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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

監視国家とジマーマンのPGP

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(5)

暗号技術をネットに放流-PGP暗号

暗号と戦争の長きにわたる歴史が証明するように、暗号は政治的に重要な位置を占めている。とすれば、暗号技術の独占は軍事力のバランスを非対称にし、強者による弱者の支配に直結する。だが、逆に強力な暗号によって情報を守ることで、虐げられてきた人々をサポートすることも可能だ。そのような政治的な意識下で暗号研究に取り組む人物もいる。暗号を政治的な道具として最も強く意識したのは、暗号技術を海外に放流したフィリップ・ジマーマン(1954-)である。

ジマーマンは当初政治的な問題には無関心だったが、ヴェトナム戦争ニクソン大統領(任期:1969-74)が盗聴行為を働いていたことを暴いた大スキャンダル(ウォーターゲート事件)などを見るにつけ、アメリカ政府に対する反感を募らせてきた。80年代に入り当時大統領だったレーガン(任期:1981-88)が軍備拡大路線をとると、ジマーマンはエンジニアとして働く一方で反核闘争などに身を投じていった。

当時の時代背景として、ベトナム戦争(1960‐75年にわたる第2次インドシナ戦争)について概観しておこう。

ベトナム戦争とは、アメリカとサイゴン政権を一方とし、北ベトナム南ベトナム解放民族戦線を他方として、十余年にわたり、第二次世界大戦後最大の規模で戦われ、戦後秩序の変容を促した大きな戦争である。…戦争の犠牲者はアメリカ陣営が戦死者22万5000人(アメリカ軍の戦死者は5万7939人)、負傷者75万2000人、北ベトナム・解放戦線側が戦死者97万6700人、負傷者130万人だった(いずれも推定)。ベトナム戦争は戦争の全般的な規模でこそ第一次、第二次両大戦に劣るとはいえ、動員兵力、死傷者数、航空機の損失、使用弾薬量、戦費では第一次大戦のそれを上回り、使用弾薬量、投下爆弾量では第二次大戦のそれをはるかに超えた。史上最大の破壊戦争であった。…この戦争には3つの側面(性格)があった。①アメリカの新植民地主義戦争、②ベトナム民族による民族解放闘争、③冷戦の一環(中国共産主義封じ込め)としての戦い。(丸山静雄、日本大百科全書

 推定ではあるが死傷者数300万人超の戦争であった。(横浜市:370万人、大阪市:270万人の人口である)。戦争参加者数は分からない。ベトナム反戦運動は世界的なものであった。

とくに戦争当事国アメリカの中で,自国の戦争政策に反対して行われた運動は,軍隊内部での抵抗をも含めて,第1次世界大戦末期の帝政ロシアでのそれを除いては前例のない規模であったし,また侵略と戦うベトナム人民に対する各国人民の連帯・支援の行動も,義勇軍派遣こそなかったが,スペイン内乱への国際的支援の規模をはるかに上回った。(世界大百科事典

ベトナム反戦運動について、丸山はこう書いている。

ベトナム戦争が激化するとともに、これに反対して世界各国に繰り広げられた反戦・平和の広範な市民運動。 アメリカのベトナム介入は、共産主義を不道徳、邪悪なものとして、その脅威からアメリカ的民主主義アメリカ的生活様式を守らなければならないと決意したときに始まった。しかし、そうした行動は、アメリカの憲法国連憲章国際法、国際条約に違反し、アメリカの歴史的・伝統的精神にもとるのではないかという疑問が生じ、それはアメリカの兵力派遣が加速され、戦闘が激化するに伴って高まった。疑問はさまざまの形をとって現れた。学者や知識人らはいち早くアメリカのベトナム介入の合法性について調査し、分析する委員会を組織した。1965年春、プリンストン大学教授リチャード・A・フォーク博士を委員長として設置された「アメリカのベトナム政策に関する法律家委員会」などである。委員会はアメリカのベトナム介入はいくつかの基本点で国際法に違反しているとの結論を出し、それを公表した。議会では政府のベトナム政策に関する公聴会が開かれ、またテレビ、ラジオ、その他の場でもさまざまの公開討議がなされた。…北爆が強化され、枯れ葉作戦やソンミ事件の実態が明るみに出るにつれてベトナム戦争に対する疑惑はベトナム戦争反対の動きとなって広がり、政府の政策に反対する集会やデモがしばしば挙行された。…ベトナム戦争の内包する矛盾が反戦運動をかき立て、反戦運動がまた戦争への疑問をいよいよ強め、かくて市民の反戦デモンストレーションはアメリカ政府をして北爆停止―和平交渉開始―アメリカ軍の撤退―戦争終結を決意させるにあずかって力あった。(丸山静雄、日本大百科全書

 以上の引用では省略したが、暗号(情報共有と情報秘匿)に関連しては、次のような記述もある。

国防総省ベトナム戦争の全容について調査・研究を行い、これを47巻に上る膨大な「米国防総省秘密報告書」(一般にペンタゴン・ペーパーとよばれる)としてまとめあげたが、その概容が『ニューヨーク・タイムズ』によってすっぱ抜かれた(同紙は1971年6月13日から掲載開始)。これはアメリカのベトナム政策の虚像をはぎ取ることになり、反戦運動に強力な弾みを与えた

ケネディ政権(1961.1~63.11)の特殊戦争…特殊戦争とは特殊部隊による戦争の形態をいう。特殊部隊とは現代版の忍者部隊で、ゲリラ戦、秘密戦(情報収集、宣伝、破壊活動)専門の部隊をいう。民族解放戦争はゲリラ戦によって戦われるとの判断から、ケネディ大統領がアメリカ国内でこうした部隊を養成し、南ベトナムに派遣したのが始まりである。(丸山静雄、日本大百科全書

 

ニクソン大統領のウォーターゲート事件とは、

1972年、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に共和党筋の人物が盗聴装置設置のために侵入して逮捕されたことに端を発した、米国史上最大の政治スキャンダル。裁判の過程で、ホワイトハウスのもみ消し工作、さらには、以前から政敵に対して行ってきた不法な情報活動が明るみに出された。(井上健、知恵蔵2015)

逮捕されたマッコードの裁判証言で、ミッチェル共和党大統領再選委員長(前司法長官)、ニクソン側近のアーリクマン、ホールドマン両補佐官も直接関与していたことが明らかにされて辞任、またディーン大統領法律顧問、クラインディーンスト司法長官も辞任に追い込まれたが、ニクソン大統領自身は事件に無関係だったと釈明した。だが、事件の真相究明のため任命されたコックス特別検察官、ラッケルハウズ司法次官を大統領が解任し、これを不満とするリチャードソン司法長官(検事総長)が辞任したころから、大統領自身とその側近、主要閣僚の大半が事件にかかわってきた疑惑が出てきた。…当時オルソップ記者が書いたように、内国歳入局、FBI、CIAなどが協力しなければ絶対にわからないような事実が次々にマス・メディアに暴露されて…。(陸井三郎、日本大百科全書

 

前回引用した部分を再掲しておこう。

1952年に設立されたアメリカの国家安全保障局(National Security Agency、通称NSA)は、他国へのスパイ活動や通信傍受、暗号解読などを行う、国防総省の諜報機関である。…NSAは設立以来、自らが所有する超巨大コンピュータの力で世界各国の暗号を解読していた。但し、軍事レベルの暗号開発の一方で、暗号は商取引などにも必要であることから、暗号研究自体は民間レベルでも進んでいた。しかしNSAからすれば、民間の暗号レベルの過度な進歩は歓迎できない。なぜなら、国の内外を問わず、不審な動きをキャッチする際の暗号レベルが高度であれば、解読に時間がかかるばかりか最悪の場合暗号が解読不可能になるからである。NSAはテロ組織など、国民を生命の危機に陥れる組織の氾濫を危惧していることもあり、国内で作成された高度な暗号技術の海外への輸出にも、一定のハードルを設けていた。

若干補足すると、

国家安全保障局は…大規模な通信傍受施設やデータベースを利用した国内外の情報通信の収集分析を行っているといわれている。個人情報収集を含む同局の諜報活動は、主に「テロ対策」を名目として正当化されてきた。しかし、2013年に元職員のエドワード・スノーデン氏の告発をきっかけとして、同局が職権を踰越[ゆえつ、裁量の範囲を超えること]するサイバー・スパイ行為を行っていたことが次々に明らかになった。従来、米国家安全保障局は「エシュロン」という大規模な通信傍受システムを運営してきたといわれてきたが、米国政府はそれを公的には認めていなかった。しかし、2013年6月の「ガーディアン」紙および「ワシントン・ポスト」紙の報道によると、同局は「プリズム(PRISM)」とよばれるシステムを運用し、米国を経由する海底ケーブルからの情報窃取、IT企業などの通信網からの情報収集などを行っていたとされている。プリズムの収集対象には個人の通話や電子メールなども含まれていたという疑惑があり、同局の行為がプライバシーの侵害にあたるとして、2013年11月現在、米国国内を中心に批判の声が高まっている。また、プリズムを利用した諸外国要人や大使館への盗聴行為も明らかになり、日本、フランス、ドイツなどの同盟国もその対象として挙げられている。(2013年11月13日更新)(新語時事用語辞典

 通信傍受、暗号解読は、(共産主義やテロの脅威から)国家の安全を保障する(アメリカ的民主主義やアメリカ的生活様式を守る)ために欠くべからざるものであるとの主張の是非についてはここではふれない。しかし、その是非はともかく、国際法違法の行為を為したり、数百万人を殺傷する戦争が許容されるわけではないとする市民感情(理性)を無視すべきではないだろう。

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https://www.philzimmermann.com/images/photos/PRZ_in_Dublin.jpg

 

80年代半ばに反核運動が勢いを失うと、彼は誰でも強力な暗号が使えるようにと、公開鍵暗号技術を利用したツールの開発に着手し、…プリティー・グッド・プライバシー(PGP)という暗号ツールを完成させた。ところが、PGP製作に利用したRSA暗号アルゴリズムはMITが特許を取っており、その権利をRSA社に付与していた。そこでジマーマンがRSA社とライセンス交渉をしていた1991年1月24日、テロ対策法案「上院法案266」が法案として提出された。この法案は、文字などの通信データを、政府が平文の形で取得できるよう設計しなければならないという内容が含まれていた。つまりこれは、暗号ツールの導入を最初から禁止するか、さもなければ政府の意向で暗号を復号化できる設計でなければ許可されないということである。当然これでは暗号としての機能を果たすことはできない。

ジマーマンの「なぜ私はPGPを書いたのか」という興味深い記事がある。

貴方は政治的宣伝活動や税金についての議論、あるいは秘密の恋愛をしようとしているかもしれない。あるいは圧政下の国の政治的反体制者と意見交換しているかもしれない。それが何であろうと貴方は個人的な電子メールや秘密の文書を誰かに読まれたいとは思わない。…私たちが何もしなければ、新しい技術がスターリンも夢見なかったような新たな自動監視能力を政府に与えるだろう。…もしプライバシーが非合法化されたら、非合法なものたちだけがプライバシーを持つ事になるだろう

http://www.e-ontap.com/internet/WhyIWrotePGP-J.html

 テロ対策、独裁国の反体制者、プライバシー。情報共有と情報秘匿。…ジマーマンは、アメリカがスターリンソ連のような「全体主義国家」あるいは「監視国家」になる危険性を感じていたのかもしれない。

 

暗号をビジネスとしてよりは、政治的な動機から作り上げようとしていたジマーマンにとって、これ[上院法案266]は、許されざるべき問題であった。…ジマーマンは上院法案266が通過する前に、急ぎPGPをネット上にアップした。アメリカ国内のサーバからアップされたPGPは、すぐに世界中のネットユーザーによってダウンロードされ、拡散された。初期インターネット時代でありながら、この当時すでに「情報ハイウェイにおいて、国境はただの減速帯にすぎない」というスローガンが掲げられていたが、実際にその通りになったのだ。ちなみに、上院法案266は、市民団体などからの批判により、議会を通過することはなかった。

政治的な問題意識から作り上げたPGPを放流したジマーマンは、まさしくハクティビズムの実践者である。彼こそは早くからハックを政治運動に接続した一人であると言えるだろう。

政治的な目的としてのハックは、安心して利用できる暗号がある世の中に貢献する。社会をハックするとはまさしく、そのようなツールの製作によって法や政策を無効化し、社会変革の可能性を問うものなのである。ハクティビズムは、反権力の象徴として生じたのだ。

ジマーマンがPGPを急いでリリースしようとしたのは、そもそも輸出規制を回避するためではなく、上院法案266のせいで被害を被る恐れのあるアメリカ国民を守るためだったのだ。プログラムのマニュアルには、こんな彼のモットーも書かれていた。<暗号が違法になれば、無法者だけが暗号を手にするようになる>」(レビー)

時代背景からすれば、ジマーマンの行動は理解できるものの、「そのようなツールの製作によって法や政策を無効化し、社会変革の可能性を問う」ことが妥当かどうかは、難しい問題であると思う。

 

PGPの普及は、暗号と言う技術の善と悪を含んだ問題を提起する。ジマーマンが独裁政権の圧政下にある国々の反政府ゲリラがPGPの利用によって情報流出を免れていると述べる一方で、法執行機関は、小児性愛者の日記にPGPがかけられたことで警察が読めず、捜査に支障を来したと批判した。対してジマーマンは「どんなテクノロジーにも良い面と悪い面がある」と主張する。プログラムの製作自体に良いも悪いもない。問題はそれをどう扱うかである。

 

ジマーマンは、「どんなテクノロジーにも良い面と悪い面がある。問題はそれをどう扱うかである。」と言うが、果たしてそうか。武器の製造を、「問題はそれをどう扱うかである」と言って自由に製造させてもよいものだろうか。(日本の「武器等製造法」では、武器の製造を経済産業大臣の「許可制」としている)。こう考えると、暗号プログラムは、武器扱いすべきものか否かの議論になる。

 

ハッカーが作り上げたツールそのものの是非を問う議論は、リークを行うにあたって情報源秘匿技術を開発したウィキリークスをめぐる一連の議論に典型的である。しかし、いずれにせよ創造的行為としてのハックに政治的意識が重なった結果、ジマーマンはハックを政治的な活動に接続させたのである。

暗号を巡る争いは、暗号を自由のために使おうと試みる研究者たちと、暗号による犯罪を防ぎつつ、盗聴によって情報強者を目指すアメリカ政府との戦いであった。時代が下るにつれ政府の立場は劣勢となるが、暗号解禁を目指す人々の戦いは、情報の共有と自分たちの自治獲得を目指すハッカーたちにも歓迎され、彼らもこの戦いに参加するようになる。

権威主義や情報の共有といった理念を持ったディフィーやハッカーたちの活動は政治的なものであり、PGPを公開したジマーマンは、まさしく本書がテーマとするハクティズムを早くから実践した人物であると言える。

ハッカー倫理に根差した彼らの活動は、1970年代にパソコンの普及を目指したハッカーたちとはまた異なる活動であるが、こうした暗号に関わる活動の中で、技術の発展は社会にとって有益であるという確信と、技術発展にとって障害となる権威に対する猛烈な嫌悪など、ハッカーたちの政治性はより顕著な傾向をみせるようになる。

 「自由のための戦い」、「反権威主義」、「情報の共有」、これらの理念が、9.11テロ以降、変容を迫られたのか否か興味ある論点である。