気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

「神の存在」という幻想(4) 「自然選択説」は「潜在能力」を説明できない

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(15)

前回「サヴァン症候群」の話が出てきた。サヴァン症候群とは、「精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状」であったが、ラマチャンドランはこれに関心を持っているようだ。自然選択の話もこれに関連してのことだろう。でも「天才」の話が出てきたりしてなかなか面白い。

 

音楽や美術や文学の才能は、「自然選択説」で説明できるのだろうか? 自然選択説とは、

生物の進化を要約すると次の通りである。

生物がもつ性質が次の3つの条件を満たすとき、生物集団の伝達的性質が累積的に変化する。

  1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異
  2. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝
  3. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択

上記のメカニズムのうち、3番目に関わるのが自然選択である。一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。(Wikipedia)

「進化論」は面白い話題なので、いずれ取り上げたいと思う。ここでは「自然選択」について、wikipediaの解説のごく一部を引用しておくにとどめる。

ラマチャンドランはこう述べている。

ダーウィンは自然選択の原理で、指や鼻などの形態的な特性の出現だけでなく、脳の構造も、したがって精神的能力も説明できると考えていた。言い換えると、音楽や美術や文学の才能や、そのほかの人類の知的な業績も自然選択で説明がつくと考えた。ウォレスはそうではなかった。ダーウィンの原理で指や足指が説明でき、単純な精神特性も説明できるかもしれないというところまでは認めたが。数学や音楽の才能といった人間の本質をなす一定の能力は、偶然による行き当たりばったりの作用では生まれてこないと考えたのである。

ウォレスがなぜそう考えたかというと、

(第1に)いったん文化や言語や文字が生まれると、人類の進化はラマルク流になった――即ち人が生涯に蓄積した知恵を子に伝えることができた。この子孫は文字を持たない者の子孫よりも賢くなるが、それは遺伝子が変化したかえらではなく、(文化という形の)知識が親の脳から子の脳へ伝えられたためである。このように脳は文化と共生関係にある。

(第2に)例えばあなたが現存しているアポリジニの社会から、ほとんど読み書きのできない先住民の子どもを連れてきて(それともいっそタイムマシンを使ってクロマニヨン人の子どもを一人連れてきて)、リオデジャネイロかニューヨークか東京で現代の公教育を受けさせたとする。彼はもちろん、そういう都市で育った子どもたちと全く違わない。ウォレスの考えによれば、これはアポリジニもクロマニヨン人も、彼らの自然環境の中で必要とされる知能をはるかに超える潜在的知能を持っているからだ。

数学の能力が、生存競争において有利に働くのだろうか。ネアンデルタール人やクロマニオン人が数学的潜在能力を持っていたのは何故か。

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http://www.wakingtimes.com/wp-content/uploads/2013/05/Flickr-NASA-NASA-Goddard-Photo-and-Video.jpg

 

ラマチャンドランはこう書いている。

潜在能力を出現させた選択圧とはどんなものなのだろう。自然選択では、生物が表出している実際の能力の出現しか説明できない――潜在能力は説明できないのである。能力は、それが有益で生存を高めるものであれば、次世代に受け継がれる。しかし潜在的な数学力の遺伝子など作って何になるのか。文字を持たない人にどんな利益になるのだろう。行き過ぎのように思える。

ここが問題のところだ。道具が所有者の必要に先立って発達してきた。だが私たちは進化が先見性を持たないことを知っている! ここに進化が予知力を持っているように思える例がある。なぜそんなことが可能なのか。

ウォレスはこのパラドックスに力強く取り組んだ。数学の技能と言う特殊な能力が(潜在的なかたちで)向上することが、どのようにしてこの潜在能力を持つ一族の生存や、持たない一族の絶滅に影響を及ぼせるのか。ウォレスはこう書いている。「現代の著述家たちは、みな人間が非常に古い歴史を持つことを認めているのに、その大半が、知能はごく最近になって発達したと主張し、われわれと同等の知的能力を持つ人間が先史時代に存在していた可能性をほとんど考えないのは、いくぶん奇妙な事実である」

現代の私たちは、そういう人間が存在していたことを知っている。ネアンデルタール人クロマニヨン人の脳容量は、実際に私たちの脳容量よりも大きく、彼らがホモ・サピエンスと同等あるいはそれを上回る潜在的知能を持っていたというのは考えられないことではない。

だとすれば、先史時代に出現した驚異的な潜在能力が、つい1000年前になってようやく認識されたことになるが、なぜそんなことがありうるのか? ウォレスが出した答えは神の御業(!)だった。「より高い知的存在が人間の本性の発達過程を導いたに違いない」。したがって人間の資質は、この世に表出された「神授の資質」である。

ウォレスとダーウィンの意見が対立したのはここのところである。ダーウィンは、自然選択が進化の主たる原動力であり、最も特殊な精神特性の出現も神の手を借りることなく自然選択で説明できる、と断固として主張した。

「神の御業」とは面白い。「より高い知的存在」は「現在の科学では解明できない」という代わりの修辞学的表現なのだろうか。

現代の生物学者ならウォレスのパラドックスをどのように解決するだろうか? 恐らくは、音楽や数学の能力といった限定的かつ「高等な」人間の特性は、通常「一般的知能」と呼ばれているもの――300万年の間に「暴走し」、爆発的に大きく複雑になった脳が到達した頂点――の特殊な発現であると論じるだろう。論理はさらに続く。一般的知能の進化によって、会話や狩猟、食物の貯蔵、複雑な社会儀礼などを始めとする多数の人間の行為が可能になった。そしてこの知能がいったん備わると、計算や音楽や、感覚の及ぶ範囲を超える科学的な道具の設計など、ありとあらゆる物事にそれを使えるようになった。

ラマチャンドランは、音楽や数学の能力に関して、この見解に反対している。「サヴァン症候群」の知見にたちかえり、次のように述べている。

 「サヴァン」とは、精神的能力あるいは一般的知能が非常に低いにもかかわらず、驚異的な才能の「島」を持っている人たち。例えば、報告されているサヴァンの中には、IQが50以下で普通の社会生活がほとんどできないのに、8桁の素数を簡単に言えるという人たちがいる。これは終身在職権をもつ数学教授でもめったにできない離れわざである。

美術や音楽の世界には、ときどきサヴァンが登場して、その才能が後々まで人を驚かせ喜ばせる。…盲目で自分の靴の紐が結べない13歳の少年トムは、どんなかたちにせよ音楽の指導を受けたことは一度もないが、ほかの人の演奏を聴くだけでピアノを弾くことができた。歌を聴いて旋律を聴き取り、どんな曲でも1回で、熟練した演奏家と同じくらい見事に演奏した。

…こうした例は、特殊化した才能が一般的知能から自然発生的に出てくるのではないことを示している。もしそれ[特殊化した才能が一般的知能から自然発生的に出てくる]が事実なら、精神遅滞者がこうした能力を示すはずがない。それにこの点を立証するのに、サヴァンという特異な例を引き合いに出す必要もない。才能のある人や天才はみな、このシンドロームの要素を持っているからだ。「天才」というのはよくある誤解とは裏腹に、超人的な知能の同義語ではない。私が光栄にも面識を得た天才のほとんどは、本人たちは認めたがらないだろうが、サヴァンに良く似ている――限られた分野ではなみはずれた才能を持っているが、その他の面ではごくふつうなのだ

 

ラマチャンドランは、サヴァンの例として、インドの天才数学者ラマヌジャン(1887-1920)の話を紹介しているが、ここではwikipediaから、若干引用しておこう。

ラマヌジャンは、極貧の家庭に生まれたが、奨学金を得て大学に入学。数学に没頭し、他の科目の試験に不合格。大学中退後、港湾事務所に勤務。…周囲の勧めもあって、1913年、イギリスのヒル教授等に研究成果を記した手紙を出したが黙殺された。しかしケンブリッジ大学のG.H.ハーディは、ラマヌジャンの手紙を読み、最初は「狂人のたわごと」程度にしかとらなかったものの、やがてその内容に驚愕した。というのも、ラマヌジャンの成果には明らかに間違っているものや既知のものもあるが、中には「この分野の権威である自分でも真偽を即断できないもの」、「自分が証明した未公表の成果と同じもの」がいくつか書かれていたからである。…ハーディは1から100までの点数で数学者をランク付けするのが好きだった。それによると、ハーディ自身は25点、リトルウッドが30点、偉大なるヒルベルトが80点、そしてラマヌジャンが100点だった。

ラマヌジャンの逸話として有名なものの一つに次のものがある。

1918年2月ごろ、ラマヌジャンは療養所に入っており、見舞いに来たハーディは次のようなことを言った。

「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない数字だったよ」。これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」。実は、1729は次のように表すことができる。1729 = 123 + 13 = 103 + 93。すなわち、1729が「A = B3 + C3 = D3 + E3」という形で表すことのできる数 A のうち最小のものであることを、ラマヌジャンは即座に指摘したのである。この逸話のため、1729は俗にハーディ・ラマヌジャン数やタクシー数などと呼ばれており、スタートレックやフューチュラマなどのSFや、ハッカー文化の文脈では「一見すると特に意味のない数」のような文脈でこの数が使われていることがある。

最後の「一見すると特に意味のない数」にも意味があるという指摘は面白い。これを拡張すれば、「一見すると特に意味のない事象にも、重大な意味があるものがある」となろう。

 

では、サヴァンや天才はどのようにして生まれるのか? 遺伝と関係あるのか? それは、次回に。