気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

基本要素としての表象

木下清一郎『心の起源』(24)

本書は漫然と読んでいても面白くない。「人工物(機械、AI)は、心を持てるのか?」、「心の世界は、本当に存在するのか?」というような問いを持っていると面白いのではなかろうか。期待外れになるかもしれないが…。

今回は、第5章 心の世界を覗きみる 第3節 基本要素としての表象 である。

間隔をあけながら読んでいるので、以前に読んだこと(書いたこと)を忘れている。復習しながら読んでいこう。

今回は、「基本要素」としての表象であるが、「基本要素」とは何であったか。木下は、世界が開かれるための4条件(世界の始まりを考えるための4つの要請)として、特異点、②基本要素、③基本原理、④自己展開を考えていた。そして、基本要素の要請としては「基本となる要素があらわれ、全体の構造の基礎をなすこと」、基本要素の条件としては「一つの体系を構成する成員を、可能な限り素因子に還元していって得られる要素」とされていた。

「物質世界の成り立ち」に関して、基本要素とは、

しかし、[ビッグ・バンにより]いったんこの世界が始まってしまうと、世界の基本要素をなす素粒子があらわれ、さらにその素粒子を基礎において原子や分子があらわれるというふうに、それらの全体は階層構造をつくっていく。

「生物世界の成り立ち」に関して、基本要素とは、*1

特異点…物質のみからなる世界に新しい事態が始まったのは、偶然に生成された核酸という高分子が、塩基配列という形での個性[個体性]を持ち、かつその個性を自ら複製する能力を持ったことからである。自己触媒による個性の自己複製(自己増殖)という現象はそれまでの物質世界にはなかったものであり、ここで不連続点が形づくられている。

②基本要素…自己増殖能をその根元で支えているものは核酸であるから、核酸分子を生物世界の基本要素としてよいであろう。いったん核酸という基本要素があらわれると、その上には核酸を閉じ込めた構造としての細胞、さらに細胞が統合された構造としての多細胞個体というふうに、より高次の階層が重なっていくことになる。

③基本原理…こうしてみると、特異点と基本要素は、自己増殖ということを違った表現で言っているに過ぎないとも言えよう。生物世界の基本要素である核酸をはじめとして、その上の階層にあるすべての生物体が、自己増殖能を持っているという事実に対して、普通には特に法則の名を冠して呼ぶことはしないが、これは物質世界における「物質とエネルギーの不滅則」に匹敵する重みを持った原則であろう。「生物体の自己増殖則」と呼んでもよいほどで、自己増殖則を生物世界を規定する基本原理とみなすことができる。

④自己展開…自己増殖能があらわれると、基本要素の存続(それは核酸分子の個性の存続に他ならないが)を巡って生存競争が始まり、それは基本要素に対して淘汰の圧力をかけることになるので、おのずから自然淘汰則という新しい法則性が導き出されてくるという関係になっている。つまり、自己増殖則に従って生物世界が動き出すことによって、初めて自然淘汰則があらわれていることであって、その意味で自然淘汰則は自己増殖則に従属しているといってよいであろう。…生物世界についてのこういうまとめ方は、あまりにも短絡的に過ぎるかもしれない。淘汰圧がかかるまでには様々の紆余曲折があるし、局所的にはそれに反する動きもみられる。しかし、それらのすべてを考慮に入れても、なお自然淘汰則がこの世界の将来の運命を規定していることは、動かないところであろう。そこでひとまずは、自然淘汰則を生物世界の運命を規定する法則としておくことにしよう。

自然淘汰」については、あらためて考えてみたいテーマである。

 

本章は、「心の世界」について論じている。前回は、「特異点としての統覚」であった。今回は「②基本要素としての表象」である。

表象

心の世界を構成する基本要素は何か。…心の世界で動いているものは、いうまでもなく情報であり、しかも神経系によって記号化され、抽象化された情報であるとしてよいであろう。こういう特殊な形の情報を言い表す言葉はまだ定まっていないので、ここでは仮に哲学の用語を借りて、「表象」と呼んでおこうと思う。これは表象を「心の枠組みの中を動いている記号化された情報の単位」と定義したことになる。この定義は、表象が生まれたときには最小単位に相当するいわば単体であるが、やがて表象同士が結合して複合体を作ることができ、その複合体を単位として更に相互作用を繰り返すことができるという可能性も含意している。

物質世界の基本要素は「素粒子」、生物世界の基本要素は「核酸」、心の世界の基本要素は「表象」(情報)というわけである。表象という言葉は難しい。情報という言葉はありふれた言葉だが、「神経系によって記号化され、抽象化された情報」というのは、決して分かりやすいとは言えない。木下はこれまで、「情報」をどのように説明してきたか。

生物は、個体の外部[外部環境データ](風が吹いている、チューリップが咲いている、ワニが泳いでいる、インフルエンザウイルスが飛翔している、道路に穴があいている、太陽の光がとどかない、腐臭がする、……)の影響を受ける。これを「生物(人間とは限らない)は、外界の情報を受け入れる」と言ってもよいかもしれないが、「外界の情報」ではなく、「外部環境データ」と言った方が分りやすいのではないかと思う。どこで外界の情報を受け入れるかというと、「内分泌系、免疫系、神経系」である。各器官系がどういう情報処理を行うかというと、*2

表1 情報処理能力の比較

神経系

ホメオスタシス、記憶、自発的活動

免疫系

ホメオスタシス、記憶

内分泌系

ホメオスタシス

ホメオスタシス…外界がたとえ変動しようとも、これに逆らって自己領域の環境は不変に保とうとする。

・記憶…外界に起こった変化を経験として蓄えておき、将来に再び起こるかもしれぬ変化に向けて適用する。

・自発的活動…過去の経験を組み合わせて、全く未知のものに対してまで積極的に働きかける。

ホメオスタシスも記憶も自発的活動も、情報処理である。「外界の変化」が重要な点である。

「記号化」についても、復習しておこう。*3

外界の情報が生物体に受容されるには、情報は必ず何らかの記号に変えられなければならない。外界の変化は記号に変えられることによって、はじめて情報となりうるのであって、記号化できないものは情報にはなれない。…神経系では電気的記号化学的記号(さらに後になってからは、神経細胞の接続という構造的記号)、内分泌系では化学的記号、免疫系では細胞の認識というやや複雑な化学的記号となっている。…これらの記号を比べてみるならば、新しい情報を蓄積したり、新旧の情報を照合したりする働きでは、神経系がとびぬけて有利であることは明らかであろう。

表2 情報の記号化の比較

神経系

電気的信号としての伝導

化学的信号としての神経伝達物質

細胞反応としてのシナプス形成

免疫系

細胞反応としての異物認識

内分泌系

化学的信号としてのホルモン

ここでの記号は、電気的信号や化学的信号や細胞反応であり、言語ではない。生物体が受容するのは、言語ではなく、これらの信号である。

木下は、「表象」を「心の枠組みの中を動いている記号化された情報の単位」としているが、これがなかなか難しい。ここでは端的に、表象とは、「電気化学的信号」(シナプス形成を含む)であると理解しておこう。

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 https://www.jst.go.jp/pr/announce/20100416/index.html

 

表象には論理や感情に関わる性質が備わっており、しかもそれは、自己回帰のなされ方に依存して変化していくはずであるから、表象の場は論理、感情、自己回帰の三つの軸を基本として考えられ、ある表象はそれぞれの軸に対して一定の「値」を持つとみなせる。これが表象の場の成り立ちである。

木下は、以前「記憶と照合との循環によって、いくつかの思いがけない特性が導き出されてくる。それは以下に述べるように、時空であり、論理であり、感情である。これらは心を支える枠組みを作りあげる特性となる。」と述べていた。*4

論理」はどのようにして導き出されるのか。外部環境データと記憶との照合→判断→(生命維持にとってプラスまたはマイナスの)結果。ここで「判断と結果の対」があらたな記憶となる。これが繰り返されると、「論理」と呼んでよい定型パターンが生ずる。(このように言い換えてみたが、間違っていないかな?)

感情」はどのようにして導き出されるのか。生物には「本能行動」がある。それは「快・不快の感覚」と共にある。「いったん、快・不快の情報を判断の基準として記憶の中に取り入れると、記憶と照合との循環を介して好悪は堆積され統合されて、それはやがて感情として定着する」という。

自己回帰」とは、「記憶として格納されていた情報は、照合のために呼び出されるが、照合によって得られた結果は、新しい記憶としてあらためて格納され直される」ことをいう。

「表象には論理や感情に関わる性質が備わっており…」という場合の「表象」は、「電気化学的信号」と考えてよいか。上記の「論理」、「感情」、「自己回帰」の説明では「記憶」がキーワードである。表1の「神経系」と「免疫系」のところに「記憶」が出てくる。その記憶を可能にしているものは「電気化学的信号」(シナプス形成を含む)だろう。

 

論理軸と感情軸

生物が生きていく上での最大の関心事は、恐らくいま現に向き合っている事象が生きる目的に合致しているかどうかという適否の判別と、もう一つはその事象が自分にとって快であるか不快であるかという好悪の判別であろう。この二つは同じことのようにみえるが、実は違っていると思う。前者は最も原始的な意味で合理的な論理による判別であり、後者は最も原始的な意味で喜怒哀楽の(つまり非合理的な)感情による判別である。論理を因果律に基づく枠組みであるとすれば、感情はいわば因果律に基づかない枠組みということになろうか。

これらの判別は常に比較・対比の形で為されるので、その判別は、論理については論理の尺度、感情については感情の尺度に基づいているはずである。従って、照合を経て記憶に格納される段階では、表象は必ずやそれぞれの尺度の上に乗せられているであろう。先に「値」と称したものは、この尺度で測った度合いを指している。こうして表象は論理と感情についての値を与えられて、表象の場の中にある定まった位置を占めるこの尺度の座標値は表象の「個性」を表すものともなっている。ここで表象が個性を持ったことは、心の世界にとって決定的に重要なことであったであったと思う。…情報が個性を持つというのは、これまで生物世界に無かった出来事であった。

「人間」ではなく、人間以前の「生物」を念頭においておこう。人間でなければ「生きる目的」など把握できるはずもなく、「生きる目的に合致しているかどうか」というのは、その生物個体が「生命を維持できるかどうか」を判別していると考えているのだろう。その生物個体が意識的に判別しているというより、観察者(人間)にその生物個体が「判別」しているようにみえる、ということである。「快・不快」も同様である。生物個体の「快・不快」を把握できるはずもなく、「感情による判別」というのは、観察者(人間)にその生物個体が「判別」しているようにみえる、ということである。

生命維持への合致度合(論理)と快・不快(感情)がいかなる関連にあるのかよく分からない。また、それぞれの尺度の座標値を考え、それを表象(情報)の「個性」と呼ぶことは、意味あることなのかもしれないが、よく分からない。私は、表象を「電気化学的信号」(シナプス形成を含む)としたが、そうすると「電気化学的信号の個性」とは何だろうか。外部環境に反応する生命体の電気化学的信号が、外部環境と生命体が同一でない限り、異なるのは当然であり、それを「個性」と称して、どういう意味があるのかよく分からない。

「情報が個性を持つというのは、これまで生物世界に無かった出来事であった」というが、情報を「生命体の電気化学的信号」と解する限りは、それは生物世界の出来事であり、心が見えてくるようには思えない。(無理解?)

 

自己回帰の軸

いま、表象の場に新たな表象が入ってきたとしよう。すると、ここで表象の場に照合という動きが始まる。既に述べたように、外界の事物が表象となって入ってきた時には、その表象には論理と感情についての座標値が付与されているとしたのであったから、新しい表象はその値を手掛かりとして場の中に一定の位置を占めようとするであろう。そのとき、近傍に以前から座を占めていた表象があれば、その位置を巡って両者は相互に干渉して反応を起こし、その結果として新しい座標値を持った表象を生みだすであろう。表象の場における新旧の表象の干渉についてはまだ十分に検討されていないが、先に挙げた抽象作用はこの干渉から起こる結果の一つであると思われる。新しい値を持った表象の創出は、以前からあった表象からみれば自己参照、あるいは自己言及を伴った新しい個性の創造であると言えよう。これが自己回帰であって、抽象作用を伴う表象の変貌の原因は自己回帰に帰せられる。

いま創造された表象が、照合に伴う自己回帰の過程を経ていることに着目して、新たに自己回帰の軸をとったとすると、表象の座標は照合のたびにこの軸に対して値を変化させることになる。記憶として格納されてある表象は、自己回帰が無ければそのままの姿でとどまっていたであろうのに、自己回帰によって変貌を遂げたのであるから、表象の自己回帰の軸は時間軸の性格を持っていると言えよう。

「自己回帰」とは、「記憶として格納されていた情報は、照合のために呼び出されるが、照合によって得られた結果は、新しい記憶としてあらためて格納され直される」ことであった。上の文章は、これ以上のことを何も言ってなくて、自己回帰の軸を時間軸としてとらえることができる、と言っているだけのように思われる。

 

心の時空

表象の場を支えている軸として、論理軸、感情軸、自己回帰軸の三つが揃った。これで表象の場はいわば立体的になったといえよう。これが心の時空であり、表象の場の完成した姿である。表象の場とは心の「枠組み」そのものであるといってもよい。この表象の場の中で表象は変貌を遂げながら、過去の表象とも切り離されることなく連続している。従って、表象は心の時空のなかを一種の軌跡を描いて動くことになる。

木下は「心の時空は、論理軸、感情軸、自己回帰軸からなる立体構造をなしている」と言いたがっているようにみえる。怒られることを承知で言えば、「観念」による「砂上の楼閣」のようだ。…私のような幼稚園児には、「心」が見えてこない。

表象が過去の表象と連続性を保っていること、つまり、全ての表象が常に自分を生ぜしめたところの根を引きずっていることも、表象の重要な特徴であろう。なぜなら、表象同士の干渉は単にその表象だけでなく、過去の全ての表象の総計としての干渉となるからである。根付きの表象同士が干渉するとなると、それはある一つの表象の場に独自のものとなる。すると、個々の表象が「個性」を持っているだけでなく、表象の場そのものが全体として「個性」を持っていることになる。

表象は自己回帰を繰り返しては相互に反応し、その度毎に表象は変容を遂げる。新しく表象の場に入ってきた表象と、もとからその場を占めていた表象とが相互に反応するばかりではなく、自己回帰を契機として遥かに離れたところに場を占めていた表象までが自己の根を介してその場に呼び出されて干渉しあい、反応に加わることも起こり得る。

ここまでは、「記憶として格納されていた情報は、照合のために呼び出されるが、照合によって得られた結果は、新しい記憶としてあらためて格納され直される」ということ以上のことを何も言ってなくて、異なる生命体は異なる記憶を持っているので、それを「個性」ということができる、と言っているだけのように思われる。

恐らくこうした干渉の予測不可能性の中に、「創造力」というものの秘密が隠されていると思われる。

いきなり「創造力」といわれても、何のことか分からない。

ここで立てた仮定は次のようであった。

(12) 心の世界の基本要素は「表象」である。それぞれの表象は「表象の場」のなかで固有の値を持った位置を占める。 

*1:本ブログでは、本書のこの部分(第3章 「世界」とは何か、第1節 世界が開かれるための条件)を保留にしていたので、他の条件もあわせてここにあげておく。

*2:細胞の情報処理 ホメオスタシス マイクロバイオーム 参照

*3:同上

*4:記憶から、時間・空間、論理、感情が導き出される 参照