読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

多重人格障害 浮遊する自己

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(23)

多重人格障害とは何か。ラマチャンドランの説明は、なかなかうまい。

多重人格障害(MPD)は、医学にとって地質学における大陸移動と同じくらい重要である。多重人格障害は、心身医学の主張を検証する価値ある場を提供するものであるにも拘らず今日に至るまで医学界から無視されてきた。…多重人格障害は常識にいどみかかる。一つの体に二つの人格があるなどということがあるだろうか?…心は、多数の生活体験から一貫性のある信念体系をつくりだすために絶えず奮闘している。小さな不一致点があると、通常は信念を再調整するか、あるいはフロイトが言う否認や合理化に類することを行う。だが信念を二通り持っていて――それぞれの内部では一貫性と合理性があるが――互いに全く相いれないものだったらどうなるのだろう? 最善の解決策は、二つの人格をつくることによって、信念を分割し、たがいの間に仕切りをすることではないだろうか。

この「シンドローム」の要素は、誰でも持っている。私たちは娼婦・聖女の幻想を語り、「私の心は二つに割れている」、「今日の私は自分とは思えない」、「彼は君がいると別人になる」などと言う。しかしまれな場合には、この分裂が文字通りのものとなり、ついには二つの「別々の心」を持つようになる。仮に片方の信念グループが「私はスー。セクシーな女性でボストンのエルム・ストリート123番地に住んでいる。夜は酒場でいい男をひっかける。お酒はワイルドターキーのストレート。エイズの検査なんか受けようと思ったこともない」と言い、もう片方が「私はペギー。退屈した主婦でボストンのエルム・ストリ-ト123番地に住んでいる。夜はテレビを観る。ハーブティーより刺激の強いものは飲んだことがない。ちょっとでも具合が悪いと医者に行く」と言うとする。この二つの話は大違いなので、二人の別々の人の話であるのは明らかだ。しかしペギー・スーには問題がある。彼女はこの二人の両方なのだ。体は一つだし脳も一つしかない。内戦を避けるには、石鹸の泡を二つに分けるように信念を二つのかたまりに分けるしかない。その結果が多重人格障害と言う奇妙な現象である。

 

多重人格障害は、いまは「解離性同一性障害」と呼ばれている。これは難しい言葉だ。一つひとつ見ていこう。

解離とは、「意識、記憶、同一性、知覚、感情などの心的機能の統合性が失われた状態」(デジタル大辞泉)であるが、以下ラマチャンドランを離れて、wikipediaをみていこう。(教科書的な説明だが、「人間とは何か?」「心とは何か?」の問題意識をもって読めば、いろいろ興味深いことが書いてあるのに気づく)

 

解離

感覚、知覚、記憶、思考、意図といった個々の体験の要素が「私の体験」「私の人生」として通常は統合されているはずのもののほつれ、統合性の喪失ということになる。その中には誰にでも普通にある正常な範囲のものから、障害として扱われる段階までを含んだ幅広い解釈がある。

このような解離は誰にでもある。

大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。 小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。 飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。 これらは広い意味での解離ではあるが、誰にでもあり病的な解離ではない。

次のような例も病的ではない。

  1. 車を運転した時や、電車やバスに乗っている途中の出来事を、一部又は全部を憶えていない時がある。
  2. 人の話を聞いている時、その内容の一部または全部を全く聞き憶えていない時がある。
  3. テレビや映画を見るとき、その話にあまりにも没入してしまって、周囲の出来事に気づかなくなる。
  4. 空想にのめりこみ、それが現実に起きていることのように感じる。
  5. 何も考えずに、時間が過ぎるのも気づかないで、ただジッと空(そら)を見つめている。
  6. あることを実行したのか、それともしようと考えただけなのか憶えていないときがある。

以上の説明で「統合性の喪失」というところがポイントである。「喪失」を云々する前に、本当に「統合」されていたのかという疑問が提出されるが、この話は後回しにしよう。

 

解離性障害(1)

解離が「障害」となるのは次のような段階であるとされる。

空想と解離は、慢性的なストレス状況におかれた子供にとっては唯一の実行可能な逃避行であるが、 状況が慢性的であるが故にその状態が恒常化し、コントロールを失って別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。解離性同一性障害はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。

例えば、次のようなときがある。

  1. 気がつくと別の場所にいて、どうしてそこまで行ったのか自分でも分らない。
  2. 自分の持ち物の中に自分では買った憶えがない新しい物がある。
  3. まるで他人を見るように自分自身を外から眺めているという経験をすることがある。
  4. 友達や家族に気がつかない。あるいはそうと認めないことがあると、他人から時々指摘される。
  5. 周囲の人間や、物や、出来事が現実のものでないように感じる。
  6. 自分の体が自分のものではないと感じる時がある。
  7. 状況が変わるとまったく別の行動をするので、自分が二人いるように感じてしまう。
  8. 時々頭の中から聞こえて、何かを命令したり、自分の行為にコメントをすることがある。

これらの質問に高い確率で該当があれば解離性障害の可能性は高まるが、それだけで判断する訳ではもちろんない。こうした定型の質問ではなく、より細かい具体的な話のなかから医師が総合的に診断を行うことになる。解離症状は解離性障害だけにあるものではない。急性ストレス障害 (ASD)、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) にも、境界性パーソナリティ障害にも解離症状は見られる。

№3が興味深い。「意図的に自分自身を外から眺める」と言うことがある。「自分を客観視する」こと、「鳥の目」を持て(鳥瞰)などと言われる。意図的に、こういうことを行っていれば、無意識にもこういう見方をすることが増えてくるかもしれない。

№5もよくある経験ではなかろうか。夜空を見上げ、宇宙の構造に思いをはせるとき、物質や出来事、時間が、リアリティを失う。

№7もあり得る。会社(公的空間)での思考と行動(冷酷)、家庭(私的空間)での思考と行動(温和)。

解離が、「普通」の心の有り様なのか、「症状」なのか、「障害」なのか、いささか微妙なところがあると言わなければならないだろう。

 

解離性障害(2)

解離性障害とは、精神疾患の分類のひとつ。自分が自分であるという感覚が失われている状態、まるでカプセルの中にいるような感覚で現実感がなかったり、ある時期の記憶が全く無かったり、いつの間にか自分の知らない場所にいるなどが日常的に起こり、生活面での様々な支障をきたしている状態をさす。

分類と症状

  1. 離人症性障害/現実感喪失…自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように(例えば夢の中であるかのように)感じることが持続的または反復的である。離人体験の間も、現実検討能力は正常に保たれている。それにより本人が著しい苦痛を感じ、または社会的・職業的な領域で支障をきたしている。薬物や前述の精神疾患その他の生理学的作用によるものではない。
  2. 解離性健忘/解離性遁走(とんそう)…単なる「物忘れ」では説明できないほど、過去の一時期の記憶、或いは全ての生活史の記憶を失っている状態が主な症状である。
  3. 解離性同一性障害…明確に区別できる複数の人格が同一人に存在し、それらの複数の人格が交代で本人の行動を支配する。解離性健忘を擁している場合が多く、重症になると人格が変わる度に本人の重要な個人情報を日常的に想起することができず、他人格の記憶を想起出来ないがゆえに患者は苦しむ。あるいは他人格は存在するが、それぞれの人格でいる間の記憶の互換性には殆ど支障がなく、他人格同士の変換や並立・対立、内面から他人格の声が聞こえる、他人格の行動の傍観を自覚する等、それらのぶれや制御に悩まされている場合もある。
  4. 特定不能の解離性障害解離性同一性障害に類似するもの、解離性トランス障害[霊魂、神あるいはその他の力に取り付かれているように振舞う。憑依]、ガンザー症候群(曖昧な受け答えや前後の文脈と関係のない的外れな話をしたりする。)

日常的に解離(統合性の喪失)が起こり、日常生活に支障をきたすまでになると、「解離性障害」と呼ぶ。このうち、解離性同一性障害について、もう少し詳しく見てみよう。

 

解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder ; DID)

解離性障害のひとつ。かつては多重人格障害と呼ばれていた。解離性障害本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。

うつ症状、摂食障害、薬物乱用(アルコール依存症もこれに含まれる)、転換性障害を併発することがあり、そして不安障害(パニック障害)、アスペルガー障害、境界性パーソナリティ障害統合失調症てんかんによく似た症状をみせ、リストカットのような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることも多い。

治療はそれぞれの交代人格が受け持つ、不安・不信・憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り離している障壁を下げていくこととされる。 しかし交代人格は記憶と感情の水密区画化、切り離しであるため、表の人格にとっては健忘となり、先述の通り当人に自覚が無い場合も多い。自覚があっても治療者を警戒しているうちは、交代人格は姿を現さない。また治療者が懐疑的であったりするとやはり出てこない。

強い精神的ストレスを受けると(本人にとって堪えられない状況が生ずると)、解離性障害が生じる。そのようなストレスとして、次のようなものがあげられる。

(1)学校や兄弟間のいじめ、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ないなどの人間関係、(3)ネグレクト、(4)家族や周囲からの児童虐待心理的虐待、身体的虐待、性的虐待)、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死など。

私は「いじめ」は、学校や家族内だけのことではなく、およそ「組織」があり、そこに「力関係」があるかぎり発生するものと考えている。いわゆるパワハラである。差別もそうである。これは非常に大雑把な言い方であるが、ここで言いたかったのは、「本人にとって堪えられない状況」を生み出すのは、学校や家族だけではないということである。社会に目を向けなければならない。失業ニート未婚孤独、それらは適切な対処がなされなければ、「社会不適合者」とみなされ、「本人にとって堪えられない状況」を生み出す可能性がある。

f:id:shoyo3:20160615140421j:plain

http://a.scpr.org/i/9c31690344fab669c0cf0b1cea21606f/90034-full.jpg

 

柴山雅俊は、解離性障害が重症化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」と捉えている。

家庭内の心的外傷では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷では学校でのいじめ。ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況。逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況。こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする。

強い精神的ストレス-「堪えられない状況」の現出は、精神障害(解離)、自殺、テロを生み出すだろう。

 何が「堪えられない状況」を生み出すのかを考え、そこに手を打つことをせず、「安心していられる場所」(家族、地域社会の助け合い)のみを強調することは、片手落ちといわれてもしかたあるまい。また自己の「心の持ちよう」を強調するのは、何事も「神の思し召し」と考えようとする中世的(権威主義的)思考の延長線上にあるように思う。