浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる

香取照幸『教養としての社会保障』(5)

今回は、第3章 日本の社会保障-戦後日本で実現した「皆保険」という奇跡 である。

日本の社会保障の特徴として、次のものが挙げられている。

  1. 国民皆保険、国民皆年金である。
  2. 社会保険方式に公費を投入し、保険料と税の組合せで財政運営している。
  3. 職域保険と地域保険の二本立てになっている。
  4. 国・都道府県・市町村と民間主体が責任と役割を分担し連携している。

1.国民皆保険・皆年金の奇跡 - 公平と平等を重視した制度設計

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https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20131101-OYTEW62176/

 

国民皆保険、国民皆年金とはどういう制度か。

国民皆保険…国民すべてが何らかの医療保険制度に加入し、病気やけがをした場合に医療給付が得られること。日本の場合、1955年頃まで、農業や自営業者、零細企業従業員を中心に国民の約3分の1に当たる約3000万人が無保険者で、社会問題となっていた。しかし、1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に全国の市町村で国民健康保険事業が始まり、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる、国民皆保険体制が確立した。

国民皆年金…日本では自営業者や無業者も含め、原則として20歳以上60歳未満のすべての国民は公的年金に加入する。これを国民皆年金という。1961年に自営業者らを対象とする国民年金が発足し、厚生年金などと分立しているが、国民皆年金が実現した。1985年、全国民共通に給付される基礎年金(国民年金)が創設され、厚生年金などの被用者年金は上乗せの2階部分として、報酬比例年金を給付する制度に再編成された。基礎年金の費用は国民全体で公平に負担する。(梶本章、知恵蔵)

上記の通り、皆保険・皆年金制度が作られたのは1961年である*1。1961年というのはどういう時代であったか。

1961年というのは高度成長がまさに始まろうという時期である。社会保障は付加価値の分配だから、それなりに社会が発展して豊かでなければつくれない制度である。分配できる富の蓄積がなければ、やりたくてもできない。しかし、日本は、そんなに豊かではなかった時代に、すべての国民に医療を保障する・老後生活を保障する、という皆保険・皆年金制度を作ろうと志し、そして実際に制度を作った。

誰が作ったのか。香取は、「決断した政治(政治家)、実現した行政(官僚)はよくやった」と言っているが、実際のところはどうか。

見方を変えれば、このときだから作ることができたとも言える。東京をはじめ、全国の主要都市を焦土と化した戦争が終わってまだ16年。復興の途上にあり、所得格差もまだ広がっていなかった。みんな貧しかった。だからこそ、つくることができたという側面がある。

先ほど「豊かでなければつくれない制度である」と言っていたが、ここでは逆に「みんな貧しかったからこそ、つくることができた」と言っている。どちらが正しいのか?

私は、社会保障制度は、社会が豊かであろうが貧しかろうと関係なく作れると考えている。社会保険は「保険」であるから、「みんなでお金を出し合って、プールして、リスクに遭遇した人に分配する」(2019/6/22 社会保障 「自助」(自己責任)を基本にして良いのだろうか? 参照)ものである。それゆえ、社会が豊かでも貧しくても社会保険の制度が可能なことは、保険の意味を理解できる人であれば、理解できるだろう。社会保障といえば、公的扶助:生活に困窮する国民に対して、最低限度の生活を保障し、自立を助けようとする制度(生活保護制度)もある。これも、もちろん社会全体の貧富とは関係ない話である。

だから、香取が国民皆保険・国民皆年金の制度を「決断した政治(政治家)、実現した行政(官僚)は、よくやったものだと本当に思う」と述べるのは、おそらく政治家や先輩への社交辞令だろう。では何故国民皆保険・国民皆年金の制度が作れたのか。私は、(特に根拠があるわけではないが)当時の官僚にパワーがあり、「公平と平等」を実現しようという政治理念があったのではないかと考えている。

政治的には、60年安保の後の社会の対立を収束させ、国民に生活の安心を保障することで民心の安定を図る、ということだったかもしれない。

政治家はこの点を重視したというのはありうることだろう。

そして社会保障制度があったから、極端な所得格差を生じさせることなく、社会からの脱落者を最小限に止めながら、高度成長を社会全体で享受することができ、そのことがさらなる日本経済の成長を実現させた。そこを考えると、あの時代にいち早く皆保険・皆年金制度を作った先人の先見性、社会保障制度が社会の分裂を防ぎ、格差の広がりを防ぎ、社会の安定と経済の発展を支えている、ということを理解できる。

何でも「社会保障制度」のお陰だとするのはどうかと思うが、「社会保障制度が社会の分裂を防ぎ、格差の広がりを防ぎ、社会の安定と経済の発展を支える(べき)」というのは確かなことのようだ。現在、社会の分裂が進み、格差が広がっているとするならば、それは「社会保障制度」が十分に機能していないからだと言えるだろう。

 

2.社会保険の財源 - 保険料負担能力がなくても保険に加入できる

西欧諸国の多くは、日本と同じように社会保険制度が中心であるが、…保険料を支払う能力のない人は保険制度の枠から外して別の枠組みで対応する、具体的には公助の制度で対応するとしている国が少なくない。…日本でも本当に最低生活を維持できなくなった人は生活保護で対応するが、保険料負担能力のない人も仲間外れにせずに出来る限り共助の枠組み、つまり保険に加入させ、給付も平等にする。そのために、日本では支払能力のない人は保険料の方を減免し、公費つまり税金で補填することにした。

社会保障を考える際には、「保険と税」が極めて重要な論点だと思うのだが、これは次回にとりあげることとしたい。

 

3.職域保険と地域保険

職域保険、地域保険とはどういう保健か。

職域保険(=被用者保険)…会社員・公務員・船員とその扶養家族を対象とする社会保険。健康保険(組合健保・協会けんぽ)・厚生年金・労災保険雇用保険・共済組合・船員保険など。

地域保険…自営業者・農林水産業者・無職者など、職域保険に加入していない人を対象とする社会保険国民健康保険国民年金がこれにあたる。(デジタル大辞泉

 被用者保険とそれ以外の保険というなら分るが、なぜ職域と地域なのか。自営業や農林水産業は職業ではないのか。自営業や農林水産業をなぜ地域で括るのか。保険料を払えない無職の者がなぜ保険に入るのか。

ドイツの社会保険がギルドの互助組織の延長上に構想されたように、保険は同質集団の方が作りやすいので、歴史的にはどの国でも大企業や軍人、公務員といった職域の集団から先に社会保険制度が作られた

日本でもまず大企業を中心に健保組合が作られた。そして職域の保険を順次適用拡大していき、最後にどこにも属さない人(自営業者など) は国民健康保険をつくって地域で括る、という形で皆保険が実現した。

 何故「地域」なのか。

所得や考え方に大きな違いがあると利害が一致しにくいため、保険は同種同業の人など基礎となる組織・集団をベースに作られるのが一般的であるが、種々雑多な人々が加入する国民健康保険が成り立ったのは、「地域」で括ったからである国保同じ地域の住民、コミュニティの仲間であるという連帯意識に支えられている*2

被用者ではない第1次産業従事者が約3割を占める時代にあって、「地域」が「同じコミュニティの仲間」(同質集団)であるという側面を有していたから「保険」として成り立ったのであろう。「連帯意識」については、いまは何とも言えない。

 

4.官と民の役割分担

日本の社会保障は、制度は国が作ったが、例えば医療にしても福祉にしてもサービスの多くは民間の事業体が担っている。

官と民の役割分担も重要な論点だと思うので、別途とりあげることにしたい。

*1:最初に作られた皆保険制度はとても簡素なもので、国民健康保険は5割給付、入院は事前承認制で、投薬には剤数制限があり、給付期間の制限もあったそうであるが、ここでは「すべての国民」が保健医療を受けられるようになったという点を評価しなければならないだろう。

*2:この時代は就業者人口の約33%が第1次産業従事者で、農民・漁民と自営業者、そしてその家族を合わせると人口のおよそ4割強。この人たちが国民健康保険に加入した。