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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

ただそこに存在する (ジャレド・ダイアモンド)

読書ノート

吉成真由美『知の逆転』(1)

本書は、世界の叡智:ジャレド・ダイアモンドノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソンに対する吉成のインタビュー集です。

吉成は「まえがき」で、こう言っています。

生きていくこと自体がその人独自のアートなのだろう。もって生まれた遺伝子と、環境すなわち出会いがそのアートをつむいでいく。人によって絵葉書のようであったり、大絵巻のようであったりして、それぞれに趣があり味わいがあり、長ければ長いほど良しというものにもあらず。

本ブログでのこれまでの読書ノートは「精読」ですが、本書については、私の気になった部分のみをピックアップしていくことにします。第1回目は、著書『銃・病原菌・鉄』で有名なジャレド・ダイアモンドです。

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ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond、 1937-):進化生物学者、生理学者、生物地理学者、ノンフィクション作家

アフリカが最も貧しい大陸であるのは、それ全体がほぼ熱帯気候であるからで、熱帯地方には、公衆衛生上の問題や、マラリア、黄熱病といった病気、土地が不毛であることなど、いくつもの大きな問題があります。…現時点でも、地理的な要素こそが、アフリカが貧困である大きな理由を占めているのです。

そのような地域に生まれ育った者が、移住の可能性が小さいならば、貧困から抜け出すことは難しいだろう。人は生れたときから、不平等であるということか。

 

例えば中国は実質上独裁政権と言っていいでしょう。中国の指導者たちは、ガソリンから鉛を除去するといった、素晴らしい決断を下しています。中国の指導者が決めたら、1年の内に中国ではガソリンから鉛が取り除かれた。アメリカでは10年も議論してからやっとそうなったわけで、これは独裁政権の有利なところです。

これは、必ずしも有利とは考えられない。アメリカで10年間議論したということは、メリット・デメリットがあるわけで、どういう基準で決定したかが重要だ。10年が長いか短いか判断は分かれる。拙速ということもある。

 

個人の優れた判断力というのは、健全な民主主義のための必須条件ではないですね。なぜなら優れた判断そのものが、そうそうあるものではないから。おそらくウィンストン・チャーチルの答えが、この場合最も適切だと思います。誰かが、民主主義のさまざまな問題点をあげつらってから、チャーチルに民主主義をどう思うか聞いたのです。それに対して彼は、「民主主義というのは、確かに最悪の政治形態だね。ただ、これまで試みられた他のあらゆる政治形態を除けば、だけどね」と…。

何が「優れた判断力」かについては、合意は得られない。…「健全な」民主主義の条件は何であるか、近いうちに考えてみたい。

 

あと20~30年もすれば、さらに30億人もの人間が大量消費するようになって、資源の枯渇に拍車がかかるのは明らかですが、このことが暴力的な戦いにつながるかどうかは、われわれの決断にかかっています。選択を誤れば、限られた資源をめぐる熾烈な戦いに陥ってしまうでしょう。

石油(鉱物)資源のみならず食料資源を含め、資源争奪戦という視点を忘れてはならない。民族、宗教、領土だけで戦争は語れない。

 

日本やアメリカ、ヨーロッパにおいて消費量が高く、アフリカや南アメリカでずっと低い場合、世界は決して安定に向かいません。消費量の低い国々は高い国々に対して敵意を持ちテロリストを送ったり、低い方から高い方へと人口移動が起こるのを止められない。現在のように消費量の格差がある限り、世界は不安定なままです。ですから安定した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。例えば日本がモザンビークより100倍も豊かな国であるということがなくなり、全体の消費量が現在より下がる必要があります。

他にもいろんな要因があるだろうが、世界が安定するためには、「生活水準がほぼ均一になること」という条件は、最重要な条件の一つではないかと思われる。(国だけでなく、いろんなレベルにおいて)

 

遺伝子に組み込まれているかどうかはわかりませんが、人間の暴力はいまに始まったことではありません。他のチンパンジーを皆殺しにするという、チンパンジーの強い暴力性はよく知られています。…チンパンジーは手で殺すのに対し、人間は道具を使って殺すので、チンパンジーよりはるかに狂暴です。[人間とチンパンジーの遺伝子の違いは、1.6%]

人間は、チンパンジーより狂暴な動物である。狂暴さは、進化の結果か。

 

私が育つ頃は、肌の色で黒人を差別することは当たり前のこととして行われていました。60年代に入って、たしか1964年だったと思いますが、最高裁が肌の色で学校の入学を差別することを禁止しました。(それまでは肌の色で入れる学校が決まっていた)。当時はまだ黒人に対する偏見や差別意識は強かったのですが、法律によって平等な学校教育というものが保障されたのです。ですから見かけの影響は「避けて通れない」ということはなく、避けて通れるのです。見かけによる差別がないよう法律で保障することが一つ、もう一つは、見かけの違う人と話してつきあってみることです。そうすることで肌や目の色が違う相手も、同じ人間であることを身をもって確認することができますから。

「法律」をつくることは非常に重要なこと。しかしそれで十分ではない。「見かけの違う人と話してつきあってみること」…これがないと、法律が建前になってしまう。従い、基本原則の法だけでなく、「見かけの違う人と話してつきあってみること」を促進する政策がうてるような法整備が必要だろう。

 

科学では人類は生きてそれから死に、遺伝子を次の世代に伝えていくと説明しますが、人生の深い意味を提供するという観点からは、それで十分ではないのでしょう。かといって、宗教はたしかに人生に何らかの意味というものを提供しますが、科学の視点からすると、それは偽りの説明であり、単なる気休めにすぎないことになる。天国など存在しないのに天国という概念を持ち出して、それに基づいた説明を受け入れるというのは、自分をだましているだけだということになるでしょう。

科学の方法論を受け入れるかどうか。受け入れるならば、宗教が気休めに過ぎず、自分をだましているだけだということに気づくだろう。(ここで宗教とは、生きていく上での価値観のことではない)

 

宗教が説明できることは何もありません。すべては、既に科学で説明できているか、これから科学で説明できるものかのいずれかになります。科学というのは、世界を理解し説明するうえで現在最上の方法です。宗教は説明するための材料と方法を何も提供できません。むしろ意味や価値を提供するために存在するのですが、果たして十分な意味や価値を提供できるのかどうかについては疑問が残ります。

宗教が「意味や価値を提供する」のだとしたら、それは「私たちが共に生きているこの社会」における「意味や価値」のことか、それとも「あの世」をただ(理性を働かせることなく)信じることに「意味や価値」を見出そうとするものなのか。「宗教と権力」「宗教と民衆」については、いずれ考えねばならない。

 

「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。われわれの生の目的は、地球上で平和に共生する人間の数を最大にするということではもちろんないし、どんな状況であれ、数が多ければ多いほどいいというものでもありません。

いろいろなことに「人生の意味」を見出そうとする人は多い。しかし、どれほどの人が、人生の意味を見いだせただろうか。古今東西のどのような「哲学」や「文学」や「宗教」が、誰もが納得するようなかたちで「人生の意味」を提示しえただろうか。それよりも、ダイアモンドのこの言葉「ただそこに存在する」には、「ふむ、たしかに」と思わせるものがある。「炭素原子と同じように、ただそこに存在する」。(「意味を見出してはならない」と言っているのではない)

 

 最近最もエキサイトしていることと、心配していることは、妻のこと、子供たちのこと、次の本のこと、音楽とそして鳥(観察)ですね。

ダイアモンドは、1937年生まれで、現在78歳である。

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http://slimdandy.deviantart.com/art/Bird-Watching-People-Watching-370352826