浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「漱石枕流」と「枕石漱流」 … その意味は?

言葉(2)

漱石枕流(そうせきちんりゅう)は、「石に漱ぎ(くちすすぎ)流れに枕す」と読む。

これは、「石で口の中をきれいにし、川の流れを枕にする」という意味である。これは誰が聞いてもおかしい。

この言葉は、役人になる前の孫子(そんしけい)が、友人の王武子(おうぶし)に、枕石漱流(ちんせきそうりゅう)(石に枕し、流れに漱ぐ)と言おうとして、漱石枕流と言い間違えたものだという。

枕石漱流(石に枕し、流れに漱ぐ)とは、世俗を離れて自然の中で暮らす隠遁)ということである。もっと言えば、

自分の理想や節義を貫くため、君主のもとを辞し、あるいは最初から仕官を求めず、山林江海に隠れ住む人をさす。中国には古くから隠者の逸話が多く、許由(きょゆう)、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)竹林の七賢などが代表的人物とされる。『荘子(そうじ)』の「逍遙遊(しょうようゆう)」には、堯(ぎょう)が天子の位を許由に譲ろうとしたとき、許由はこれを受けず、政治の世界にかかわることを拒否したという挿話が載っている。ここには、世俗の名利[名誉と利益]を離れて己の生を重んじ、心の安らぎを求める道家(どうか)風の人生観がみられる。…中国では隠者は一種の治外法権的な存在として重視され、その知的生活は中国文化に影響を与えた。(小林正美、日本大百科全書

役人になる前の若い孫子荊(孫楚)が、このような「枕石漱流」即ち「隠遁の生活」をしたいと思ったというのはちょっと解せないところであるが、家庭環境によるものだろう(祖父や父の生きざまをみていたからと思われる)。

友人の王武子(王済)は、彼を「天才にして知識が広く、群を抜いて優れています」と評している。

こんな逸話がある。「あるとき、孫楚は自分の妻のために王済が衣服を贈ってくれたことに感動し、王済のために詩を作って返答とした。王済は孫楚の詩を賞賛した」。孫子荊は詩心があったのか。(Wikipedia「孫楚」参照)

 

さて、孫子荊(孫楚)が友人の王武子(王済)に間違って「漱石枕流」と言ったとき、

すかさず「流れを枕にできるか、石で口を漱げるか」と突っ込まれると、孫子荊は「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで*1石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言い訳し、王武子はこの切り返しを見事と思った。(Wikipedia「孫楚」)

屁理屈かもしれないが、全くのデタラメでもなく、いささかの説得力はある。なぜだろうか。それは、世俗の名利(名誉と利益)批判が含まれているからだと考えられる。こういう話法を使えるということは、「知識」もあり、官吏に適した資質を持っていると判断されるのではなかろうか。

 

漱石枕流」は、例えば「偏屈な態度で、自分の誤りを指摘されても直そうとしないこと。負け惜しみでひどいこじつけをすること」(学研 四字熟語辞典)と解釈するのが大部分であるようだ。

しかし考えてもみよう。自分の考えを(論理的に)批判されることには、誰もが快く思わない(感情的な非難や、言いがかりは無視できるが)。だから自分の考えが首尾一貫していることを示すためにも、屁理屈を考え出す。自尊心が許さないからだろう。*2

だが屁理屈かどうかを誰が判断するのだろう。多数派の「常識」か。(多数派が少数派の突っ込みに屁理屈を言う場合もある)

孫子荊が「枕を流れにしたいというのは、汚れた俗事から耳を洗いたいからで、石で漱ぐというのは、汚れた歯を磨こうと思ったからだよ」と言うのは、意外と本心(隠遁の生活をしたい)ではないか。常識にとらわれない考え方ができることを示しているのではないか。

 

夏目漱石(本名:夏目金之助)の「漱石」は、「漱石枕流」(負け惜しみ、頑固者)からきているといわれるが、もともとの「枕石漱流」(世俗の名利を離れて己の生を重んじる)、そして別解釈の「漱石枕流」(世俗の名利を離れて己の生を重んじる)を意識したものではないかと想像する。「負け惜しみ、頑固者」とは関係ないような気がする。私は、夏目漱石の作品を読んでいないので、全くの想像なのだが…。

 

A simple life

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https://johnjoven.com/a-simple-life

社会から孤立することのない「現代の庵」はどこにあるか。都会にも田舎にも、そのような庵を見出すことは難しい。心の中にこそ、そのような庵を構えるしかないのかもしれない。

*1:孫楚の言い訳は、かつて隠者の許由が、帝位を譲ろうとした堯の申し出を断った後、「汚らわしいことを聞いた」と耳を漱いだ故事を踏まえたものといわれている。(Wikipedia、孫楚)

*2:Wikipedia「東大話法」を参照。