気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

STAP細胞 小保方晴子の手記「あの日」出版に関して

このような話題にはふれないのが賢明なのだろうが、素人は素人なりに考えたこと、感じたことをブログという形で書いても咎められないだろう。(なお、私はこの本を読んでいないので、ネット情報だけで、内容を想像しています)

 

この手記は、一部の例外を除いて「無視」されるのではないかと思われる。一部の例外とは、マイナーなメディアと「閑人」である(私も「閑人」に分類されるのかもしれない)。…「事件」は決着しているのである。裁判沙汰になれば(あるいは大手メディアが動けば)別だが、「手記」ごときで「決着済みの案件」が再度動き出すことはないだろう。

 

さてSTAP細胞問題とは何であったか。私は、STAP細胞 法と倫理(1)STAP細胞問題は、「理系の問題」ではなく、「文系の問題」である で、

  1. STAP細胞は存在するか否か
  2. nature論文には不備があるのではないか
  3. nature論文に画像の捏造等の不正があるのではないか

の3つの問題に分類し、(1)(2)が、理系の問題、(3)が文系の問題であり、STAP細胞問題とは、(3)の文系の問題であるとした。そして私の主たる関心は、(3)である。(1)(2)は、難しくて分からない。(3)も(素人なので)なかなか難しいのだが…。

 

次のような意見がある。

STAP問題の根本的な部分というのは、「(故意かどうかにかかわらず)研究結果ではないデータをねつ造して論文として発表したこと」である。つまり、STAP細胞なるものが存在するかどうかは問題の争点ではないのである。(科学者からみたSTAP問題 参照)

私は、「STAP細胞なるものが存在するかどうかは問題の争点ではない」に賛成するが、括弧書きの部分には賛成できない。つまり「データをねつ造」したかどうかが争点であり、「故意かどうか」が争点であると考える。「研究結果ではないデータをねつ造して論文として発表したこと」は、既成事実なのではない。何故か。それは、捏造・改竄・盗用や故意・過失といった言葉の定義(解釈)で変わることだからである。

 

また研究不正(捏造・改竄)があったかどうかは、「事実認定」の問題である。

事実認定とは何か。(以下、wikipediaからの引用)

事実認定とは、裁判官その他の事実認定者が、裁判(刑事訴訟・民事訴訟)において、証拠に基づいて、判決の基礎となる事実を認定することをいう。

刑事訴訟においては、

刑事訴訟法317条に、事実の認定は、証拠による旨の明文規定がある(証拠裁判主義)。すなわち、厳格な証明の対象となる事実については、証拠能力を備えた証拠について、法定の証拠調べ手続を踏まなければならない。 例えば、被告人の反対尋問権の保障および実体的真実発見のため、伝聞証拠は原則として排斥され(同法320条)、確度の高い証拠のみが事実認定の基礎となる

証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる(刑事訴訟法318条、自由心証主義)。

証明の程度としては、合理的な疑いを差し挟まない程度まで検察官が証明することが要求される。犯罪事実について合理的な疑いを越える程度の証明がないときは、「被告事件について犯罪の証明がないとき」として、無罪判決を言い渡さなければならない(刑事訴訟法336条)。

すなわち、検察官、被告人・弁護人とも、証拠調べを請求する権限があるが刑事訴訟法298条1項)、犯罪事実を立証する証拠を提出し、証明すべき責任は検察官にある

なお、検察官が手持ちの証拠を提出するかどうかは検察官の判断によるため、被告人にとって有利な証拠が存在しても、被告人・弁護人に開示されないと、公判に提出されないこともある。これが冤罪事件発生の原因になることがあるともいわれている。

民事訴訟においては、

民事訴訟においては、証拠となる資格(証拠能力)の制限は特にないため、伝聞証拠等であっても証拠として採用される。民事訴訟においても違法収集証拠の証拠能力が否定されるべきか否かについては争いがある。

事実の認定について、裁判官は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を事実として採用すべきか否かを判断する(民事訴訟法247条、自由心証主義)。

必要な証明の程度に関して、最高裁は、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく経験則に照らして全証拠を総合検討し特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである」と判示している(最高裁昭和50年10月24日判決・民集29巻9号1417頁、「東大病院ルンバール・ショック事件」)。刑事事件よりは若干緩やかな基準であるということもできる。

 

デュー・プロセスについても知っておきたい。

デュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law)とは、法に基づく適正手続のこと。より簡単に「デュー・プロセス」と呼ばれることが多い。

概要:刑罰を受ける際に、その手続きが法律に則ったものでなければならない。また、その法の実体も適正であることが要求される。罪刑法定主義と並ぶ刑事法の原則である。

アメリカでの適正手続の保障:アメリカでは、アメリカ合衆国憲法修正5条および14条がこれを定める。日本と異なり両条文の効力が及ぶ範囲は刑事事件のみならず民事事件にも及ぶ。すなわち、修正5条は(連邦政府に対し)適正手続なしに個人の財産等を奪ってはならない旨定め、修正14条は州政府に対し同様の適正手続の保障を要求する。これは民事訴訟手続において訴訟当事者が適正に訴状の送達を受け、手続において適正に自己の主張を述べる機会を与えられ、公平な裁判官による判決を受ける権利を有することを意味する。さらに、修正14条は州の対人管轄を限界づける機能をも有する。

日本での適正手続の保障:日本国憲法は、第31条で適正手続の保障を定めている。

日本国憲法第31条…何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

なお、この手続きは刑事手続について定めたものであるが、行政手続にも該当するという学説が有力である。なお、根拠は日本国憲法第13条を根拠とする説、同31条を根拠とする説、31条を類推適用・準用する説に分かれる。

 

もう一つ、サンクションという言葉も知っておきたい。

社会的規範から逸脱した行為に対して加えられる心理的・物理的圧力をいう。社会的制裁ともいう。それは単なる嘲笑といった程度のものから死に至るまでのものを含む。つまり、あらゆる社会集団は、その成立とともに自己の生を存続させるための微妙な仕組みや自律装置を備えている。特定成員の行動が、明確に他の集団成員の共有する価値、ルールを刺激した場合には、その行為者に対して非難、嘲笑、侮辱、排斥などが加えられる。非難は、行為者に心理的打撃を与え、同時にそれ以後の集団成員の感情的強化を図る嘲笑や侮辱は明らかに一種の刑罰である。(野口武徳、日本大百科全書)

小保方が非難、嘲笑、侮辱だけでなく、懲戒解雇相当の処分を受け、研究者生命を断たれたことは、明らかに一種の刑罰であろう。問題は、これが正当な手続き(デュー・プロセス)を経た刑罰であるか否かである。

 

私は小保方が刑法違反の犯罪を犯したとも犯さなかったとも言っていない。また民事の不法行為(故意または過失によって他人の権利を侵害し、その結果他人に損害を与える行為。加害者は、その損害を賠償する責任を負う)を行ったとも行っていないとも言っていない。それは分からない。

 

私は、法に基づく適正な手続きで事実認定されなかったのではないかと言っているのである(私の過去の記事を参照してください)。法律の専門家は、本件をどう考えているのだろうか。彼らは、自分が抱えている事案の処理に忙しく、STAP問題など考えていられないということだろうか。

 

なお私は、事実認定(証拠調べ)において、DNA鑑定のような科学的知識が必要になると考えているが、それは一つの証拠であって、DNA鑑定結果がすべてではないということに留意しておきたいと思う。

 

私は本書出版のニュースを知り、あらためて小保方断罪が「法に基づく適正手続」によるものではなかったとの思いを強くした。

これを契機に、研究不正が生まれてくる原因追求がなされ、予防保全策(法、組織、教育等々)が講じられることを期待したい。

(原因追求というと、トヨタの「なぜなぜ分析」という言葉が思い浮かぶが、これがなかなか難しい)