浮動点から世界を見つめる (旧:気の向くままに)

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

エージェントと構造 プリンシパル=エージェント関係

 久米郁男他『政治学』(19)

今回は、第7章 国内社会と国際関係 第3節 国際関係をどう見るか の続き、「エージェントと構造」である。ここで述べられていることは、「国際関係では、国家の行動が国際関係における国家間のパワーの配分という構造によって決定されるだけでなく、国際関係の構造自体が国家の行動によって再生産される。」(A)ということに尽きるのではないかと思われる。この(A)がどういう意味なのかの説明はなく、つぎのように言い換えられる。

[国際関係の]アクターは国際システムの構造から制約を受けるし、国際関係のアクターの行動は国際関係の構造に影響を与える。

これはまた次のように言い換えられる。

この点の指摘は、近年、「エージェントと構造」(agent-structure)の問題としてヴェントによりあらためてなされた。エージェントと構造は、国家と国際システムと言い換えてもいいだろう。

エージェントと構造の関係を重視する立場からは、国際システム(構造)は国家や個人(エージェント)にどのような影響を与えているのか、という問題だけでなく、国家や個人はどのように国際システムのあり方に関係しているのか、という問題が提起されたのである。

 こういう説明を読むと、頭が混乱する。「エージェントと構造」と抽象することによって、何が言いたいのだろうか? そういうタイトルの学説があるという紹介なのだろうか。アクターとエージェントはどう違うのだろうか。…ということで、この「エージェントと構造」をとりあげるかどうか迷ったのだが、WEB検索から気になったところをメモしておこう。

 

まず、プリンシパル=エージェント理論について、(以下、Wikipedia

プリンシパル=エージェント関係とは、行為主体Aが、自らの利益のための労務の実施を、他の行為主体Bに委任すること。このとき、行為主体Aをプリンシパル(principal、依頼人、本人)、行為主体Bをエージェント(agent、代理人と呼ぶ。

これは明快である。また次の言葉を覚えておきたい。

エージェンシー・スラック(agency slack)とは、エージェントが、プリンシパルの利益のために委任されているにもかかわらず、プリンシパルの利益に反してエージェント自身の利益を優先した行動をとってしまうこと

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https://eugenia-heldt.com/research-projects/

 

経済学で対象となるプリンシパル=エージェント関係とは、

株主プリンシパル)と経営者(エージェント)、経営者プリンシパル)と労働者(エージェント)など

経営者は、エージェントにもプリンシパルにもなる。株主との関係において、経営者が実質的にエージェントであるか否かについては議論を要する。

プリンシパル=エージェント関係において、エージェントが誠実に職務を遂行しているか否かを逐一監視するには、プリンシパルは多大な労力を払わねばならない。特にプリンシパルが多くのエージェントに多くの業務を委任すれば、十分な監視がより困難になるため、エージェンシー・スラックによる利潤減少やエージェンシー・スラックを防止するための監視コストなどのエージェンシー費用が生じてしまう。また、弁護士や会計士などの専門家に対して専門的な業務を委任する場合は、たとえプリンシパルがエージェントを監視できたとしても、エージェントの行動の適否をプリンシパルが判断するのは非常に困難である。このように、エージェンシー・スラックは情報の非対称性に起因するモラル・ハザードの一種であり、市場の失敗の一例である。

専門家に業務の委任をする場合、適正に業務遂行されるための保証として、「公的資格」があるのだろう。

 

政治学(特に合理的選択理論)で分析の対象となるプリンシパル=エージェント関係とは、

政治家プリンシパル)と官僚(エージェント)、議院内閣制における与党議員プリンシパル)と内閣(エージェント)、首相または大統領プリンシパル)と閣僚(エージェント)など

ここでは、政治家がプリンシパルとされていることに留意しておこう。国民は出てこない。

官僚によるエージェンシー・スラックがよく問題となるところである。

現代の民主政治では議会が立法権を掌握する場合が多い。ただし、政治家自らが法案を起草するよりも官僚に委ねた方が、立法作業にかかる多大な労力を官僚に肩代わりさせるという意味で、政治家にとっては合理的である。しかし、政策課題の問題状況、既存の政策の実施状況、新しい政策と法案を立案する上での専門知識などについて官僚(エージェント)は、政治家(プリンシパル)よりも情報優位者である。よって、情報の非対称性を利用して、官僚が政治家の選好から逸脱した法案を作成し政策を実施してしまう可能性がある。…政治家に代わって官僚が法案を作成していたとしても、官僚が政治家の政策選好に忠実に従っているのか(政党優位論)、官僚が勝手に行動しているのか(官僚優位論)を一概に断定することはできない。

「官僚は、政治家よりも情報優位者である」というのは、厳然たる事実であろう。民主主義体制において官僚をどのように位置づけるべきかは重要な課題である。本書において、今後「官僚論」が出てくるであろうからその時に考えてみることにしたい。

 

本書では、「アクター」という言葉は、説明なく使用されているようだ。いったい誰を指すのかよく分からない。Wikipedia(「政治学史」)は、「有権者・政治家・政党・議会(立法府)・行政府・官僚等の政治的アクター」と言っているが、本書の国際関係におけるアクターは、「国家」と考えられているようだ。

では、国際関係におけるプリンシパルとエージェントは誰なのか。「国家」は、プリンシパルなのかエージェントなのか。本書は、「エージェントと構造は、国家と国際システムと言い換えてもいい」と言っているので、国家はエージェントであるとみているようだ。この場合、プリンシパルは「国民」か。

「構造」を「国際システム」と言ったり、「国際関係の構造」とか「国際システムの構造」とか「国家間のパワーの配分という構造」とか言っている。いったいどういうふうに使い分けているのだろうか。

国際機関や国際法はどういう位置づけにあるのだろうか。

冒頭の(A)は、どういう意味なのだろうか。全く当たり前のことを言っているようにも思えるし、そうでないようにも思える。

 

最後の段落で、プリンシパル(本人)=エージェント(代理人)関係が述べられている。

国民[本人]の負託を受けた政府[代理人]が、国際関係における問題に対応する。各国はそれぞれの国民の負託を受けていると考えると、代理人間での調整が行われる(これが対外政策、外交などと呼ばれる)。また国家は、国際組織に参加することによって国際組織に問題の解決を委ねる場合もある。この場合、国民の代理人である国家と国際組織との関係を、さらに本人―代理人と見ることもできる。

国民[本人]と政府[代理人]、そして国家[本人]と国際組織[代理人]というわけである。

 

しかし、このように言い換えたからといって、どのような知見が得られたというのか。

大事なことが述べられていないと感じる(例えば、目標goalとか効用utilityとか)。

後で説明があるのかもしれない。

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http://giants.ir/en/agent-structure/