浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

核兵器のない世界 オバマ大統領演説 人類という1つの家族

久米郁男他『政治学』(21)

今回は、第8章 国際関係における安全保障 第1節 安全保障のジレンマとその回避 の続きで、「安全保障」の話(国際連盟国際連合核兵器削減条約・核実験禁止条約など)なのだが、本節を読む前に、2016年5月27日、オバマ大統領が現職の大統領として初めて広島を訪問した時のスピーチ*1についてみてみよう。

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http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/obama/

 

ここで質問です。

もしあなたが、広島平和記念公園で、スピーチをすることになったら、何を話しますか?

考えてみて下さい。…ひねくれた態度をとらず、まじめに「核兵器のない世界」を目指すためのスピーチを考えてみて下さい。ある程度考えがまとまったら、オバマ大統領のスピーチと比べてみて下さい。得るところがあると思います。

 

スピーチ動画の前に、こちらをどうぞ。


広島原爆投下

 

スピーチ動画は、次のいずれかが良いでしょう。

(1) 「だから 私たちは 広島に来る」:オバマ氏広島演説・ノーカット版

(2) オバマ大統領の広島訪問 所感(全文動画)|NHK 戦争証言アーカイブス

 

以下、NHKの上記サイトから、スピーチを一部引用しよう。(但し、写真は(1)による)

 

71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。閃光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。

Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

 言葉だけでは、なかなか実感できない。上に紹介した「広島原爆投下」の動画は、フィクションではない。

犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。

Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

 誰もが殺人や暴力を否定するにも関わらず、なぜ外国(誰かが敵国と決めた国)の人であれば、殺人や暴力が許されるのか。そのような私たち人間はいったいどういう存在なのか、どういう存在であるべきなのか。私たちは変わることができるのか。

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どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。

On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold; compelled by nationalist fervor or religious zeal.

 21世紀に至ってもなお、戦争は過去のものではない。

 

思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。

Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes; an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

 「支配したい、制覇したいという思い」と訳されているが、これは「思い」というような生易しいものではなく、人間の「本能」(instinct)なのかもしれない。私にはまだよく分からない。

 

しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。私たちを人類たらしめている思考想像力言語道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。

Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction; how the very spark that marks us as a species -- our thoughts, our imagination, our language, our tool-making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction. How often does material advancement or social innovation blind us to this truth. How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause.

 科学の進歩が「度を超えた、大きな破壊力」を生みだす。倫理観なき権力者の支配下にある倫理観なき自然科学者の発明が人類を破滅に導く…とは、言い過ぎか。 

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すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました

Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill. Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.

 「信仰」は、「殺しのライセンス」となる。過去の宗教戦争だけでなく、イスラム国のテロリストを思い浮かべればよい(日本ではオウム真理教も)。さらに言えば、「国粋主義者」や「民族主義者」の「信仰」(信念)も、「殺しのライセンス」となりうる。但し、誰がライセンスを与えるのかは、常に問題である。「異なる人」を、排除し・抑圧し・支配してよいとする「信仰」は根強いようだ。(→「殺しの免許証ライセンス」サウンドトラック

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彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです

Mere words cannot give voice to such suffering, but we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

 いかにして歴史を直視できるようになるか。歴史を直視しようとしない教育がなされていないか。

 

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どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです

For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mindset about war itself –- to prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they’ve begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy, but by what we build.

 私たちは、何をつくり出すことができるか。破壊力(兵器)の増強ではなく、「協力」をつくり出そうとしているのだろうか。

 

もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。

we must reimagine our connection to one another as members of one human race. For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past.

 

この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。それが、私たちが広島に来た理由です。

But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for; an ideal that extends across continents, and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious; the radical and necessary notion that we are part of a single human family -– that is the story that we all must tell.

私たちは、「人類という1つの家族の一員だ」ということは、何度でも強調されてよい。私はこれを「グローバル・コミュニティ」と呼んでいる。

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広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。

a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

 広島と長崎は、核開発の始まりだったと言えよう。道徳的に目覚めるためには何をすればよいのか?

*1:オバマは伊勢志摩サミット出席後の2016年5月27日、内閣総理大臣安倍晋三とともに広島県広島市中区広島平和記念公園を訪問し、広島平和記念資料館を10分程度視察後、慰霊碑に献花し、17分にわたって「核兵器のない世界」に向けた所感を述べた。(Wikipediaバラク・オバマの広島訪問)