浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

国際語としての「積読=Tsundoku」

私の「読書ノート」は、「積読本」から適当に抜き出して、メモとコメントを書いているものです。

本の購入は極力抑えているにもかかわらず、読書スピードが遅いので、積み上がるいっぽうです。

速読術を推奨する人や、読書冊数を自慢する人は、例えば次のような文章を、どのように読むのでしょうか。

内的描像を記述するには、内的描像の外部記述が不可避である。そう考えるとき、内、外の区別は、経験的実在となる。個体として実在し、その内部を窺い知れないものが他者であり、それ以外は他者であり得ない。このとき、外部であるものが内部となり、内にあったものが外となるような、区別の不定さは決して許されない。このとき、逆に、内・外のかかる厳格さは、独立な内・外を見渡す絶対的な観測者という構図へと導かれ、一元論へと回収されることになる。この一元論化に抗する唯一の方法が、内・外の境界に関する制御不能性である。内部観測者とそれを記述する外部観測者という階層性を棄て、内部観測者が他者を窺い知るという在り方を、理論家もまた採用せざるを得ない。理論家だけが、絶対君主のようにふるまうことはもはや不可能となる。

これは、いずれ読書ノートでとりあげたいと思っている積読本より、適当に開いたページの一節です。

速読家はこれをどのように読むのでしょうか?

内容のないスカスカの本や漫画本なら読めるかもしれないが、そんなもの時間とカネの無駄でしょう。

また、難しい本については、その表層だけをかすめとって(自分が理解できるように勝手な解釈をして)、読んだ気になっているということはないでしょうか?(自戒)

積読」については、面白い記事があります。→積読=Tsundokuが国際語に? 英BBCも特集...「自分のことだ!」

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Ella Frances Sanders 、https://twitter.com/ellafsanders/status/795910328567603200