浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

自由競争、万歳 !?

アルフィ・コーン『競争社会をこえて』(21)

今回は、第3章 競争はより生産的なものなのだろうか-協働の報酬 第4節 経済的な競争 の続き(p.115~)である。

市場にもっと競争を導入するという目的で規制が緩和されるならば、こうした競争の真の結果がどのようなものなのかを再び目の当たりにすることになる。競争の長所が、人びとに幻想を与え、短命で、また選択的なものであることが明らかになっている。

規制緩和と競争促進が何をもたらしたかの詳細は、別途考えることにしたい。(私は、直感的に「格差」、「不平等」が最重要な問題であると感じている)。

コーンは、価格の問題にふれているが、詳細説明がないので、コメントしないことにする。

利潤を求める競争が、生産の速度を上昇させ、量的な拡大を招く場合でも、が犠牲になっているかもしれない。例えば、ノーマン・リーアは、放送局の間で競争が行われる直接的な結果として、テレビ番組が甚だしくつまらないものになっていると強調している。

財・サービスのを考える視点は重要だろう。それが価格とどう関係してくるか、すべて価格に反映されると言ってよいのか。論点の一つであるように思う。 

「競争の目的は、より良い生産物を生みだすというよりも、市場で勝利することの一環であることが多い。たとえ優れたものではない場合でも、優れたものであることを立証しようとするのが、競争なのである。競争は、より良い生産物を作り出すことよりも、買い手を獲得することのほうを際立たせるのである」(W.コームス)

より良い財・サービスを生み出す競争」と「競争相手に打ち勝ち、利益を得るための競争」(金儲けの競争)…私たちの「経済システム」(経済体制)が、どちらを志向しているか。ここが問題である。 

競争は、質だけではなく、安全性も低下させてしまう。ほとんどの生産物についてそう言えるように、航空機についても、「経済的な観点から見た最も素晴らしいデザインは、安全性からみれば最悪のものなのである」。メーカー間の競争が激しければ激しいほど、安全性に払われる配慮が少なくなると考えられる。
見てくれだけよく組み立てられたDC-10に言えるのは、ライバルを打ち負かそうとして製薬会社が軽率に市場に出してしまった危険な薬や、汚染防止装置を備え付けることによって競争力が鈍ることを恐れる企業からはき出された廃棄物にも当てはまるのである。

コスト削減のために安全性を軽視する事例は無数にある。直近では、三菱電機の不正が話題になっている。

最後に見落としてはならないのが、経済的な競争に係る非経済的なコストである。そのなかには、共同性と社会性の喪失利己主義の増長、またその結果として生じる不安、敵意、強迫観念、個人主義の抑圧が含まれるとされてきた。全体的に吟味してみると、不十分な議論であることは明らかだが、こうした不十分な議論からでも、どんな経済的な競争も一般に考えられている以上に曖昧な命題なのだと結論づけることができるだろう。
ここでは、不公平な競争を批判するのはお門違いであると言いたいわけでも、あらゆる経済競争が等しく有害であると言いたいわけでもないということを、再び強調しておきたい。

赤字にした部分、「共同性と社会性の喪失」、「利己主義の増長」、「不安」、「敵意」、「強迫観念」は、「金儲けの競争」に本来的に付随するものであるように思われる。(個人主義の抑圧というのはよくわからない)

これらの詳細説明はないのだが、実際その通りだろうと思う。

 

絵本:「自由競争」のひとコマ(作:東郷潤)

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この絵本なかなか面白い。最初からお読みください。https://www.j15.org/Money/FreeCompetition/index.html

 

こうした議論が現在の経済システムの根本的な基盤に疑問を投げかけようとはしているものの、代替案について考えているわけではないということも明記しておこう。
自己利益の原理よりも、集団的な利益の原理に立つものでさえも、中央集権化された経済である限り、何らかの競争が無ければ機能し得ないのはもっともなことである。

中央集権的(計画)経済と競争の関係は、詳細な議論が必要だろう。

けれども、肩をすくめて競争の不可避性を受け入れるよりも、脱集権化の可能性、例えば小規模な協同組合などを考えてみるべきではないだろうか。職場における様々な協力のモデルが、競争しあう企業よりも明らかに生産的であるという証拠は確かにある。競争に代わる代替物を求める際に、経済的な領域における生産性を考察だけでなく、本章で検討されたすべての研究、即ち、競争が業績に貢献するのだという神話に挑む研究が、知的な糧を与えてくれることになるだろう。

コーンはここで代替案を提示しようとしているのではない。代替案を提示する前に、まずもって「競争が業績に貢献するという神話」を打破しなければならない、というのである。