浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

大盛りねぎだくギョク 繋がりの社会性

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(18)

第4章 仮面の集団アニニマス の続きである。塚越は、ゲームフィケーション*1とスラックティビズム*2について述べているが、詳細は省略し(必要があれば、後で参照する)、次の要約のみ引用しておく。

ゲームフィケーションとスラックティビズムが善か悪かと論じることはしない。重要なのは、ゲームフィケーション的設計と大衆の善意を組み込むことで、大衆が容易に参加し得る運動が現実に生じていることにある。そしてアノニマスは意識的か無意識的かにかかわらず、その活動過程において自発的にゲーム的要素が組み込まれていることから、容易に抗議を可能とする。さらに善意から生じるスラックティビズムによって、人々を強く動員することが可能となったのである。 

 

大衆動員とハクティビズム

大衆動員力を持つハクティビスト集団としては、ウィキリークスアノニマスが挙げられる。彼らは大衆の力を利用することで、その勢力を増してきた。前者はメディア戦略とジュリアン・アサンジという「アイコン」によって支持者を増やし、後者は仮面を通した「祭り感」を煽ってきた。両者の大衆動員戦略をみてみよう。

ウィキリークスが影響力を持った理由としては、まずもって安全なリーク情報の受け渡しを可能にしたことにより、多くの人々からリーク情報を収集したことにある。しかし人々を吸引したのは、そうしたリークツールの開発以外に、既存メディアとの協調路線による宣伝効果、そしてアサンジ個人のパーソナリティにある。彼のメディア露出や賛否両論を含めた議論の喚起によって、ウィキリークス知名度が向上したことは間違いない。反面、ウィキリークスがアサンジというアイコンに依存すればするほど、アサンジ抜きにはウィキリークスの運営が、知名度という意味において事実上困難になってしまったことも事実である。本書ではウィキリークスの大衆動員方法を「人称的動員」と呼ぼう。

 ウィキリークスについては、①安全なリーク情報の受け渡し(「安全な」ということが重要である)。②既存メディアとの協調(ジャーナリズム精神を保持しているメディアとの協調)、③アサンジというアイコン の3点を覚えておきたい。「アサンジ抜きにはウィキリークスの運営が、知名度という意味において事実上困難になってしまった」ということであれば、ブランド形成に成功しなかったということなのかもしれない。

 

対して、アノニマスを代表するのは人ではなく仮面である。アノニマス内部ではチャットを通して抗議に関する意見が集約されるが、他方で内部派閥の存在するように、組織としての意見は多様、というより統一は不可能である。にもかかわらず、彼らは情報の自由を守るというその抽象的な大義を、仮面を通して宣言する。アノニマスの宣言動画やデモに現れるメンバーの姿を見るとき、我々は、大勢の仮面を被った匿名の群衆がまるで一つの「アノニマスという意志」に凝縮されているかのような錯覚に陥る。即ち、アノニマスは匿名集団でありながら、仮面を用いたことで、アサンジにも負けず劣らずのアイデンティティを確立している

「匿名集団が、ガイ・フォークスの仮面かぶることで、アイデンティティを確立する」という見方は、なかなか面白い。しかし、それは脆いアイデンティティでもあるようだ。

 

さらにアイデンティティを確立したアノニマスは、さらにサイバースペース上において、その奇妙な仮面を用いることで、彼らの抗議が一種の「祭り」として認識される。それはとりわけティーンエイジャーの目に魅力的に写り、彼らを正義の意志へと駆り立て動員する。無論DDoS攻撃*3など逮捕の可能性もある抗議によっては、覚悟を持たないティーンエイジャーを犯罪へと誘導することにもなる。何にせよ、ここではアノニマス大義と仮面を通した動員を「半人称的動員」と呼ぼう。あるいは日本的な文脈で言えば「キャラクター的動員」と読み換えることも可能だろう。キャラクターに抗議者の意志を代弁させることで、人為的で政治的なにおいを消し去るのである。ここにキャラクターが生むゲーミフィケーションの要素と、正義を喚起するスラックティビズムの要素がみてとれる。このキャラクターを用いた会話や、そこから目標に向かって盛り上がる祭り的要素は、日本のインターネット空間言においても頻繁にみられる。その政治性は別としても、アノニマスに人々が魅了され、その活動に動員される要素には、日本の2ちゃんねるに類似した構造が見受けられる。

「キャラクター的動員、祭り」ともなれば、参加者の正義感は薄っぺらいものであるように思われる。

 

ハッカーの参加-繋がりの社会性

北田暁大は…2ちゃんねる を代表とするネット上の匿名コミュニケーションの本質を、ネタを通したシニカルな嗤い*4による繋がりを希求する「繋がりの社会性」であると述べた。2ちゃんねるでは通常他愛もない日常の出来事から社会問題についてまで幅広く議論が為されるが、それは議論の内容よりも議論する際に行われるコミュニケーションそれ自体を求めるものであり、一見すると政治的な発言も、本質的には脱政治的であるという。つまり2ちゃんねるにおける目的とは、議論によって結論を下すことではなく、議論に用いられるコミュニケーションそのものに主眼が置かれており2ちゃんねる発のオフ会やイベントも、ひとえに目的達成以上にそこでなされる広義のコミュニケーションが参加者にとっては重要なのである。 

 2ちゃんねるはそうである(そうだった)かもしれないが、「ネット上の匿名コミュニケーション」のすべてが「繋がりの社会性」を本質とするとは限らないように思う。議論によって結論を下すことを目的とする、真っ当な「ネット上の匿名コミュニケーション」があってもよいだろう。

アノニマス誕生の契機となったアメリカの画像掲示板4chanもまた、2ちゃんねる同様にネタを介したコミュニケーションで溢れかえっているが、アノニマスも盛り上がりのネタとしてデモやDDoS攻撃を実行しているのだろうか。アノニマスの活動によって逮捕される者にはティーンエイジャーが多く、政治的な意識というよりは、まさに盛り上がりのネタとして活動に参加していたとも解釈できる。

こうした行為は2ちゃんねる特有の「ネタ=嗤い」の文化と同様のものであり、少なからずそうした影響はアノニマスにも伝わっている。しかしこれは必ずしもネガティブなものとは限らない。ガイ・フォークスの仮面は抗議対象者から顔を見られないためという実利的な用途として用いられる以外にも、彼らのネタ=嗤いの文化の中から祭り感を自分たちで煽るために用いられたという要素もあった。結果的にそのネタ的要素としての仮面によって、アノニマスは組織としてのアイデンティティを獲得したのである。そしてこの要素はアノニマスハクティビスト集団としての特異性を際立たせることになる。

ネタ=嗤いの文化と自己目的化されたコミュニケーションが生じさせる現象の一つに「フラッシュモブ」(「一瞬の群衆」あるいは「閃光の暴徒」とも訳される)という現象がある。伊藤昌亮によればそれは、「インターネットや携帯電話を通じて呼びかけられた見ず知らずの人々が公共の場に集まり、わけのわからないことをしでかしてからすぐにまた散り散りになること」、といった意味を持つという。

フラッシュモブ現象は2000年代中頃から欧米圏を中心に流行した現象であるが、伊藤によれば、欧米に先駆けて日本では2000年代前半からフラッシュモブ現象がみられていた。それは主に2ちゃんねるで「オフ会」名義で行われたものであり、代表的なものとしては2001~04年にかけて集中した、指定された時間に牛丼チェーン店の吉野家に集まり、決められたルールで牛丼を食べるという「吉野家オフ」などが挙げられる。こうしたフラッシュモブは明確な政治的目的を持たないものではあるが、アノニマスの活動に少なからず影響を及ぼしているのは確かだ。

吉野家オフ」は知らなかった。次のレポートを読んで下さい。→ http://akadou.k-server.org/2chday2.html

下の写真を見れば分かる通り、何の変哲もない「大盛りねぎだくギョク」である。それが、同時多発的に、あるルールのもとで行われることによって、「わけのわからないもの」(ナンセンス)になる。ふーむ。これは人生のパロディに違いない。これを考え出した人は、哲学者である。

 

大盛りねぎだくギョク

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http://www.chukai.ne.jp/~karuha/oomorinegidakugyoku.jpg

 

いずれにせよ、アノニマスにはハッカー倫理の後継者として参加するハッカーもいれば、気軽な気持ちで活動に参加する非ハッカーまで、個々人の参加理由は様々である。ハッカー主体の政治運動であったハクティビズムは、アノニマスに限って言えば、ますますハッカー倫理やハッカーの伝統から乖離していると言えるだろう。逆にアサンジ率いるウィキリークスは、ハッカー倫理を正当に引き継いでいる。アノニマスの活動はそれまでのハクティビストのそれと何が異なるのか。それまでのハクティビズムはツールを製作することで政策無効化戦略を引き起こし、間接的に社会の変化を促していた。つまり創造的なツールの開発によって、否応なしに社会をハックし、変化させるのである。

政策無効化とは「特定の政策や法に反対する際、ただ反対するだけでなく、技術を用いてその政策や法を実質的に無効化すること」。サイバースペースの自治から現実の社会改革へ 参照。

対して、アノニマスの活動はDDoS攻撃やデモ、時に抗議対象のシステムへの不正侵入と情報流出を実行するなど、対象となる企業や政府などに直接的な抗議を行うことにあるが、彼らには目新しいツールを製作するといった活動は現状ではあまり見られない。とすれば、これまで論じてきた、創造的で創意工夫に満ちたハックの精神でツールを製作・使用し、社会を間接的に変化させるという、ハクティビズムの定義からアノニマスは外れることになる。しかしアノニマスがインターネット上で政治的な抗議を続けており、DDoS攻撃などの手段によって、ハクティビズムに限りなく近い活動を実践していることは事実である。これまでのハクティビズムとアノニマスの差異は、独自のツールを製作するか否かといった問題以上に、社会をどのようにハックするかというその方法論に見出させる。これまでのハクティビズムが政策無効化戦略によって間接的な社会のハックを志向するのだとすれば、アノニマスはより直接的に、実力行使でもって社会をハックする手段を採用していると考えられるだろう。

アノニマスが、「システムへの不正侵入と情報流出」を試みるならば、それは違法行為とされ、取り締まりの対象となる。

アノニマスは、必ずしも技術力をもったハッカーたちに限定されず、広く一般大衆の中からもその理念に賛同し活動に参加する者たちがいる。彼らがインターネット上で抗議活動を展開するには、技術ではなく、いかにユニークな抗議を展開するかが重要になる。その意味でアノニマスにとってのハックとは、技術的な創意工夫ではなく、抗議の方法論に関して創意工夫を施すという意味のハックなのである。彼らが仮面を用いてその存在をアピールする方法は、まさに彼らの創意工夫が可能ならしめるハックのありかたであり、正統派ハクティビストがするものではない。なぜならそれは2ちゃんねると同様のネタ=嗤いの文化、自己目的化されたコミュニケーション様式と祭りを煽る独特のインターネット文化の影響があってこそ誕生したものであるからだ。 

アノニマスがしっかりとした運動の方法論*5を持たないものであれば、それは一過性の「お祭り」に終わるだろう。

 

さらにアノニマスの活動に特徴的なものとして、インターネットと携帯電話が可能にした運動の潮流がある。それはスマートモブという現象であり、それによってハッカーだけでなく、広く大衆が実践する新しいタイプのハクティビズムが誕生した。ではスマートモブとはどういうものか。

インターネットや携帯電話を用いて情報交換をし、リーダー不在のまま緩やかな組織化がなされる現象を、ハワード・ラインゴールドは「スマートモブ」と呼ぶ。モブとは群衆、大衆、あるいは暴徒を意味することもあり、携帯を片手に緩くつながるスマート(利口)な「スマートモブズ(賢い群衆)」である。スマートモブズがその力を発揮した例としてラインゴールドは、携帯電話のテキストメッセージを転送することでデモを組織し、平和的に大統領を追放した、2001年のマニラにおける「ピープルパワーⅡ」を挙げている。その他近年の例で言えば、2011年初頭に生じた中東革命におけるSNSを介した情報伝達が記憶に新しい。各国のスマートモブズは、携帯電話とSNSを利用することで、デモなど人の動員を効率的に行った。さらにそれは、緩やかな繋がりの中で運動のルールを決め合ったオキュパイ・ウォールストリートでも実践されている。

「スマートモブズ(賢い群衆)」とは、持ち上げ過ぎだ。平和と民主主義を希求する一般大衆(若者世代は、インターネットやSNSを使いこなす)といったところだろう。そして、彼らが組織されるにはリーダー的存在(一人とは限らない)が不可欠であると考えられる。

オキュパイ・ウォールストリートについては次回に。

*1:ゲームフィケーション(gamification)…ゲームの考え方やデザイン・メカニクスなどの要素を、ゲーム以外の社会的な活動やサービスに利用するもの。

*2:スラックティビズム(slacktivism)…怠け者でも参加できる政治・社会運動。スラッカー(slacker、怠け者)+アクティズム。

*3:DDoS攻撃…インターネットを通じて多数のコンピューターから大量の通信負荷をかけ、標的となったサーバーに通信障害などを引き起こす攻撃のこと。攻撃元が特定できる「DoS攻撃」に対し、DDoS攻撃は多数の第三者のコンピューターを利用し特定サーバーに攻撃をかけるため、大元の攻撃者がわからず、また従来のファイアウォールやアクセスリストといった手段では攻撃を防げない。(知恵蔵mini)

*4:嗤い…あざける、嘲笑するの意。「人の失敗を嗤う」「陰で嗤っている」「鼻先で嗤う」

*5:しっかりとした運動の方法論がどういうものであるかは、いまは何とも言えない。