浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱わるべし

井上達夫『共生の作法-会話としての正義-』(10)

今回は、第2章 エゴイズム  第2節 形式的正義の「内容」の続きである。

正義の理念を定式化する最も有名な命題は「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱わるべし」である。この命題は、何が等しく何が不等なのかについて何も述べていない。その意味で形式的である。しかしこの形式性の故にこそ、それはあらゆる正義観・正義感覚を包摂する正義理念の表明たり得るのである。

「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱わるべし」を、ここでは「正義の命題」と呼ぼう。これは何について述べている命題なのかわからないので、これだけでは「実践的な指針」となり得ない。ある問題について、「平等に扱え」ということを主張するために、この正義の命題を持ち出しても、説得力ある論拠になるとは考えられない。ではこの命題は、ナンセンスな命題なのか。

井上は、この命題を「この形式性の故にこそ、それはあらゆる正義観・正義感覚を包摂する正義理念の表明たり得る」と言う。どういう意味か。

「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱わるべし」は、何も言っていないのではない。「等しきもの/不等なるもの」は、実質を補充されるべき形式となっている。「料理を盛り付ける器」と言ってよいかもしれない。

ただし、この器は「等しきものは等しく」盛り付けるものである。だから「あらゆる正義観・正義感覚を包摂する」ものであるかどうかはわからない。創作料理には、その料理にふさわしい器があるだろう。

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すべて正義観はこの等・不等の基準をめぐって対立している。スゥーム・クイック(suum cuique)は、「各人の権利・権限に応じて」を、このような基準として提示する一つの正義観の表現である。

確かにこの基準自体きわめて抽象的であり、何が各人の権利・権限かを決定するためには更に具体的な基準が要求される。この具体的基準をめぐって、この正義観の内部でも更に多くの立場の対立がある。いかなる実定法規によっても侵害できない自然権が存在するかという法哲学の古典的問題をめぐる対立は、そのうちの最も重要なものの一つである。しかし、それにも拘らず、スゥーム・クイック(suum cuique)は、上述したようにすべての正義観に対して中立的であるわけではない。

こういう文章を読むと、例えば「同一労働同一賃金」の原則が思い浮かぶ。どういう原則か?

性別・年齢・人種などの違いにかかわりなく、同じ質と量の労働に対しては同一賃金を支払うべきであるという原則。(デジタル大辞泉

同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念。性別、雇用形態(フルタイム、パートタイム、派遣社員など)、人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のこと。さらに同一価値労働同一賃金とは、職種が異なる場合であっても労働の質が同等であれば、同一の賃金水準を適用する賃金政策のこと。(Wikipedia)

同一労働同一賃金とは:同一労働同一賃金の導入は、同一企業・団体におけるいわゆる正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者)と正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指すものです。(厚労省同一労働同一賃金特集ページ、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000144972.html

政府(厚労省)は、「同一労働(等しきもの)、同一賃金(等しく)」の原則を、非正規雇用労働者の待遇差改善を目指すものとしているが、その実効性は疑わしい(いずれ「同一労働同一賃金ガイドライン」を検討する)。人はいろんな仕事をしているが、「全く同一の仕事」はあり得ない。この一点だけでも、難しさが想像される。

政府は「同一企業・団体」と言っており、「同一職種」と言っていない。さらに「同一の労働の質」とも言っていない(Wikipediaの説明参照)。この「格差」を問題視しなくて良いのか?

より根本的には、「労働の質が同一であれば、同一の賃金を」という主張自体、検討されるべきである。

スゥーム・クイック(suum cuique)(各人の権利・権限に応じて)自体、検討されるべきである。