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気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

音楽の力 (オリバー・サックス)

吉成真由美『知の逆転』(6)

今回は、オリバー・サックス(Oliver Sacks、1933-2015、イギリスの神経学者)に対するインタビュー(その2)。

 

音楽の力

音楽は、人間の閉じ込められた欲望や記憶を体から解放し、人間に落ち着いたまとまりをというものをもたらし、人間同士を繋ぐ役割を果たす。

オリバー・サックスはこのように言っているという。しかし、どんな音楽でもというわけにはいかない。私にとっては、これまでYYJTとして紹介してきた曲*1が、これに近い。

 音楽の力というものを強く意識したのは、パーキンソン病の患者に触れた時と、音楽がないと完全に動きも言葉も思考も停止してしまう『レナードの朝』に出てきた嗜眠性脳炎(精神疾患は治療できるのか?(オリバー・サックス)参照)の患者を診た時です。音楽がなっている間は、ダンスをすることも歌うこともできて、音楽が彼らをほぼ正常に戻すと言ってもいいのですが、音楽が止まったとたんにその力も消え失せてしまう。

私は特に老人ホームで働くことが多いのですが、80歳を過ぎた老人のほぼ半数は、残念ながらアルツハイマー病を患って認知症になっています。…アルツハイマー病患者の場合、知っている音楽でないと効果が出ません。古い音楽や、昔の歌です。うつろだったり興奮している患者も、音楽に対して静かに聞き耳を立て始め、涙を流したり微笑んだりするのです。音楽は、昔それを聴いていたときの感情や情景の記憶を呼び覚ますからでしょう。これらの感情や情景を、音楽なしに直接呼び覚ますことはできません。個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。

音楽の才能あるいは感受性というものは、それ自体が独立していて、知能が低いあるいは自閉症の場合でも、驚くべきレベルまで到達することができるようです。

 音楽(音)が、脳(こころ)の構造と機能のどこに位置づけられるのか、興味深いところではある。…「音楽療法」もあるかもしれない。

 

宗教と幻覚の関係

キリスト教をはじめ、様々な異なる宗教を持った人たちと関わってきました。寛容さや他者への思いやりといったことが、程度の差こそあれあらゆる宗教に通底する概念であると同時に、現在世界を席巻しているそれとは反対の偏屈な信念や狂信的行動も、宗教に共通しています。

おそらく自ら信ずる宗教については、「偏屈な信念」や「狂信的行動」ではないと主張するだろう。そして当該宗教を信じない者にとっては、まさにそこが問題である。信仰者は、「論理的思考」を拒否し、「信仰」を強調する。議論(話し合い)が成り立たない。では、どうすればよいのか。

 

次のサックスの言葉にヒントがあるように思う。

私自身は特に形而上的な欲求を感じてはいません。宇宙の星や、原子、動物、人間、音楽、人間の行動などの説明のために、宇宙の外にいる存在をあえて必要とはしないからです。

最近95歳で亡くなった素晴らしい指揮者がいましたが、彼は年の暮れになるといつもヘンデルメサイアをやっていたわけです。彼によるとメサイアというのは、もともとイタリアの卑俗なラヴソングから来ていて、「そもそも神聖な音楽や、宗教的な音楽、軍隊の音楽なんていうものはない。あるのはただの音楽だけで、それがいろいろな状況で、さまざまな目的に使われているだけのこと」だというのです。彼は特にブラームスベルリオーズヴェルディのレクイエムを好んで演奏していたのですが、これらの作曲家たちはみな無宗教者であったわけで、宗教の高い感性や想像力を表現するのに、宗教的な信仰は必要ないのだと、いつも聴衆に説明していました。

友達のジョナサン・ミラーは毎年、人々が感極まって涙にくれてしまうほど、それはそれは見事なバッハのマタイ受難曲を演奏するのですが、あるとき演奏が終わった後、歓喜に震えて涙している聴衆を尻目にこう言ったのです。「無宗教ユダヤ老人が指揮したにしちゃあ、悪くない出来だったろう」と。

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http://ototori.up.n.seesaa.net/ototori/image/mes21_Miralles_Francisco_Flores_Silvestres.jpg?d=a0

 

信仰心はなくても、心に響く曲はある。バッハのマタイ受難曲ヘンデルメサイアなどを、キリスト教徒以外が聴いてはならないということはない。…共感する感受性があれば、争うことはないだろう。人の差異など、わずかなものである。

 

メサイアが、イタリアの卑俗なラヴソングから来ている」というのは面白い。宗教があって、それに曲をつけたというのではなく、最初に曲があって、後で宗教をもってきたと言うのだ。そうであるならば、ヘンデルメサイアを聴いて、良からぬことを感じた(思った)としても怒られはしないだろう。

 

*1:YYJT(全角)で、ブログ内検索してみてください。