浮動点から世界を見つめる (旧:気の向くままに)

井蛙は以って海を語るべからず、夏虫は以て冰を語るべからず、曲士は以て道を語るべからず

人権とは何でしょうか? 谷川俊太郎訳の「世界人権宣言」

一昨日の記事(2018/11/17、セックスワーカーから繊維工場労働者へ ファストファッションの光と影 エシカル・ファッション)は、今回の「人権」の記事のイントロとして書いたものである。

  • ファストファッションの陰で起きている環境破壊や人権侵害、搾取。
  • 国際ブランドが、人件費の安く、労働法規制も十分でないアジアの途上国に生産拠点を移し、人件費コストを抑制して巨大な利益を得ていること、途上国の工場に「低価格」で「短い納期」の生産を厳しく求めていること。
  • こうしてつくられた製品は、米国、ヨーロッパ、日本などで低価格のファストファッションとして提供され、私たちは低価格競争の恩恵を受けて、安くてスタイリッシュな製品を買うことが出来る。
  • 黙って買い続けることでは、搾取構造(その末端は若い女性・少女たち)に加担していることになってしまう。(伊藤和子

ここでは、国際ブランドのファストファッション(ZARA、H&M、GAPUNIQLO等)を問題にしたが、100円ショップ(ダイソー、セリア、キャンドゥ、ワッツ等)や大手スーパーのPB商品や家電製品の低価格化等々についても、ほぼ同様であろう。さらに言えば、生産財メーカーや金融業やおよそ営利企業すべてに、程度の差はあれ当てはまる話だと思われる。そこにはさまざまな問題が複雑に絡み合っているので、一筋縄ではいかない。(また途上国の低賃金・貧困だけが問題なのではない。植民地時代を想起させるこのような話だけでなく、先進国とされている国の内部の差別・格差・人権が問題にされなければならない)。

 

ここでは話を拡大しないで、「人権」に焦点を合わせよう。(ただし、人権だけが問題ではないことに留意しておこう)。

 

「人権とは何ですか?」という問いに答えられるだろうか。何を意味するかを答えられるだろうか。

まず最初に次の動画を見てください。

人権の物語


人権の物語(日本語字幕版)

以下は、6分22秒あたりからの文字起しです。

  • 人に食べ物と住む場所を持つ権利があるのであれば、どうして毎日16000人の子供たちが飢え死にをしているのでしょうか。
  • 言論の自由があるなら、なぜ何千もの人が自分の考えを発言したために、投獄されているのでしょうか。
  • 人に教育を受ける権利があるなら、なぜ10億人以上の大人たちが読み書き出来ないのでしょうか。
  • 奴隷制度が本当に廃止されたのなら、どうして2700万人の人たちが、いまだに奴隷として存在しているのでしょうか。それは1800年代の2倍です。

ここでは、問いが4つ挙げられている。人権を問題にするとは、このような問いを発することである。あえて「人権」という言葉を使う必要はない。例えば「私たちは、自由にモノが言えるだろうか?」と問うことである。「政権批判の言論やヘイトスピーチはどうだろうか?」と問うことである。

私たちは、社会の現実を見ているのだろうか。無知なのか。見えないようにされているのか。あえて見ないようにしているのか。

  • 事実、署名された当初、世界人権宣言は法律としての効力はありませんでした。それは任意のものだったのです。多くの文書、会議、条約そして法にもかかわらず。紙に書かれたものにすぎませんでした。そこでの疑問は、誰が人権の尊重を確かなものにするのか……。

世界人権宣言は、条約ではなく、総会において採択された決議である国際連合総会決議は勧告であり法的拘束力がない。では世界人権宣言は拘束力がないのだろうか?(この記事の末尾※参照)

  • キング牧師が、人種平等のために行進したとき、彼は20年前に既に国連によって保障されていた権利のために行進したのです。そうしなくてはならなかったからです。
  • ネルソン・マンデラが90年代に立ち上ったとき、彼の国は40年前に差別を廃止することに同意していたにもかかわらず、それでも闘う必要がありました。
  • 今日、拷問・貧困・差別に対して闘う人たちは、巨人やスーパー・ヒーローではありません。彼らはただの人間です。子ども、母親、父親、先生など、見て見ぬふりをしない人たちです。彼らは人権をただの歴史の授業ではないことを知っています。人権はただの言葉ではなく、スピーチやCMやPRでもありません。人権とは私たちが毎日、人間として持つべき指標であり、責任なのですお互いを尊重し、助け合い、そして必要なときに守ることです

見て見ぬふりをしないこと、お互いを尊重し助け合うこと、そのために為すべきことを為すこと。…これらが貧困・差別・格差を無くそうという意志の表現となる。このように言うことはたやすいが、実に難事である。

「見て見ぬふりをする」、「お互いを尊重しない。お互いに助け合おうとしない」、「為すべきことをしない。為すべきことがわからない」…仲間内ではこんなことはしない。しかし仲間に入れない者に対しては、果たしてどうであろうか。

  • エレノア・ルーズベルトは言いました。世界人権はどこから始まるのでしょう。近所の小さなところ、あまりにも近くて、小さすぎるので、地図では見えないところ。それは個人の世界、彼が住む近所、彼の学校や大学、働いている農場や工場、そしてオフィス、そういったところで人間は、差別なく、平等の正義、平等の機会、平等の尊重を求めているのです。ここでこれらの権利に意味がないのであれば、どこに対しても意味はないと言えるでしょう。

人権とは、教科書で定義を暗記することではない。身近なところで、日常生活の中で、「平等の正義」、「平等の機会」、「平等の尊重」などの価値を認め行動することである。

 

では、「人権」にはどのようなものがあるのだろうか。世界人権宣言(1948.12.10 第3回国連総会採択)を見てみよう。谷川俊太郎アムネスティ日本が、全30条(条文名および条文内容)をわかりやすい日本語にしている。…あなたは、全30条の内容を知っていますか?(https://www.amnesty.or.jp/lp/udhr/?gclid=CjwKCAiA8rnfBRB3EiwAhrhBGhi7s3KvXL8KyC1eUudFcvpVZf3gKS5yEZIzetOavNGCYMKUR8BHYBoCtOYQAvD_BwE

世界人権宣言とは

世界人権宣言とは、「あらゆる人が誰にも侵されることのない人間としての権利を生まれながらに持っている」と表明したものです。その権利を、誰でも、どこでも、いつでも享受できるために、すべての国、すべての人が守らなければならない、最低限の共通基準として、1948年に定められました。いわば、国境を超えた、人類の普遍的な価値を示したものなのです。

第二次世界大戦の惨劇を二度と繰り返さないという反省からつくられた国連で、各国の代表者は、人権を軽視することが戦争につながり、戦争でさらに人権が侵害されるという悪循環に陥っていたことを認めました。そして、世界の平和を実現するためには世界各国が協力して人権を守る努力をしなければならないと、決意します。そこから生まれたのが、世界人権宣言です。

(世界人権宣言)全30条の内容

以下、青字が、谷川俊太郎(&アムネスティ日本)の訳文です。黒字は、仮訳文(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html)です。各条文ごとにイラストがありますが、第3条のイラストのみあげておきましょう。

第1条 みんな仲間だ

わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だからたがいによく考え、助けあわねばなりません。

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第2条 差別はいやだ

わたしたちはみな、意見の違いや、生まれ、男、女、宗教、人種、ことば、皮膚の色の違いによって差別されるべきではありません。また、どんな国に生きていようと、その権利にかわりはありません。

  1. すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
  2. さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

 第3条 安心して暮らす

ちいさな子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、わたしたちはみな自由に、安心して生きていける権利をもっています。

すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。 

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第4条 奴隷はいやだ

人はみな、奴隷のように働かされるべきではありません。人を物のように売り買いしてはいけません。

何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。  

第5条 拷問はやめろ

人はみな、ひどい仕打ちによって、はずかしめられるべきではありません。

何人も、拷問又は残虐な、非人道的なもしくは屈辱的な取扱もしくは刑罰を受けることはない。 

第6条 みんな人権をもっている

わたしたちはみな、だれでも、どこでも、法律に守られて、人として生きることができます。

すべての人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

第7条 法律は平等だ

法律はすべての人に平等でなければなりません。法律は差別をみとめてはなりません。

すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

 第8条 泣き寝入りはしない

わたしたちはみな、法律で守られている基本的な権利を、国によって奪われたら、裁判を起こし、その権利をとりもどすことができます。

すべての人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

第9条 簡単に捕まえないで

人はみな、法律によらないで、また好きかってに作られた法律によって、捕まったり、閉じこめたり、その国からむりやり追い出されたりするべきではありません。

何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。

 第10条 裁判は公正に

わたしたちには、独立した、かたよらない裁判所で、大勢のまえで、うそのない裁判を受ける権利があります。

すべての人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当たって、独立の公平な裁判所による公平な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第11条 捕まっても罪があるとはかぎらない

うそのない裁判で決められるまでは、だれも罪があるとはみなされません。また人は、罪をおかした時の法律によってのみ、罰をうけます。あとから作られた法律で罰を受けることはありません。

  1. 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。 
  2. 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰は課せられない。

 第12条 ないしょの話

自分の暮らしや家族、手紙や秘密をかってにあばかれ、名誉や評判を傷つけられることはあってはなりません。そういう時は、法律によって守られます。

何人も、自己の私事、家族、家庭もしくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

 第13条 どこでも住める

わたしたちはみな、いまいる国のどこへでも行けるし、どこにでも住めます。別の国にも行けるし、また自分の国にもどることも自由にできます。

  1. すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。
  2. すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。  

第14条 逃げるのも権利

だれでも、ひどい目にあったら、よその国に救いを求めて逃げていけます。しかし、その人が、だれが見ても罪をおかしている場合は、べつです。

  1. すべて人は、迫害からの避難を他国に求め、かつ、これを他国で享有する権利を有する。
  2. この権利は、非政治犯罪又は国際連合の目的及び原則に反する行為をもっぱら原因とする訴追の場合には、採用することはできない。

第15条 どこの国がいい?

人には、ある国の国民になる権利があり、またよその国の国民になる権利もあります。その権利を好きかってにとりあげられることはありません。

  1. すべて人は、国籍をもつ権利を有する。    
  2. 何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。  

第16条 ふたりで決める

おとなになったら、だれとでも好きな人と結婚し、家庭がもてます。結婚も、家庭生活も、離婚もだれにも口出しされずに、当人同士が決めることです。家族は社会と国によって、守られます。

  1. 成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。
  2. 婚姻は、婚姻の意思を有する両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。
  3. 家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。  

第17条 財産をもつ

人はみな、ひとりで、またはほかの人といっしょに財産をもつことができます。自分の財産を好きかってに奪われることはありません。

  1. すべての人は、単独で又は他の者と共同して財産を所有する権利を有する。
  2. 何人も、ほしいままに自己の財産を奪われることはない。  

第18条 考えるのは自由

人には、自分で自由に考える権利があります。この権利には、考えを変える自由や、ひとりで、またほかの人といっしょに考えをひろめる自由もふくまれます。

すべて人は、思想、良心及び宗教の自由を享有する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。  

 第19条 言いたい、知りたい、伝えたい

わたしたちは、自由に意見を言う権利があります。だれもその邪魔をすることはできません。人はみな、国をこえて、本、新聞、ラジオ、テレビなどを通じて、情報や意見を交換することができます。

すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

 第20条 集まる自由、集まらない自由

人には、平和のうちに集会を開いたり、仲間を集めて団体を作ったりする自由があります。しかし、いやがっている人を、むりやりそこに入れることはだれにもできません。

  1. すべて人は、平和的な集会及び結社の自由を享有する権利を有する。
  2. 何人も、結社に属することを強制されない。

 第21条 選ぶのはわたし

わたしたちはみな、直接にまたは、代表を選んで自分の国の政治に参加できます。また、だれでもその国の公務員になる権利があります。みんなの考えがはっきり反映されるように、選挙は定期的に、ただしく平等に行なわれなければなりません。その投票の秘密は守られます。

  1. すべて人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。
  2. すべて人は自国においてひとしく公務につく権利を有する。    
  3. 人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行われなければならない。  

第22条 人間らしく生きる

人には、困った時に国から助けを受ける権利があります。また、人にはその国の力に応じて、豊かに生きていく権利があります。

すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利の実現に対する権利を有する。  

第23条 安心して働けるように

人には、仕事を自由に選んで働く権利があり、同じ働きに対しては、同じお金をもらう権利があります。そのお金はちゃんと生活できるものでなければなりません。人はみな、仕事を失わないよう守られ、だれにも仲間と集まって組合をつくる権利があります。

  1. すべて人は、労働し、職業を自由に選択し、公平かつ有利な労働条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。
  2. すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の労働に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。
  3. 労働する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公平かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
  4. すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに加入する権利を有する。

第24条 大事な休み

人には、休む権利があります。そのためには、働く時間をきちんと決め、お金をもらえるまとまった休みがなければなりません。

すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する。  

第25条 幸せな生活

だれにでも、家族といっしょに健康で幸せな生活を送る権利があります。病気になったり、年をとったり、働き手が死んだりして、生活できなくなった時には、国に助けをもとめることができます。母と子はとくに大切にされなければいけません。

  1. すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
  2. 母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を享有する。

 

第26条 勉強したい?

だれにでも、教育を受ける権利があります。小、中学校はただで、だれもが行けます。大きくなったら、高校や専門学校、大学で好きなことを勉強できます。教育は人がその能力をのばすこと、そして人としての権利と自由を大切にすることを目的とします。人はまた教育を通じて、世界中の人とともに平和に生きることを学ばなければなりません。

  1. すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。
  2. 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の教科を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的もしくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。
  3. 親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。

第27条 楽しい暮らし

だれにでも、絵や文学や音楽を楽しみ、科学の進歩とその恵みをわかちあう権利があります。また人には、自分の作ったものが生み出す利益を受ける権利があります。

  1. すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。     
  2. すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。  

第28条 この宣言がめざす社会

この宣言が、口先だけで終わらないような世界を作ろうとする権利もまた、わたしたちのものです。

すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。  

第29条 権利と身勝手は違う

わたしたちはみな、すべての人の自由と権利を守り、住み良い世の中を作る為の義務を負っています。自分の自由と権利は、ほかの人々の自由と権利を守る時にのみ、制限されます。

  1. すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
  2. すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び事由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
  3. これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。  

第30条 権利を奪う「権利」はない

この宣言でうたわれている自由と権利を、ほかの人の自由と権利をこわすために使ってはなりません。どんな国にも、集団にも、人にも、そのような権利はないのです。

この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

  

「政府から独立した」国内人権機関

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https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/kokunaijinkenkikan.pdf

 

※ 世界人権宣言の法的拘束力

世界人権宣言は、条約ではなく、総会において採択された決議である。国際連合総会決議は勧告であり法的拘束力がない。では世界人権宣言は拘束力がないのだろうか?

宣言に法的拘束力を認める有力説として、現在では、慣習法になる手前の段階である「ソフト・ロー*1」として法的拘束力があるとする説や、宣言が採択された当時は拘束力がなかったものの、その後に宣言を基礎にした各種人権条約の発効や各国の行動によって現在は慣習国際法になっているとする説がある。後者が多数において支持されている説になるため、実質的には慣習国際法としての地位を獲得していると考えられている

世界人権宣言の内容の多くは、国際人権規約などによっても明文化されており、その後の国際人権法に係る人権条約はすべてその前文において国際連合憲章の原則と共に、世界人権宣言の権威を再確認している。(Wikipedia)

ヒューマンライツ大阪は、次のように解説している。

その直後から、この宣言を法的に国家が遵守することを約束する条約にしようとする動きが国連において始まり、長い議論の末に1966年12月16日に国連総会で採択されたのが、経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)と市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)です。自由権規約にはその実施を確保するために選択議定書も作成され、世界人権宣言とともに国際人権章典を構成し、その後の国際人権保障の発展に大きく寄与することになります。また2008年には社会権規約の実施のための議定書も採択されました。

日本は社会権規約自由権規約の締約国ですが、それぞれの規約の実施のために個人通報を認める選択議定書には入っていません。(https://www.hurights.or.jp/japan/learn/q-and-a/2010/03/post-1.html

ということであれば、世界人権宣言は実質的に法的拘束力があると考えてよいだろう。個人通報制度については、いずれとりあげる。

*1:ソフトロー…非拘束的合意,事実上の合意,行動指針法,即席習慣法ともいう。国連総会決議,国際裁判所の判決など,条約や国際慣習法のように形式的法源とはいえないまでも国家間合意の存在する証拠となるものであり,一般的法的拘束力はないが形式的法源への生成の可能性を秘めているもの。形式的法源の形成に困難が伴うことの多い今日,それに代る存在として発展途上国を中心にその法的拘束力を積極的に認めようとする動きもみられる。しかし一方で,このような流動性の強い存在を法源として受入れることに対しては批判も根強い。(ブリタニカ国際大百科事典)。