浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

リスクの偏在と社会保障

阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(7*1 

今回は、第5章 包摂政策を考える 第2節 これまでの社会保障を考える をとりあげる。阿部は、「現状の社会保障制度では、現代の貧困や社会的排除のリスクに対応することは難しい」という。何故か? 社会保障制度の3本の柱は、1.社会保険、2.公的扶助、3就労支援であるとして、説明されているので、この順にみていこう。

 

1.社会保険

社会保険とはどういうものか。簡潔に言えば、次の通りである。

社会保険とは、年金制度や医療保険制度、介護保険雇用保険からなる公的な保険制度のことを指す。

社会保険の目的は、社会保険料として加入者全員から保険料を徴収し、起こってしまったリスクの重度に応じて給付を行うことである。リスクとは、病気や怪我の医療費がかかったリ(医療保険)、高齢になり所得を得ることができなくなったり(老齢年金)、障害を負って所得が下がったリ(障害年金)、失業したり(雇用保険)、介護サービスの経費がかかったり(介護保険)することである。社会保険が、民間の保険と違うところは、その運営を政府機関が行っていることである。そのために、保険料の設定や介護サービスや医療サービスの自己負担分が、貧困層の人々に優しく設定されていたりする。しかし、保険料の軽減・免除制度や、自己負担率の軽減などをもってしても、社会保険のみで、現代の貧困や社会的排除に対応するには不十分である。

 なぜ、社会保険のみでは、現代の貧困や社会的排除に対応することが不十分なのか。阿部は次のように述べている。

第一に、貧困や社会的排除は、一時的なものではないからである。社会保険が想定しているリスク、疾病・怪我、または失業などは、一時的な困窮である。しかし、貧困や社会的排除は、その人の一生に付き添って半永久的に継続する傾向がある。また、保険料の免除制度などにしても、一生の間、ずっと免除され続けることを、制度設計者は想定していなかったであろう。

一時的な困窮であれば、社会保険のようなリスクに対処する制度によって、ある程度は対応することができる。しかしながら、貧困層の多くは、そもそも労働市場の周縁部に存在し、たとえ一時的に貧困から脱却することができたとしても、彼らの多くは貧困線の周辺にとどまっており、テイクオフすることは稀である。このように貧困が固定化するなかでの生活保障は、恒常的な保障を行わなければならないのである。

第二に、貧困や社会的排除に陥るリスクは誰にでも存在するものの、そのリスクが誰にでも存在するものの、そのリスクが著しく特定のカテゴリーの人々に偏っていることにある。生活困難を抱える人の属性を調べると、多くは、女性、低学歴など、労働市場における不利な条件を抱える人々、単身世帯や母子世帯などに偏在している。

 これだけ読めば、社会保険とは何? という疑問が浮かぶだろう。

<皆がお金を出し合って、誰かがリスクに遭遇したときにカバーする>

これが保険の理念である。誰もが同じようにリスクに晒される可能性がある、というのが前提である。困ったときにはお互いに助け合おうというのである。

リスクが偏っているという状況と、「皆がお金を出し合って、誰かがリスクに遭遇したときにカバーする」という保険の理念には相容れないものがある。なぜなら、それは、リスクが高い層に、リスクが低い層からコンスタントに所得の再分配がなされることを意味しており、これにはリスクが低い層からの反発が予想されるからである。

リスクが偏っているとどうなるか。「失業」を考えてみよう。非正規社員期間従業員、パートタイマー、臨時雇用者、派遣労働者、請負労働者など)は、失業のリスクが高い非正規社員から正規社員になる可能性は小さい。つまり、非正規社員にリスクが偏っているのである。これは何を意味するか。正規社員は、「正規社員になれなかったのは自己責任だから、失業給付は必要ない。生活困難になるようであれば、生活保護を受ければよい」と考える。但し、実際にはこのように考える正規社員はいないだろう。雇用保険料が1%にも満たないため、関心がないからである。では、健康保険はどうか。病気や怪我のリスクは、貧富の差にあまり関係ないと思われるが、健康保険料率は高いので、「健康な者」の不満は大きいかもしれない。「不摂生で病気になった者」や「不注意」で怪我を負った者は、「自己責任」でそうなったのだから、自分の費用で(民間の医療保険に入るなりして)対処すべきであり、他人の援助(公的保険)に頼るべきではない、と考えるかもしれない。老齢年金(国民年金保険、厚生年金保険)はどうか。誰もが高齢になれば体力的(精神的)に働けなくなる。老齢年金は、誰にも年金給付があるので、リスクが高い低い層からリスクが低い高い層にコンスタントに所得の再分配がなされるということはない*2

このように見てくると、確かに「リスクが偏っているという状況と、保険の理念は相容れない」だろうが、「リスクが高い層に、リスクが低い層からコンスタントに所得の再分配がなされる」という主張は、割り引いて考える必要がありそうだ。

このような恒常的かつ一方的な所得保障は、保険の理念で設計されており、「自分が出した保険料は自分のお金であって、自分に返ってくるべきだ」という意識の強い枠組みでは不自然であり、政治的に持続不可能であろう。一つ補足すると、自然災害に対する補償には、まさに保険制度が向いていると言われている。なぜなら、災害は、誰に、いつ、起こるかわからないものだからである。平時にお金を出し合って、不幸にも被災してしまった人にお金が支払われる。しかし、この前提は、リスクが誰にでも平等にあるということにある。

もし、被災する確率が、地域や個人個人の属性によって偏っていたらどうであろう。また、もし、保険料の負担能力が人によって異なっていたら、その人の負担能力に見合った異なる保険料の設定が許されるであろうか。さらには、保険料を受け取る際になって、それが一時的ではなく、継続的であったらどうであろう。当然ながら、保険料を払い続けている側からは、不満が出るであろう。

阿部が、最初に述べていたように、

  1. 貧困や社会的排除は、一時的なものではない
  2. リスクが著しく特定のカテゴリーの人々に偏っている

ことを事実として認めるならば、私たちはどう対処すればよいのか? 社会保障制度はどうあるべきか? という問いは、問われ続けなければならないだろう。

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http://www.atd-fourthworld.org/poverty-child-protection-practice-england-improving-collaboration-partnership-families-social-workers/

*1:

思ったより、阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』の記事が多くなったので、サブタイトルを変更します。

  • 格差社会(12)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(6)
  • 格差社会(11)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(5)
  • 格差社会(10)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(4)
  • 格差社会(9)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(3)
  • 格差社会(8)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(2)
  • 格差社会(7)→阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(1)

    *2:老齢年金制度に問題が無いと言っているのではない。