浮動点から世界を見つめる (旧:気の向くままに)

井蛙は以って海を語るべからず、夏虫は以て冰を語るべからず、曲士は以て道を語るべからず

自由主義とブルジョアジー(城壁の中の住民)

平野・亀本・服部『法哲学』(52) 

現在、第6章 法哲学の現代的課題 第1節 デモクラシーとは何か を読んでいるところだが、今回は、本書を離れて、「自由主義(liberalism)」について、「ブリタニカ国際大百科事典」(以下B)と「日本大百科全書」(以下J)の説明を見ておきたい。

自由主義とは、個人の諸自由を尊重し,封建的共同体の束縛から解放しようとした思想や運動をいう。本格的に開始されたのはルネサンス宗教改革によって幕をあけた近代生産社会においてであり,宗教改革にみられるように,個人の内面的自由 (信教の自由,良心の自由,思想の自由) を,国家,政府,カトリック,共同体などの自己以外の外在的権威の束縛,圧迫,強制などの侵害から守ろうとしたことから起った。(B)

ここで赤字にした部分をしっかりと押さえておかなければならない。

田中浩(J)の説明は、

自由主義とは、17、18世紀の市民革命期に登場した政治・経済・社会思想。絶対君主の抑圧から解放されることを求めて、近代市民階級が、人間は何ものにも拘束されずに自分の幸福と安全を確保するために自由に判断し行動できる存在となるべきことを主張した思想である。(J)

この2つの説明からすれば、自由とは、何よりもまず「権威からの理不尽な束縛、圧迫、強制」から解放されたいという欲求に他ならない、と言えるだろう。自由とは、他人の迷惑にならなければ何をしてもよい、というようなものではない。単なる理念ではなく、歴史の現実から生じてきた主張であり、思想である。権威とは、国王であり、絶対君主であり、教会である。自由とは、それらの権威(権力)に対抗する思想である(あった)という点を確認しておきたい。

この内面的諸自由は,必然的に外面的自由,すなわち市民的自由として総称される参政権に象徴される政治的自由や,ギルド的諸特権や独占に反対し通商自由の拡大を求め,財産や資本の所有や運用を自由になしうる経済的自由への要求へと広がっていった。これらの諸自由の実現を求め苦闘した集団や階級が新興ブルジョアジーであった…(B)

自由の実現を求め苦闘した集団ブルジョアジー(Bourgeoisie、市民階級)とは、

このフランス語が日常語のなかに現れたのは13世紀のことで、当初は城郭都市 bourgの住民を意味した。(J)

中世…古代から中世にかけての経済的な低迷が終わると中世都市に商工業を生業とするものが集まり始めた。フランス語ではこうした中世都市の「城壁の中の住民」をさして貴族でも農民でもない存在を「ブルジョワジー」と呼んだ。これがブルジョワジーの語源で、後期ラテン語 burgusから派生しできた言葉である。

近世(市民革命期)…当時の権力主体であった「貴族階級、聖職者」と「都市の労働者、民衆、農民」との中間に位置付けられる、都市の裕福な商人を指してブルジョワジーというようになった。ブルジョワジーの中には巨万の富を蓄え、貴族に仲間入りするものや貴族に準ずる待遇を受けるものも現れ、新たな支配階級を形成しつつあった。ここでブルジョワジーと呼ばれた人々は、市民革命の主体となり、それまでの貴族や聖職者が主体であった体制を革命によって転覆させた。(Wikipedia)

 日本で言えば、中世の城壁の中の住民は、城下町の町人衆(商人・職人)、近世では富裕な商人というイメージだろうか。要は、城下町の町人衆(農民とは異なる)が財力をつけてきて、時の支配層(権力者)の言いなりにはならないぞ、ということを理論面で支えたのが、自由主義であったのではないか。

ブルジョワジーは、貴族や聖職者主体の体制を転覆させたという意味で、革命集団であった。この意味で、自由主義とは、革命思想であったと言えるのかもしれない。しかし、産業革命以降は、様相が変わる。

産業革命以降…市民革命によって政治的な参加権を得たブルジョワジーの中には同時に進行していた産業革命と結びついて「産業資本家」になる者が現れた。これによってブルジョワジーは19世紀中頃から資産階級を指す、そして貴族に代わる新たな支配階級を指す言葉として転化した。…かつては貴族の富裕さ、贅沢さを批判するために用いられていた「ブルジョワ」という概念は、今度は自らが富裕さ、贅沢さを批判されるために用いられることとなった。(Wikipedia)

だから、ブルジョワジーという言葉を聞いたら、権威への反発者なのか、権威そのものに転化した人々を指すのかを区分しなければならない。「自由」が、権威への反発(権威による束縛,圧迫,強制からの自由)において意味があるとすれば、産業革命以降は、産業資本家なる権威に反発してはじめて「自由」の意味があると言えよう。(もっとも今日では、ただ単に(権威とは関係なく)富裕層(金持ち)をブルジョアと称するようである。産業資本家も変質してしまった。)

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https://fr.wikipedia.org/wiki/Antisyst%C3%A8me#/media/File:Pyramid_of_Capitalist_System.jpg

 

田中は、自由主義の思想内容(本質)について、次のように述べている。

近代国家成立以前には大半が後者の政治形態(君主や統治集団が強大な権力を振るって集団生活を維持する)をとっていたのであり、それらの国家では、統治者の臣下や国民に対する関係としては、力ずくの封建的な抑圧状態が普通のこととされていたため、人々の日常生活は自由でも快適でもなかった。そこで、政治社会の基礎に「人間の自由」の確保を置く民主的な政治運営を図る政治集団の設立を求める動きがおこり、そのようにして登場してきたのが、今日の近代国家である。(J)

田中は、「政治社会の基礎に、人間の自由の確保を置く民主的な政治運営を図る政治集団の設立を求める動きがおこり…」と述べているが、果たしてそうだろうか。上に見たところでは、都市の裕福な商人階層が、それまでの貴族や聖職者が主体であった体制を変革したのであって、「政治社会の基礎に、人間の自由の確保を置く民主的な政治運営を図る政治集団」でも何でもないように思うが、史実としてはどうだったのだろうか。

ところで、人間は集団の一員であるという点において、まったく自由に行動できるということはありえない。人々はつねに、全体の利益と個人の利益との調和を考慮に入れながら行動しなければならない。このように人間の自由には必ずなんらかの抑制、制限、規律が付きまとうのである。(J)

現代では、普通に社会生活を送っていれば、こんなことは誰もが知っていることである。ここで自由とは、自分勝手に行動するという意味であると解すれば、誰もが同意するだろう。ところが、この自由を、信教の自由、良心の自由、思想の自由の意味であるとすると微妙になってくる。信教の自由とは、無宗教を含め、他の宗教を認めることである。宗教に関して詳しいことは知らないが、キリスト教徒やイスラム教徒による宗教的迫害(他宗教の信者、無神論者への迫害)、カルト集団によるさまざまな事件を思い起こす必要があるだろう。しかし、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(憲20)。エロ・グロ表現の自由はどこまで許されるか。ヘイトスピーチは問題ないのか。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(憲19)。…ここで憲法論議をしようというのではない。冒頭の文章を再掲しよう。

自由主義とは、個人の諸自由を尊重し,封建的共同体の束縛から解放しようとした思想や運動をいう。本格的に開始されたのはルネサンス宗教改革によって幕をあけた近代生産社会においてであり,宗教改革にみられるように,個人の内面的自由 (信教の自由,良心の自由,思想の自由) を,国家,政府,カトリック,共同体などの自己以外の外在的権威の束縛,圧迫,強制などの侵害から守ろうとしたことから起った。(B)

信教の自由,良心の自由,思想の自由は、「個人の内面的自由」の問題だろうか。これらの自由が問題となるのは、社会との関りにおいてではないか。これらの自由は、社会との関りなしに、それ単独で存在するものとは思えない。つまり、社会と切り離して「守るべきもの」としてあるのではなく、社会との関連において、普遍的に守るべき価値として何を措定するかに関する話である。「人間の自由には必ずなんらかの抑制、制限、規律が付きまとう」。だとすれば、無条件に「信教の自由,良心の自由,思想の自由」を主張すべきものではない。「自由」と称して、「人間」を否定してはならない。

しかし、自由な行動を抑制する場合にも、自分はもとより集団を形成する全員が納得ずくで決めた事柄であれば、そこにおける行動の制限はかならずしも自由の制限・侵害とはいえないであろう。そうした問題を民主的に解決するためにつくられた政治社会の結合と運営のシステムが、全員の同意・契約によって自分たちの代表者を選び、彼らに政治社会を運営するルールである公正・公平な法律を制定させ、そのルールや法律に各人が服することによって政治社会の安全・保持を図る、というシステムである。今日、「法の支配」とよばれる政治運営のルールや、ホッブズ、ロック、ルソーなどの「社会契約説」論者たちが考案した近代国家の民主主義的政治運営の原理がそれであった。ここでは「国民主権主義」が政治社会結合の原理とされ、代表者たる統治者全体の利益のために制定した法律に自らも拘束されて政治を行い、他方、国民の側も法律に自発的に服することによって生命の安全と集団の平和維持を図ることが要請される。したがって、自由主義は、人間の権利・自由(人権)と権力の制限(民主政治の確保)という考え方の基礎的原理を構成している思想であるといえよう。(J)

ここでは、「全員の同意・契約によって自分たちの代表者を選び…」、「公正・公平な法律を制定させ…」、「社会契約説」、「国民主権主義」、「代表者たる統治者」、「全体の利益のために制定した法律」などを詮索しないでおくが、最後の赤字にした部分が、なぜ「したがって」で接続されるのかよく分からない。

田中は、自由主義

自由主義とは、17、18世紀の市民革命期に登場した政治・経済・社会思想。絶対君主の抑圧から解放されることを求めて、近代市民階級が、人間は何ものにも拘束されずに自分の幸福と安全を確保するために自由に判断し行動できる存在となるべきことを主張した思想である。(J)

 と説明していた。このような自由主義が、「人間の権利・自由(人権)という考え方の基礎的原理を構成している」とはどういう意味だろうか。近代市民階級(都市の裕福な商人)の上記のような主張は、「自分=都市の裕福な商人の幸福と安全を確保するために、自分=都市の裕福な商人が、自由に判断し行動できる存在となるべきこと」と解釈されるのではないか。だとすれば、これが自由権という考え方の基礎的原理を構成していると言われても?(はてな)である。また、上記のような自由主義が、「権力の制限(民主政治の確保)という考え方の基礎的原理を構成している」とも言われるが、「権力の制限」や「民主政治の確保」がそこからどのようにして導き出されるのか分からない。ただ、「反権力」の一点において、「自由主義」を美化しようとしているように見える。

 

 市民革命は上層ブルジョアジーの主導した革命であったから、中産層以下の人々には選挙権が与えられなかった。選挙権から排除された人々は、政治的権利(政治的自由)は生まれながらの権利(自然権)であると主張したが、上層ブルジョアジーたちは、選挙権は「財産と教養」ある名望家にのみ限定されるべきだとして「制限選挙」を主張した。しかし産業革命の時代を迎え、中産層や労働者階級の数が増大するにつれてふたたび選挙権拡大の要求が高まった。…こうして、市民革命期には基本的人権とは考えられていなかった参政権が、新しい政治的権利・政治的自由として民主主義思想のカタログに加えられたのである。その理由は、人々が自由を確保するためには、すべての人々が直接に政治に参加する機会を得て、その意志を表明することが必要である、と考えられたためである。この意味で、参政権自由主義の所産であり、参政権の拡大によって議会制度自体も民主化され、自由主義の内容は政治的民主主義という形でさらに豊かなものとなったのである。(J)

 ここで「人々が自由を確保するためには」を、「人々が、権威により強制されないためには」と理解すれば、赤字の部分は理解されるが、「すべての人々が直接に」とは、安易には言えない。「参政権自由主義の所産」というのも疑問である。私たちが社会のルールを決めるというとき、具体的に誰が決めるのかという話であって、「権威による強制」とはあまり関係が無いように思われる。

資本主義経済が発展していくなかで、一方では少数の資本家階級に富が集中し、他方では大多数の労働者階級が定期的におこる恐慌や不景気などの不安定な社会状況のなかで貧困・失業などに苦しめられるという、いわゆる社会・労働問題が発生した。このため19世紀中葉以降、経済的・社会的不平等を是正し、弱者を救済する施策をとることが政治の緊急な課題となった。そこで、自由主義的経済思想のなかでいくつかの点について修正が加えられることになった。その一つは「私有財産の不可侵」という思想の修正である。私有財産の不可侵」という考え方は、もともとは絶対君主による不当な課税に反対する思想として登場し自由主義のなかでもきわめて重要な原理とされていた。近代国家の成立とともにこの考え方が確立されると、「私有財産の不可侵」という原理は、今度は資本家階級による資本の蓄積を正当化する思想となり、そのことが経済の発展を促進した。(J)

私有財産の不可侵」という考え方が、「絶対君主による不当な課税に反対する思想」として登場したということは特筆されてよい。

私有財産制とは、

生産手段や消費財など一切の財産が原則として個人によって所有され,かつその個人の所有権が法律などにより保障されている社会制度をいう。古代の奴隷制,中世の封建制私有財産を基礎としてはいるが,その所有権は共同体ないしは封建制による拘束を受けており,完全な私有財産制ではない。そして,近代の資本主義社会で初めて私有財産制が完全な形で出現した。資本主義社会では消費財はもちろんのこと,生産手段の私的所有も法律によって保護され,私有財産制が資本主義社会の基礎的制度となった。しかし資本主義の発展とともに,生産手段を所有する階級と所有しない階級との間の財産所有の格差が拡大する傾向にあったため,現代の資本主義的社会では社会的,公共的観点から私有財産制度に種々の法的規制が加えられつつある社会主義社会では基本的な財産である生産手段については社会的所有とされ私有財産制は廃止されているが,消費財については私的所有が認められている。(B)

私有財産の不可侵」という考え方が、歴史的な概念であること、絶対君主により多額の税金を取られたくないと考える者の理論として登場したことを認識すべきである。私有財産は、決して神聖不可侵な自然権としてあるのではない。財産の私的所有権の根拠は決して自明ではない

 

※以上のコメントは、歴史的事実や政治思想を知らない者のたわごとであるかもしれない。