浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

遺伝子と肥満・アルツハイマー病・身長・自閉症などとの関係 遺伝子型と表現型

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(5)

今回は、第1章 生命科学の急発展と「遺伝子」概念の揺らぎ 第2節「遺伝子」概念の揺らぎ の続きである。

山口は、ゲノム科学の劇的な進歩の中で、分子生物学の大前提の一つである「遺伝子」という概念が、その「定義」だけでなく、「機能」が何かという点についての理解も揺らぎつつある、と言う。

肥満やアルツハイマー病や糖尿病など多くの人がかかる病気については、関連が疑われる遺伝子はいくつも見つかるが、単一の原因遺伝子は今までのところ見つかっていない。そこで近年は、ある病気には共通の遺伝的な変異があるはずだという、研究の大前提となる仮説そのものを疑う声も出つつある。

以前は、遺伝子と形質の関係は直接的で一方通行の、1対1の関係だと考えられていた。だが現在では、タンパク質をコードしているDNAの配列からは、ある形質がもたらされる理由のほんの一部しか説明できないという「遺伝子型と表現型の問題」が起きている」(S.S.ホール、2011日経サイエンス)。

 

ここで少し「用語」のお勉強。

生物がもっている遺伝子の基本構成を、遺伝子型(genotype)という。これに対して,遺伝子の情報に基づいて発現された形質表現型(phenotype)という。(ブリタニカ国際大百科事典)

では、「形質」(=遺伝形質)とは何か。

形質とは、生物が示し、遺伝によって子孫に伝えられる性質のこと。以下に大分される。

  1. 形態形質:形状、サイズ、色など
  2. 生態形質:生活史、行動など
  3. 生理形質:耐性、至適温度など
  4. 分子形質:核型、遺伝子配置、遺伝子型、塩基配列など。(Wikipedia

 

形質というと1.の「形態形質」が思い浮かぶが、2.3.4.も形質に含まれる。

生物のもっている形や特徴のなかで遺伝するものをいう。このような遺伝する形や特徴のなかには、目で見える形や色などのほか、ある種の酵素やタンパク質などの生化学的なものもあり、また体内の組織、器官の形や機能なども含まれる。さらに、光や温度など環境に対する運動や行動、反応性などのなかにも遺伝形質として認められるものがある。(遺伝形質、日本大百科全書

大事な点は、「表現型は同じでも遺伝子型が違う場合がある」ということである。

いま優性の遺伝子をA,劣性の遺伝子をaとすると,AAの個体と Aaの個体とは遺伝子型は異なっているが,表現型はどちらもAである。このように表現型は同じでも遺伝子型が違う場合があるので,遺伝の研究には遺伝子型をもとにして考えていく必要がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

生物のもつ形質には、形態的なもののほか、生理的機能や生化学的な性質、さらには行動や精神活動なども含まれるが、これらは、その生物がもつ遺伝子型によって支配されると同時に、遺伝子の優劣関係や環境の影響によって大きく変化する。(表現型、日本大百科全書

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http://www.drgelo.club/?p=385

 

遺伝子の論理

多くの研究者たちは、少なくとも遺伝率*1の高い形質については強く関連する遺伝子が存在するものと考えて探索を続けている。しかし、私が思うに、そうした遺伝子が見つからないことから考えるべきことは、我々の日常生活における理解の論理(重要なもの・目立つものを選択する論理)と、「遺伝子の論理」とは別物だということである。

「遺伝子と形質の関係は直接的で一方通行の、1対1の関係だと考えられていた」にもかかわらず、例えば、「身長の遺伝子」「肥満の遺伝子」「アルツハイマー病の遺伝子」が見つからない。そこで疑うべきは「1対1の関係」にあるという前提であろう。山口は、これを「日常生活の理解の論理と遺伝子の論理は違うのだ」という言い方をしている。

我々は物事を観察した時に、我々にとって重要だと思える特徴や我々から見て目立つ特徴に注目し、それらの組み合わせで物事を理解する。例えば、ある人について「あの人は、背が高く肥っていてアルツハイマー病だ」などといった形で理解する。しかし、我々がある人間を「身長」や「肥満」や「アルツハイマー病」などといった諸要素の組み合わせで理解するからといって、ヒトのゲノムも「身長担当部分・肥満担当部分・アルツハイマー病担当部分」などの部分に分かれていて、それらの組み合わせで構成されているとは限らない。にもかかわらず「身長の遺伝子」「肥満の遺伝子」「アルツハイマー病の遺伝子」などを探求することは、我々とは異なった論理に従っているものについて外在的な視点からの解釈を押しつけることではなかろうか。それらを直接的に引き起こす遺伝子が見つからないことは、まさしく我々の論理と遺伝子の論理が異質なものであることを端的に示しているのではないかと思われる。 

「身長」や「肥満」や「アルツハイマー病」が、(日常経験からして)遺伝形質(上述の用語のお勉強を参照)であると想定し、その遺伝子を探索することは自然な成り行きであろう。但し、「身長」や「肥満」や「アルツハイマー病」という概念は、「遺伝子」を前提した概念ではない。だから、1対1の関係にあるというのは1つの仮説に過ぎないことは明白である。「我々の論理と遺伝子の論理が異質なものである」と強調するほどのことでもないように思われる。

遺伝子を「肥満」や「アルツハイマー病」などの観点からグループ分けすることは、これと同じような、人為的ないし恣意的な分類だということになるのではないか。あるいは、我々が「肥満」「アルツハイマー病」「身長」「自閉症」などの単一事象として理解している現象が、実は、複数の遺伝子に対応する複数の現象を恣意的にくくった束だということになるかもしれない。

「肥満」「アルツハイマー病」「身長」「自閉症」は、「複数の遺伝子に対応する複数の現象を恣意的にくくった束」などというものではなく、単に、「複数の遺伝子が関与している」と言っておけば良いのではないかと思われる。

これとは逆に、「遺伝子の論理」から出発するなら、一つひとつの遺伝子に対応して起こる現象(遺伝子の論理からすれば「一つの現象」)は、我々にとっては、関連性の無い現象の恣意的な寄せ集めのように見えることだろう。例えば、鎌型赤血球症は原因となる遺伝子がはっきりしているが、この遺伝子が引き起こす結果は、貧血、内臓障害、マラリアに感染しにくくなることなど、多様である。原因が分かった上で理解しようとすれば、これらの諸結果には関連性があると思えるが、前提知識なしに純粋に症状のみを観察するならば、貧血と内臓障害とマラリア予防とは関連の無い現象の寄せ集めのように思えるのではないか。ここで述べたようなことは、遺伝学では「ポリジー」(一つの形質が多数の微動遺伝子によって規定される)や「多面発現」(一つの遺伝子が様々な効果を発揮する[さまざまな形質を発現する])などの概念によって説明されてきた。これらの概念は、本来は1対1に対応しないはずのもの同士を無理矢理に結びつけるための道具立てだったのではないかと思われる。

形質と遺伝子の関係を説明するのに、ポリジーン(n遺伝子→1形質)や多面発現(1遺伝子→n形質)の概念で十分ではないか。「本来は1対1に対応しないはずのもの同士を無理矢理に結びつけるための道具立て」などではなく、1対1対応の仮説を棄て、n対nの仮説を採用したということであるように思う*2

実は、遺伝子に対する外在的な視点からの解釈の押しつけという構造は、遺伝学の出発点にさかのぼる。周知の通り、「遺伝子」という概念は、メンデルがエンドウマメの皺や色などといった形質に対応する、何らかの内的な原因として想定したものである。つまり、そもそも遺伝子という概念そのものが、外在的な視点から作られたものだということである。皺や色はエンドウマメを観察する人間には目につきやすいが、エンドウマメ自身にとって(つまり内在的な視点からみて)重要なものであるとは限らない。観察する人間が皺や色などに着目することについて、エンドウマメそのものにおける必然性があるわけではない。

遺伝学における遺伝子概念と分子生物学における遺伝子概念が異なっていて良いではないか。現象を形質からみていくか、DNAからみていくかの違いであって、ここに「内在的な視点」とか「外在的な視点」を持ち出す必要はないだろう。内在的な視点(遺伝子の論理)を強調することによって、有益な知見が得られるのだろうか。

 

遺伝子研究と医療

遺伝子を利用して医薬品を開発するためには、遺伝子を我々の日常生活における有用性と結びつけなければならない。「遺伝子の論理」そのものを明らかにすることが科学としての生物学の本来の目標だとすると、特許権や有用性という観点からの遺伝子研究は、資金の調達や医薬品の開発には良いのかもしれないが、本来の科学とは少々ずれた動機に基づく研究だと言うべきではないだろうか。

さまざまな病気に遺伝子が関係しているなら、遺伝子治療は選択肢の一つだろう。山口は、「本来の科学とは少々ずれた動機に基づく研究だと言うべきではないだろうか」と否定的なニュアンスで書いているが、「医学」としては、「有用性という観点からの遺伝子研究」は否定されるものではないだろう。但し、特許権などというカネ絡みの話はまた別である。

 

遺伝子概念の揺らぎ

この節では、近年のゲノム科学の劇的な進歩の中で、分子生物学の大前提のひとつである「遺伝子」という概念に揺らぎが見えつつあることを概観してきた。その中で何度かふれたように、そもそも「遺伝子」は遺伝学と分子生物学という二つの出自を持ついわばつぎはぎの概念なのである。そしてこの概念は、分子生物学の草創期においてすでに揺らぎないし多義性を含みこんでいたのであった。このように錯綜した遺伝子概念の内実を整理するためには、その成立をメンデルに遡り、その後の分子生物学における展開の歴史的経緯を追跡することが必要だろう。そうした作業は第3章で行う。

ここまで読んだ限りでは、遺伝子概念が揺らいでいる、などと特筆する必要はないように思う。但し、第3章を読めば、考えが変わるかもしれない。

*1:遺伝率…ある形質の発現に遺伝子がどの程度相関があるかを示す値。

*2:素人の感想です。