気の向くままに

井蛙は以って海を語るべからず、夏虫は以て冰を語るべからず、曲士は以て道を語るべからず

七人の侍 統治の正統性 市場の失敗

久米郁男他『政治学』(1)

序章 「七人の侍政治学」で、久米は、「本書では、政治をこの映画[黒沢明監督の七人の侍]に示される「本人」「共通の目的」「代理人」という三つの要素に注目して整理し説明する」と述べている。(以下の引用では、原文のままではなく、要約した部分もある。)

本人…主権者である国民。代理人を監視(モニタリング)し、コントロールする必要がある。[農民]

共通の目的…国民の利益の実現。[野武士による収奪をふせぐ]

代理人…目的の実現のために、代理人たる政府を雇う。負託された目的の実現が期待される。[侍]

 「代理人」という見方が面白い。民主主義における統治機構を適切に表現しているようだ。

町山智浩氏が語る20世紀名作映画講座「七人の侍

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後編の話が特に面白い。農民、侍、野武士を単純なイメージで決めつけてはならない。

 

本書は3部24章の構成である。

第1部 統治の正統性(政治の課題とは何か)…本人である国民が代理人である政府に実現を期待する共通の目的とは何か。(言い換えれば)政府が国民を統治する正統性とは何か。

第2部 統治の効率(代理人の設計)…代理人としての議会、内閣、官僚。中央政府地方自治体。

第3部 統治のプロセス(代理人の活動)…代理人たちの行動、政策過程。

第4部 統治のモニタリング(何がデモクラシーを支えるか)…モニタリング、エージェンシー・スラック(agency slack)。市民、文化、マスメディア、選挙、利益団体、政党。

 

第1部 統治の正統性 は、以下のような内容である。

第1章 政策の対立軸

第2章 政治と経済

第3章 自由と自由主義

第4章 福祉国家

第5章 国家と権力

第6章 市民社会国民国家

第7章 国内社会と国際関係

第8章 国際関係における安全保障

第9章 国際関係における富の配分

 

第1章 「政策の対立軸」については、簡単に済ませる。

第1節 あなたはどんな考えを持っていますか … 「保守的」と「進歩的」、冷戦後の日本政治と政策対立軸

第2節 政策の対立軸 … 「右」か「左」か、現代の先進諸国における政治的争点

第3節 一次元モデルから三次元モデルへ … 政策の対立軸の多次元性、政策対立軸上の政策選択の理論

 政策の対立軸として、以下の3つがあげられている。

  1. 政治的統制の強弱…政府による個人に対する政治的統制の度合い。表現の自由の規制、警察や軍隊の規模、中央政府への権力の集中度等。
  2. 経済的統制の強弱…政府が市場に介入する度合い。自由競争を尊重するか市場のコントロールを重視するか。
  3. 文化的・社会的統制の強弱…社会が伝統的に保持してきた宗教や価値観・道徳観、職業倫理を保持することを求めるか否か。性別・年齢間の社会的な役割を固定化しようとする傾向。

 久米は、三次元モデルで考えようと言っているが、私にはこのモデルがどれほどの威力をもっているのか、まだよくわからないので、とりあえず、「政策に対するいろいろな考え方があるが、政治的統制だけでなく、経済的統制や文化・社会的統制のありかたについても意見の相違があるので、総合的に考えなければならない」といった程度に理解しておこう。

 

第2章は、「政治と経済」である。

「自由競争市場においては、価格の変動により、需要と供給が一致し、望ましい資源配分が実現される」とされるのであるが、ある種の財・サービス(以下、財という)では、これがうまくいかない。これを市場の失敗という。では、どのような財だとうまくいかないのか。

財は、排除可能性と競合性の二つの特徴に注目して4分類されるという。

 

排除性

非排除性

競合性

私的財

コモンプール財

非競合性

クラブ財

公共財

(wikipedia、公共財)

 

排除可能性とは、

人々が財を消費することを妨げうるかどうか。(本書)

特定の人 (消費者) をその財の消費から排除することができるかどうか。(ブリタニカ国際大百科事典)

対価を支払わず財を消費しようとする行為を実際に排除可能かどうか。(wikipedia

 競合性とは、

ある人がその財を消費することで、他の人がその財を消費することが妨げられるかどうか。(本書)

同時に多くの人々によって消費されることが可能かどうか消費者の間でその財の消費をめぐる競合の余地が生じるかどうか。消費の集団性。(ブリタニカ国際大百科事典)

消費者(利用者)たちによるその財の消費が増えるにつれ、追加的な費用なしに、財の便益(質・量など)が保たれるかどうか。(wikipedia

 アンダーラインを引いた説明が分かりやすいのではないかと思う。

4種類の財についてみていく。

私的財とは、食料・衣服・自動車・家電等々、通常民間の市場を通して供給され購入するものである。企業間で取引されるほとんどの財・サービスも私的財である。

公共財は、純粋公共財と準公共財に区分される。

非競合的かつ非排除的な狭義の公共財を純粋公共財という。この純粋公共財の典型的な例としては政府による外交や国防がしばしば挙げられる。国民の内の特定の集団が政府の外交政策や国防の利益を受けないように排除することが困難であり、また、集団を排除しなくてもそれによって追加的な費用が発生しないことが多い。

非競合性あるいは非排除性のいずれかを有する広義の公共財を準公共財という。非競合的かつ排除的な財は、「クラブ財」と呼ばれる。例えば、有線放送のようなサービスは、放送用のケーブル網の敷設や番組制作などには費用がかかるが、これを100人の消費者に供給する代わりに150人の消費者に供給することによってもそれらの費用は余り増加しない。排除可能性は高いが、競合性が低い例となる。

非排除的かつ競合的な財は、「コモンプール財」と呼ばれる。たとえば、一般道路や橋などは、ある程度までであれば、利用者全員は問題なく便益を受けられるが、利用者が増えるに従って、混雑費用が高まり、競合性は高い。ただし利用者全員に実際に課金するためのコストが高く[排除にコストがかかる]、排除性が低い。(wikipedia、公共財)

 

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http://image.wikifoundry.com/image/1/Knz8FG76hEPop2RKkzsV5Q93725/GW786H411

 

公共財とフリーライダー問題

公共財については、市場の失敗といわれる現象が発生する。次の説明が分かりやすい。

一般的に、物財やサービスは、対価を支払った者に限り便益を受けることができる(財の排除性)。しかし、消火活動や治安・国防などは、対象になる利用者を限定することが難しい(非排除性)。誰かが費用を負担してサービスを供給すれば、負担していない人も便益を受けられる。結果として、供給のための費用を負担する誘引は働かず、みながただ乗りをしようとするようになる。そのため、市場経済に任せた場合、これらの正の外部性を伴うサービスの供給が著しく過少になるという問題が生じる。しかしながら、必要不可欠なサービスである。そこで租税により、便益に関わらず広く負担を募り、公共サービスを提供し社会的需要を満たす。これらのサービスを提供するのは、租税によって活動する公共性の高い主体(政府や地方自治体)である。(wikipediaフリーライダー

治安や国防などが公共財の例としてあげられる。一般にこれらは社会的需要があると認められようが、その具体的内容に関しては、さまざまな議論がある。ここでは、「市場」に任せては、「ただ乗り(フリーライド)」の問題が生じ、うまくいかないものがあるということを確認しておこう。

 

共有資源と共有地の悲劇

先ほどの財の4分類に、「コモンプール財」というのがあった。本書では「共有資源」と言っている。具体例を考えると分かりやすい。この話題には、よく「入会地(いりあいち)」が登場する。

昔の日本の村には、入会地が相当存在した。村に住む人が薪を集めたり、山菜を採ったりするために、自由に立ち入ることのできる共有地であった。ここでは、薪や山菜が過剰に利用される傾向がある。薪や山菜をいくら採ってもタダだからである。しかし、村人が増えたり、みんなが薪や山菜を採って街に売りに行くようになると、共有地は荒れ地になってしまう。これを共有地の悲劇と言う。

村人は誰でも入会地に立ち入ることができる(排除されない)。しかし、ある人が薪や山菜を採ると、他の人が採ることができる量は減少する(競合性がある)。

公共財と共有資源については、いずれもその便益を享受する個人が、代金を払わないで、どのように利用することも可能であるため、広い意味でのフリーライダー問題が生じるとも言える。このような財については、市場が提供することに失敗すると考えられる。

入会地は、コモンズ(commons)である。

コモンズとは、所有権が特定の個人でなく共同体や社会全体に属する資源である。入会地、公海の水産資源など。(大辞林

公海の水産資源もコモンズである。コモンズは現代の問題でもある。

草原、森林、牧草地、漁場などの資源の共同利用地のこと。地球環境問題への対応が求められる中、グローバル・コモンズ(global commons)たる地球環境保全にも示唆を与える営みとして、再び脚光を浴びている。近年では、自然環境や自然資源そのものを指すというよりも、それぞれの環境資源がおかれた諸条件の下で、持続可能な様式で利用・管理・維持するためのルール、制度や組織であると把握されている。…近代化の過程で農村型社会にあった多くのコモンズが消滅してきたが、コモンズが有していた機能を現代的に再生する管理組織のあり方や、それが成り立つ条件の解明が求められている。(植田和弘、知恵蔵)

コモンズは、興味深いテーマである。「市場の失敗」の文脈ではなく、もっと大きなかつ基礎的な「所有」のありかたの文脈で論じられるべきテーマではないかと感じている。

 

自然独占の問題

先ほどの財の4分類に、「クラブ財」というのがあった。本書では「自然独占を生む財」と言っている。

この財は、代金を支払わない者に対しては提供しないことが出来るので商売になる。…水道事業を例に考えよう。水道水は、地方自治体の水道局が供給する。町で水道事業を行うためには、町中に水道管のネットワークを敷設しなければならない。このネットワークを敷設する費用を固定費用という。いま2社以上の企業がこの街で水道事業を行うためには、各社が水道管ネットワークを同じように敷設するための固定費用を支払わなければならない。この場合、水1リットルを供給するための平均総費用は、単一の企業が事業を行う場合が最も安い。…水道事業で単一企業が独占力を持って利益を上げている時は、新規参入は起こりにくい。先行している企業が圧倒的に優位だからである。その結果独占は脅かされにくく、独占状態が生まれ、続くのである。 

単一企業(独占企業)のほうが最も安くなるのなら、何が問題だというのだろうか。

第1は、独占企業が高い水道料金を消費者に課すことである。(純経済学的にはこれは問題ではない。消費者は損をするが、その分生産者が得をしているからである。この利益の配分が望ましいか否かは経済学の関心ではない。これこそ政治学の課題である)。

括弧書きの赤字にした部分が、私にはよく分からない部分である。消費者が損をするのだとすれば、消費者はどういう行動をとるのか、生産者が得をするのだとするならば、生産者はどういう行動をとるのか。消費者や生産者が経済行動の主体であるとするなら、なぜ経済学はここに関心を持たないのか?…これを政治学の課題だというならそれはそれでよい。本書の後のほうで出てくるのだろう。

第2は、独占企業が高い価格をつける結果、消費者の水の需要が抑制され、好ましい生産量よりも過少な量の水道水しか供給されないことである。(独占が存在する結果、経済のパイが望ましい水準よりも過少になっている部分を、独占による死荷重と呼んでいる)。

ここでも、自由な競争が「神の見えざる手」による最善の結果をもたらしていない。市場はここでも失敗している。

 

以上は、公共財(純粋公共および準公共財)についての市場の失敗の話であった。公共財の他にも、市場の失敗はある。市場(2)政府の失敗 市場の失敗  では、①独占・寡占、②外部性(外部経済、外部不経済)、③情報の非対称性をとりあげた。外部経済、外部不経済については、市場(3)外部経済、外部不経済を考える でもとりあげた。本書では、「負の外部性」という言い方をしている。