山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(6)
今回は、第1章 生命科学の急発展と「遺伝子」概念の揺らぎ 第3節 ネットワークとしての生命 第1項 バイオインフォマティクス である。
私たちは「生命」について何を知っているのか? タンパク質の機能を理解しているのか? タンパク質に翻訳されない多数のRNAは、どういう働きをしているのか? …こうした疑問を抱くことができるか。これは何も生物学に限った話ではないが…。
バイオインフォマティクス(bioinformatics、生命情報科学)
細胞内の具体的な活動を明らかにしていくためには、単にゲノムを調べてよしとするわけにはいかず、ある細胞において発現しているすべての転写産物(トランスクリプトーム、物質としてはRNA)やすべてのタンパク質(プロテオーム)を調べ上げることが必要だと考えられるようになってきた。その他、代謝産物のすべてを調べようとする「メタボローム」、表現型を網羅しようとする「フェノーム」なども提唱されている。これら様々な網羅的研究をひっくるめて、「オミクス」などという言い方ことがなされることもある。
基本的な問いは「生命とは何か?」である(この問いは「人間とは何か」とう問いにつながっている)。この文章における問いは「細胞内の具体的な活動はどうなっているのか?」である。この問いを持てるか否か。この問いを持つことができれば(「生命」とは何か?という問いを持つことができれば)、以下の文章を読む気にはなるだろう。
ここでトランスクリプトームとかプロテオームとかメタボロームとかの言葉が出てきたので、ざっと見ておこう。
- トランスクリプトーム(transcriptome)…ある生物種やその器官について,存在するmRNAの全体をいう。ゲノムに対して造られた語(栄養・生化学辞典)。特定の状況下において細胞中に存在する全てのmRNA(ないしは一次転写産物、transcripts)の総体を指す呼称である。ゲノムは原則として同一個体内のすべての細胞で同一だが、トランスクリプトームでは状況が異なり、同一の個体にあっても組織ごとに、あるいは細胞外からの影響に呼応して固有の構成をとる(Wikipedia)。
- プロテオーム(proteome)…ある生物,臓器,細胞などのタンパク質の総体,ひとまとまり(栄養・生化学辞典)。
- メタボローム(metabolome)…生物の細胞や組織内に存在するタンパク質や酵素が作り出す代謝物質の総称(日本大百科全書)。生体内には核酸(DNA)やタンパク質のほかに、糖、有機酸、アミノ酸など多くの低分子が存在し、その種類は数千種に及ぶ。これらの物質の多くは、酵素などの代謝活動によって作り出された代謝物質である(Wikipedia)。なお、代謝とは「新陳代謝の略。生物体がエネルギーおよび物質を外部から取り込み(同化)、体内で化学的に変化させ、不用なものを外部に放出する(異化)反応の総称。」(知恵蔵)である。
次の図が、頭の整理に役立つ。
上図で、黄色になっている-ome と-omix の説明をみておこう。
・-ome(オーム) …ギリシャ語で「すべて・完全」を現す接尾辞
・-ics …「学問」を表す接尾辞。
・-omics(オミクス) …網羅的に解析する方法、一個一個ではなく、全体を解析する方法
遺伝子の情報が、実際に髪の色とか太ってるとかいうヒトとしての形態や機能の特徴(表現型)として現れてくるまでいくつかのステップ(DNA → mRNA → タンパク質 → 代謝物質)を踏む。その中でもメタボロミクスの特徴はその中でも表現型に最も近い情報である。
オミクス(-omics)とは、「研究対象を網羅的に(全体的に)研究する学問」と理解しておけばよいだろう。
細胞は、DNA、RNA、タンパク質、代謝物質といった物性の異なる分子群から構成されており、物性がよく似た分子同士を集めたグループのことをオミクス階層と呼びます。細胞が示す多彩な生命機能は、複数のオミクス階層にまたがるネットワークによって実現されています。これまでの生物学研究では、特定の一部の分子に着目する「個別解析」や、1つのオミクス階層のみを網羅的に調べる「シングルオミクス解析」によってこのネットワークの姿に迫ろうとしてきました。…従来型の個別分子に注目する研究(左)は各オミクス階層内の網羅性に乏しく、単階層のみを対象とするシングルオミクス解析(中央)では階層間の相互作用が未知のまま残されます。これに対し本研究では、細胞を構成する複数のオミクス階層を統合する「トランスオミクス解析」(右)の方法論を確立しました。(https://www.jst.go.jp/pr/announce/20140815/index.html)
例えば、economicsは、-ics なのか、-omics なのか。私は、-omics であるべきと思うのだが…。
ゲノム(DNA)だけでなく、mRNAやタンパク質を扱うようになるとデータ量が膨大になり(ビッグデータ)、その解析のために、バイオインフォマティクス(bioinformatics、生命情報科学)という新領域が立ち上げられたというのであるが、その研究領域は、
先に「全ゲノム・ショットガン法」のところで述べたようなゲノムの断片的配列のつなぎ直し(アセンブリング)や、ゲノム配列の中からの遺伝子の発見とその機能の推定(アノテーション)のほか、様々な遺伝子の発現調節のプログラムを明らかにしたり、転写産物とタンパク質が関わる代謝経路やシグナル伝達のネットワークを描いたりすることなどがある。そうして明らかになった非常に複雑なネットワーク(遺伝子制御ネットワークや代謝ネットワーク、シグナル伝達ネットワーク)の全体像を経路図(回路図)として視覚化するなどの手法が利用されている。近年の研究では、数千個の分子の間の、10万以上にのぼる相互関係を線で結んで表示するなどのことが可能になっている。(但し、どの遺伝子やタンパク質の間で相互作用が起こるかということは調べられているが、現在でのところ、その際に働く具体的な分子メカニズムの多くは明らかになっていない)。
Wikipediaは、バイオインフォマティクス(bioinformatics、生命情報科学)を、次のように説明している。
生命科学と情報科学の融合分野のひとつで、DNAやRNA、タンパク質の構造などの生命が持っている「情報」といえるものを情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いて分析することで生命について解き明かしていく学問である。機械学習による遺伝子領域予測や、タンパク質構造予測、次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など、大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため、スーパーコンピュータの重要な応用領域の一つとして認識されている。(Wikipedia)
バイオインフォマティクスの動植物オミックスデータへの応用
http://www.agr.shizuoka.ac.jp/c/biotech/park/report/577/609.html
山口は、次項(システム生物学の登場)で、金子邦彦の言葉を引用している。
現在、分子生物学の主流は、遺伝子、タンパク質などをすべて枚挙し、その地図をつくっていこうというものである。しかし、その一方で、それでは生命とは何か、わかった気がしない、という不満も多く聞かれる。(金子邦彦『生命とは何か 複雑系生命論序説』2003年)
先ほど、オミクス(-omics)という言葉が出てきたが、これは還元主義に対する全体論(ホーリズム)の立場ではないかと思われる。本書でも、後にこの話が出てくるだろう。
システム生物学については次回に見ることにしよう。