって遵奉的特性の育成を促進する遺伝子は、繁栄し増加する。そしてこれを持たない人は社会的に逸脱した行動をとるために排斥され処罰される。…宗教遵奉の「遺伝子」を信じるかどうかに関わらず、側頭葉の特定の部位がこのような宗教的経験に、他のどの部位よりも直接的な役割を果たしていることは明らかである。

「宗教遵奉の遺伝子」は、誰かがまじめにその存在を証明しようとしているのだろうか。「権威ある象徴を求める性向」の遺伝子といったら、どうだろうか。もう少しブレークダウンしたら実験可能になるかもしれない。

患者にとってはどんな変化も本物で、ときには望ましくさえあり、医師には、人格に秘儀的な色合いがあることの価値を判断する権利はない。神秘的体験を正常であるとか異常であるとかを、誰がどんな根拠で決められるだろうか。「変わった」ことや「稀な」ことを異常と同等にみなす傾向が一般にあるが、これは論理的に間違っている。天才は稀だが非常に価値の高い特性であり、虫歯はごく普通にあるが、あきらかに望ましくない。

心に留めて欲しいのは、(側頭葉が宗教に関係しているという)まったく同じ証拠が、使いようによっては神の存在に対する反証ではなく、神の存在を支持する証拠にもなるということだ。例えば、大半の動物は色覚に関するレセプターや神経機構を持っていない。特権的な少数者だけが持っているのだが、だからと言って色が実在しないという結論になるだろうか? ならないのは明らかだが、ではなぜ同じ論法が神には適用されないのか。もしかすると、「選ばれた」人たちだけが、神の存在を知るのに必要な神経結合を持っているかもしれないではないか。

人格神を想定していると、全くナンセンスなことを議論していると思われるかもしれないが、次のような汎神論を考慮に入れて、もう一度ラマチャンドランの記述を読み返してみるのも面白いかもしれない。

汎神論存在するものの総体(世界・宇宙・自然)は一に帰着し、かつこの一者はであるとする思想をいう。「一にして全(ヘン・カイ・パン)」「梵我一如(ぼんがいちにょ)」「神即自然」などが標語として用いられる。世界そのものが神であるとするから、有神論のように世界の外にある神と被造的世界との絶対的対立を認めず、すべてのものは神の現象であり、あるいは神を内に含むとする点で、創造以後は神は被造物に干渉しないとする理神論と異なる。神を世界を統一する普遍的原理、法則性として考える点で合理的側面をもつが、その反面で自我の神への帰入、主観と客観との絶対的合一を説いて神秘主義に至りやすい。神と世界とについて明確な概念が形成された後で登場するのが普通である。ウパニシャッド古代ギリシアの一部に最初にみられる。西欧近世以降のブルーノ、スピノザドイツ観念論とその周辺の思想家たちの汎神論的思想は、宗教の非合理性を排して、近代自然科学と調和させようという意図で築かれたものである。[藤澤賢一郎/日本大百科全書(ニッポニカ)]