浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

論理的推論 ウェイソンの「4枚カード問題」

伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』(8)

※ 「4枚カード問題」については、4枚カード問題(ウェイソン選択課題) 確証バイアス でもとりあげています。(2019/5/30)

※ 紛らわしい部分があり変更しました(前提P→前提R)。(2017/1/20)

今回の記事のメインは、ウェイソンの「4枚カード問題」であるが、その前に「演繹的妥当性」についてみておこう(わかりきったことだと思われる方は、飛ばして下さい)

なお伊勢田は、ここでは、「論理学を学ぶと何ができるのか、どういう御利益があるのか」のみを紹介している。

 

演繹的妥当性

CT(クリティカルシンキング)の観点から言えば、論理学の重要な特徴は、妥当な推論とそうでない推論とを見分ける手段を提供してくれることである。論理学では「妥当」と言う言葉が非常に厳密な意味で使われる。前提がすべて正しければ必ず結論も正しいような推論のことである。…この厳密な意味での妥当性をもっとゆるい意味での妥当性から区別するため、本書では論理学で言う妥当性を「演繹的に妥当」と呼んで区別する。

私はふだん「ゆるい意味」で「妥当」という言葉を使っているが、論者の文脈によっては「演繹的に妥当」の意味で使われているかもしれないので、要注意である。

 

式3-1は演繹的に妥当な推論であり、式3-2は演繹的に妥当でない推論である。

式3-1(演繹的に妥当な推論)

 前提1 うちの教授は猫を飼っている

 前提2 猫は哺乳類である

 結論  うちの教授は哺乳類を飼っている

式3-2(演繹的に妥当でない推論)

 前提1 うちの教授は哺乳類を飼っている

 前提2 猫は哺乳類である

 結論  うちの教授は猫を飼っている

演繹的に妥当な推論において、前提が正しく結論が間違っている状態を想像できないのは、実はすでに結論についての情報が前提の中に含まれているからである。

演繹的に妥当でない推論では、前提が正しくても結論が間違っている状態を想像できる。うちの教授が飼っているのはカモノハシかもしれない。

  

演繹的な妥当性は、もっぱら推論に関する基準である。

式3-3(演繹的に妥当な推論)

 前提1 うちの教授は猫である

 前提2 猫は哺乳類である

 結論  うちの教授は哺乳類である

前提1はあからさまに変であるが、それをチェックするのは論理学の仕事ではない。式3-3は演繹的に妥当な推論であるが、だからといって、議論全体として妥当だということにはならない。…議論は前提と推論からなるが、論理学は前提の妥当性については基本的に口を出さない。前提そのものが論理的な矛盾を含む(これを自己論駁的と呼ぶ)場合は別だが、これは日常の議論ではめったに起らない。

経済学等で使う数学は、ここで言う「推論」にあたる。したがって、推論の正確性は当然のこととして、経済学等が検討すべきは、結論と前提(特に前提)をチェックすることだろう。

 

では、演繹的に妥当な推論とそうでない議論を見分けるにはどうしたらいいか。

判定方法の古典中の古典は、アリストテレスがまとめた三段論法である。…代表的な三段論法であるいわゆる「定言的三段論法」(「AはBである」型の主張だけから組み立てられている三段論法)については、最終的に24のパターンが妥当な推論であることが知られている。…昔の人はこれらのパターンを九九のようにして暗記していたのだが、現在ではベン図を書いて三段論法の演繹的妥当性を調べるという賢い方法が開発されているので暗記の必要はない。

三段論法は扱える主張のタイプが非常に限られている。…現代の論理学では三段論法はあまり利用価値がなくなっている。ただ、三段論法の一つのタイプである「実践的三段論法」は倫理的判断について理解するうえで非常に助けになるので、第4章で紹介する。…現代では「命題論理」や「述語論理」が開発され、論理学は分析のツールとしてより強力になっている。

 

演繹的に妥当でない推論の例

伊勢田の挙げる具体例をみてみよう。(名前のカタカナを漢字に変更した)

前提:もしある人が未成年であるならば、その人が飲み会で飲んでいるのは非アルコール飲料である。

この前提を正しいと認めた場合、次のどの推論が演繹的に妥当な推論と言えるだろうか?

  1. 身分証明書を見て、恵美さんが未成年であることを確認した。したがって恵美さんが飲んでいるのは非アルコール飲料である。
  2. 身分証明書を見て伸一君が未成年ではないことを確認した。したがって伸一君が飲んでいるのは非アルコール飲料ではない。
  3. 益美さんが飲んでいるグラスの中身が非アルコール飲料であることを確認した。したがって益美さんは未成年である。
  4. 竜太郎君が飲んでいるグラスの中身が非アルコール飲料ではないことを確認した。したがって竜太郎君は未成年ではない。

 

簡単な例だから、恐らく誰でも答えられるだろう。ここでは、次の赤字にした言葉を覚えておきたい。

1と4は、それぞれ「肯定式」「否定式」と呼ばれる、演繹的に妥当な推論である。しかし、2と3は妥当な推論ではない。(成年の人が非アルコール飲料を飲む可能性はある)

2は最初の前提の前半(これを前件と呼ぶ)、すなわち「ある人が未成年である」の否定から出発するので「前件否定の過ち」、

3は最初の前提の後半(これを後件と呼ぶ)、すなわち「その人が飲んでいるのは非アルコール飲料である」の肯定から出発するので「後件肯定の過ち」、

と呼ばれる。

 

前件否定、後件肯定は、誤謬なのだが、きちんと書いておこう。

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 この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある。(前件:もしPならば、後件:Qである)(Wikipedia)

ベン図を書いてみれば容易に分かる、

 

f:id:shoyo3:20170119190811j:plain

https://www.zazzle.co.jp/%E5%8D%B3%E5%88%BB%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AF_%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%92%E5%8A%A0%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%99_t%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-235514843821731287

 

ウェイソンの4枚カード問題

伊勢田は、ウェイソン(1924-2003)の4枚カード問題を紹介している。

もし、あるカードの表に偶数が書いてあるならば、そのカードの裏面にはアルファベットの母音が書いてある」[R]といった前提が成り立っていることを確かめるためには、次のどのカードをめくって調べる必要があるだろうか? 

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伊勢田は答えを書いていない。そこで考えてみた。これが意外と難しい。

 a)奇数のカードを調べても、前提が成立しているかどうか分からない。

 b)偶数のカードを調べれば、前提が成立しているかどうか分かる。

では、b)が答えか? えっ、これでは問題にもならない。でもいくら考えても、前提Rの真偽を確かめるためには、2のカードをめくれば済むはずだ。

論理学の基本に、P→Qが真の時、not Q→not P[対偶]も真である、というのがある。上の例では、偶数→母音が真の時、子音→奇数も真である、となる。それ故、「子音のカード(T)を調べて、裏が奇数であることを確かめなければならない」ということになるのだろうが、Tの裏が、アルファベットだったり、偶数のこともあろう。Tの裏がアルファベットだったり、偶数だったら、前提Rは成立しないというべきなのか。

「4枚カード問題」が上記のように出されれば、答えは「2のカードをめくる」でよいはずだ。そうではなく、対偶の真を確認しなければならない(カードTを調べなければならない)という答えを求めるならば、問題の出し方がおかしい。どこがおかしいか。

ネットをみてみると、次のような問題の出し方が適切であるように思われる。

カードには片面ずつローマ字と数字が書かれている。いま「カードの片面が母音なら、もう片面は偶数でなければならない」というルールがあったとして、以下の 4枚のカードのうち、少なくともどのカードをめくれば、このルールが守られているかどうか確認できるか。(ア)片面が Aのカード、(イ)片面が Kのカード、(ウ) 片面が 4のカード、(エ)片面が 5のカード(加藤宏)

http://www.tsukuba-tech.ac.jp/repo/dspace/bitstream/10460/763/1/Tec17_1_09.pdf

 カードの片面(表、裏は関係ない)にローマ字が書かれていれば、もう片面には(必ず)数字が書かれている。これが問題の前提としてある。カードを何枚めくるのか。1枚とか2枚とか限定せず、「少なくとも」と言っている。伊勢田の問題の出し方では、この点が明確ではない。もう一つ、「事実確認」の問題なのか、「ルールが守られているかどうかのチェック」の問題なのかという違いもある。

加藤のように問題を出されれば、(ア)片面が Aのカードと(エ)片面が 5のカードをめくらなければならないという答えが得られる。

しかし、私はこれでもまだ不十分だと思う。通常、「ルール」が守られているかどうかを、たった2枚のカードでチェックすることで良しとすることはありえない。それゆえ、非現実的な「4枚のカード」のみしかない世界という前提を明示しなければならないだろう。(対偶の学習以上の意味のある問題なのだろうか?)

 これだけであれば、単に論理パズルを解いたに過ぎない。加藤は「領収証問題」という面白い例をあげているので見てみよう。

伝票には表に商品名と価格、裏にレジ係の印鑑の欄があります。あるデパートでは「 1万円以上の伝票の裏にはレジ係が印鑑を押す」という規則があります。あなたは売場主任になったつもりで、この規則が守られているかチェックしてください。以下のどの伝票をめくればよいか。

ア 伝票の表に「机 15000円」

イ 伝票の表に「卓上ランプ 2800円」

ウ 伝票の裏に「山田の印鑑あり」

エ 伝票の裏に「印鑑の押されていない」伝票

 

このような具体的な問題になってくると、いろいろ検討すべきことが出てくる。すぐに気づくことは、このルールが守られているかどうかをチェックするのに、「論理的に考えて、2枚の伝票をチェックすればよい」と考えることの誤りである。たった2枚の伝票をチェックしてOKなどとは、ど素人でも考えないだろう。1日何千枚もある伝票なら、印鑑の押し忘れや、金額の見間違いもあるだろう。これはルールが守られていないのである。たった2枚の伝票チェックならこれを見逃す可能性が大きいだろう。

 

ルール制定者は、いろいろのことを考えてルールを制定するものである。出発点は、なぜこのようなルールが必要かである。「 1万円以上の伝票の裏にはレジ係が印鑑を押す」というルールに合意が得られたとしても、何故1万円なのか、何故レジなのか、何故印鑑を押すのか、等々がきちんと説明できるものになっていなければならない。論理パズルを解くことに長けていても、このような思考ができない者は、「乱暴な議論」(立岩、不平等論(6)誤った二分法 乱暴に考えないこと 参照)をすることになろう。

とはいえ、もちろん論理的思考が役立たずというわけではない。ルール制定に限っても、個々の条文をいかなる文言にするかには論理的思考が必須だろう。