浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

社会保障 「自助」(自己責任)を基本にして良いのだろうか?

香取照幸『教養としての社会保障』(3)

今回は、第2章 基本哲学を知る(「共助」や「セーフティネット」が社会を発展させた)の第1節 社会保障制度の教科書的理解 及び 第2節「共助」の意味 である。

「老後資金は2000万円不足するから投資せよ」という話を、正確に・根本的に理解するためには、多くの知識を必要とする。「社会保障はどうあるべきか」に関する識見なしに、表面を論じていては一過性の話題で終わる*1。老齢年金を論じようとするなら、少なくとも社会保険社会保障)の基本的考え方・基礎知識を必要としよう。

香取は、社会保障制度の「教科書的理解」として、概要を説明している。詳細は今後見ることにして、「社会保障」というとき、以下のような事柄が念頭にあることを覚えておきたい。

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社会保障制度とは>

社会保障制度は、国民の「安心」や生活の「安定」を支えるセーフティネット

社会保険社会福祉、公的扶助、保健医療・公衆衛生からなり、人々の生活を生涯にわたって支えるもの。

 1.社会保険(年金・医療・介護)*2

国民が病気、怪我、出産、死亡、老齢、障害、失業など、生活の困難をもたらすいろいろな事故(保険事故)に遭遇した場合に一定の給付を行い、その生活の安定を図ることを目的とした強制加入の保険制度           

  • 病気や怪我をした場合に、誰もが安心して医療にかかることのできる医療保険
  • 老齢・障害・死亡等に伴う稼働所得の減少を補填し、高齢者、障害者及び遺族の生活を所得面から保障する年金制度
  • 加齢に伴い要介護状態となった者を社会全体で支える介護保険

2.社会福祉

障害者、母子家庭など社会生活をする上で様々なハンディキャップを負っている国民が、そのハンディキャップを克服して、安心して社会生活を営めるよう、公的な支援を行う制度

  • 高齢者、障害者等が円滑に社会生活を営むことができるよう、在宅サービス、施設サービスを提供する社会福祉
  • 児童の健全育成や子育てを支援する児童福祉

 3.公的扶助

生活に困窮する国民に対して、最低限度の生活を保障し、自立を助けようとする制度

  • 健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する生活保護制度

 4.保健医療・公衆衛生

国民が健康に生活できるよう様々な事項についての予防、衛生のための制度

  • 医師その他の医療従事者や病院などが提供する医療サービス
  • 疾病予防、健康づくりなどの保険事業
  • 母性の健康を保持、増進するとともに、心身ともに健全な児童の出生と育成を増進するための母子保健
  • 食品や医薬品の安全性を確保する公衆衛生

 (昭和25年及び昭和37年の社会保障制度審議会の勧告に沿った分類)

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社会保障制度の基本哲学(基本的な考え方)

「自助」、「共助」、「公助」という言葉がある。そしてこの言葉が、(日本の)社会保障の基本的性格を端的に表す(?)、と同時にその問題点(あるいは論点)をも示すもののように思われる。後で、まとめてコメントする。

 

(a)

社会保障は「自助・共助・公助の組み合わせ」と言われる。確かにその通りだが、この自助・共助・公助は単に並列で存在しているのではない。

全ての国民が社会的、経済的、精神的な自立を図る観点から、①自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本として、②これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、③その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し(略)、受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを「公助」として位置付ける。(第1節)

(b)

現行の社会保障制度の基本的な哲学は、「自助」を基本に「共助」で補完する、ということである。自立を支えることが社会保障の目的だと位置づけられる。国民は社会的、経済的、精神的に自立をし、自ら働いて自分の生活を支え、自分の健康は自分で維持する、というのが基本である。しかし、自助だけでではリスクを防御しきれない場合もある。病気になった人がその度に社会からこぼれ落ちるということがないように、互いに支え合うこと、即ちそれぞれの生活のリスクを分散する「共助」で補完し、それでも困窮に陥ってしまった人を「公助」で支えるというのが、わが国の社会保障の基本である。

あくまで自助が前提である。自立した人同士がリスクを分散するための制度が共助であり、自助があるから共助があるのであって、自助のない共助はない、というのが基本的な考え方である。(第1節) 

 (c)

社会の安定のために、働けなくなって社会から脱落する人をなるべく少なくするように、予めセーフティネットを張っておく。困窮に陥ってしまってから助けるのではなく、困窮に陥る前に、困窮の原因となる出来事が起こったときに対処するための制度を予め用意しておく、ということである。

現行制度では、医療保険介護保険、年金保険、雇用保険などがそれにあたる。基本には一人ひとりの自立を尊重するという考え方がある。…それぞれの自立をお互いに助けあって実現することで、全体として小さいリスクで人々の自立を確保・実現しようとするものである。それを端的に表す言葉が「共助」である。自助の共同化ということである。みんなでお金を出し合って、プールして、リスクに遭遇した人に分配する。つまり、助け合いの考え方を基盤として制度が作られている。これは「共助」であって、国が助けてくれる「公助」ではない。そのための「割り前」が保険料である。(第2節)

  (d)

助け合いは、共同体とか、あるいは仲間意識とか、そのような人と人とのつながりがベースにあって初めて成り立つものである。日本のように比較的均一性の高い社会では、助け合いは普通のことで、職場にも地域にも、例えば町内会にも助け合いのシステムが当たり前のようにある。しかし、そうではない社会、多民族社会や貧富の差が極端に大きな社会では、助け合いのシステムをつくるのは難しいということがある。一方で、助け合いのシステムがあることで共同体が維持できるという面もある。だから、社会保障は、共同体を基盤とすると同時に、共同体を支えているものでもある。(第2節)

(e)

共助とは、一人ひとりが自分の責任で、つまりどこまで行ってもリスクは自分のものだから、本来なら自分の責任で解決するべきものだけれども、現実には誰もが一人では負いきれないリスクに遭遇することがあるし、それを全部一人ひとりの自己責任ということにしてしまうと個人の生活が破壊されるだけでなく、結局は社会全体が壊れてしまう危険性が大きいから、危険性を小さくするためにリスク回避を共同化する、ということである。その考えを具現したのが、社会保険の仕組みである。つまり社会保険は、自助を共同化する仕組みということになる。(第2節)

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In Rajasthan, The Only State With A Minister For Cow Welfare, Cattle Are Dying By The Dozens At Welfare Home (Bobins Abraham、2016/8/5)

 

自助・共助・公助の検討(コメント)

(1) 「自助」について

まず、「自助」についてであるが、これはどういう意味か。「他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること」(デジタル大辞泉)。ここで疑問が生じる。「自分の力」とは何か? 「事」とは何か? 他人の力によらず、自分の力だけで、何事かを成し遂げることなど可能なのだろうか?

香取は、社会保障に関して、自助とは、「国民は社会的、経済的、精神的に自立をし、自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持すること」であると言っている(b)。そして恐らくこれが厚労省の公式見解でもあるだろう。この「自助」が基本であることが強調されている。

ただちに、上記の辞書の定義と異なることに気づくが、その前に、「何事かを、他人の力によらず、自分の力だけで成し遂げることは可能なのだろうか?」と問うてみたい。私は毎日ご飯を食べる(パンでもよい)。これは自分の力だけで可能なことだろうか。米の生産からご飯に至るまでどれほどの生産・流通過程を経ているか、ちょっとでも考えれば一人では不可能なことは明白である。これは財の消費全般について言えることである。車を運転する、これは自分の力だけで可能か。車という財をさておいても、道路や信号や免許制度や燃料や車検制度や、諸々のことが整備されていなければ、車の運転は不可能である。テレビドラマを見る。これは自分の力だけで可能か。これも少しでも考えてみれば、自分一人の力で不可能なことは言うまでもない。以上、財・サービスの消費面であるが、生産面ではどうか。狩猟採集社会ならいざしらず、道具・機械・土地・情報を使い、さまざまな法規制の下で行われる生産活動が、自分一人の力で行われることなどあり得ない。すなわち、「自分の力だけで事を成し遂げること」は不可能である。辞書のいう「自助」とは、ご飯や食器などすべて与えられたうえで、ただ「自分の手を使って、ご飯を口に運ぶことができる」、「自分の手足を使って、ハンドル操作やブレーキ操作ができる」、「自分の手や目を使って、パソコン操作ができる」といった程度のことだろう。こんなことを「自助」というのか。人間の基本機能として、手足を動かすことができる、感覚器官を働かすことができる、ということに過ぎないのではないか。

社会保障論がいう「自助」は、「自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持すること」と言っている。これは辞書の定義と異なるが、これを考えてみよう。「自ら働いて自らの生活を支え」とは、「労働による対価をもって生活に必要なものを取得する」ことを意味しよう。とすると、これは、①労働が可能であること、②労働により対価を得ることができること、③対価をもって生活に必要なものを取得できる、の3つに分節できる。しかしながら、①労働が可能であるか否かは、環境要因が圧倒的である。働く能力と意欲があっても、労働可能ではないことが多い。労働可能であっても、いかなる労働環境であるかが大問題である。これは自力では如何ともし難い。②労働によりどれほどの対価を得られるか。対価は自分では決められない。対価がいかにして決まってくるのか考えてみよう。③生活に必要なものを自力で取得できるのか。生活に必要なものとは何か。どれほどの対価を必要とするのか。これを自分一人で決めることができるのか。つまり「自ら働いて自らの生活を支え」と言うが、これは自分一人の力で決められることではない。

自らの健康は自ら維持する」とは、「自らの健康」を判定できることを前提としているだろう。ならば「健康診断」など不要である。「自ら維持する」とは、健康維持のための対応(食事、運動、衛生など)が分かっていることを前提としているだろう。またそのような情報の入手が可能か、また実際の対応処置が可能なのか。「自らの健康は自ら維持する」と言うが、自分一人の力では不可能なことは明らかであるように思われる。にも拘らず、これが「自助」であり、基本であるとはどういうことだろうか。

国民は社会的、経済的、精神的に自立をし…」というが、このような抽象的な表現では何を言っているのか皆目わからない。

自助は、「一人ひとりが自分の責任で、つまりどこまで行ってもリスクは自分のものだから、本来なら自分の責任で解決するべきもの」(e)と考えられているようだ。例の「自己責任論」*3だろう。ここでは「リスクは自分のもの」という考え方が問題だ。リスクとして何が考えられているか。例えば、失業する(整理解雇、定年退職)リスクは、自分のものだから、本来自分の責任で自ら解決すべきものだろうか。例えば、インフルエンザにかかったのは自分だから、自分の責任で、治さなければならないのだろうか。交通事故で怪我をした。怪我をしたのは自分(被害者)である。だから、本来、自分(被害者)の責任で解決しなければならないのだろうか。加害者はどういう位置づけにあるのか。リスクを発生させた者は、お咎めなしということだろうか。

以上見てきたように、上記社会保障論が言う「自助」とは、自分一人の力ではどうしようもないこと加害者の責任を問わず被害者が自分で解決することを「自助」と称し、これが「基本」であると言っているように思われる。

 

(2) 「共助」について

次に「共助」についてであるが、「みんなでお金を出し合って、プールして、リスクに遭遇した人に分配する」(c)。

これは「保険」の理念を述べていると考えてよいだろう。医療保険介護保険、年金保険、雇用保険労災保険などである。他にも、生命保険や火災保険、地震保険自動車保険、傷害保険、PL保険、海上保険預金保険…無数にある。いずれも不慮の事故(リスク)に備えるものである。そのような不慮の事故にあう可能性のある者が、所定の金額(保険料)を支払って、不慮の事故に遭遇した人に分配する。保険者が資金を管理・運用する。

これは、「それぞれの自立をお互いに助けあって実現することで、全体として小さいリスクで人々の自立を確保・実現しようとするもの」(c)だろうか。自立とは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと」(大辞林)であるとするなら、「お互いに助けあって」とは矛盾するのではないか。支配はないかもしれないが、自立というとき、「自分一人の力だけで物事を行うこと」の意味合いが強いので、「お互いに助けあって」というのには違和感がある。但し、保険は「小さい掛金で、不慮の事故に備えることができる」メリットがあるので、これは「助け合い」というような倫理的意味合いを持たない、経済合理的な判断と言うべきだろう。他者のためではなく、自分にとってメリットがあるから保険を掛けるのである。

「困窮に陥ってしまってから助けるのではなく、困窮に陥る前に、困窮の原因となる出来事が起こったときに対処するための制度を予め用意しておく」(c)と言う。もちろんこれは、「困窮に陥ってしまってから助ける」よりは良い。しかし、予防対策としては、なぜ困窮に陥るのか? なぜ困窮の原因となる出来事が起きるのか? と問うことがより重要だろう。

医療保険介護保険、年金保険、雇用保険労災保険などについて、保険事故の原因は何なのか? 保険事故を最小化する手立ては何なのか。このように問うと、年金保険がやや異質であることに気づく。年齢が保険事故であるはずがないのに、年齢により年金給付がなされる。これについては、後でふれることにしよう。

もう一点。「助け合いは、共同体とか、あるいは仲間意識とか、そのような人と人とのつながりがベースにあって初めて成り立つ」(d)と言うが、上述の通り、保険が経済合理的なものであれば、「仲間意識とか、そのような人と人とのつながり」がベースになくても成立すると考えられる。「日本のように比較的均一性の高い社会では、助け合いは普通のことで、職場にも地域にも、例えば町内会にも助け合いのシステムが当たり前のようにある」(d)と言うが、これは「概ねそうであった」というのが実際のところで、現在では「職場にも地域にも、例えば町内会にも助け合いのシステムがほぼ無くなっている」というのが実情であろうと思われる。

確かに「多民族社会や貧富の差が極端に大きな社会では、助け合いのシステムをつくるのは難しい」(d)ように思う。しかし、そのような社会でも、「保険」は成立するだろう。

また「助け合いのシステムがあることで共同体が維持できるという面もある。だから、社会保障は、共同体を基盤とすると同時に、共同体を支えているものでもある」と言うのもその通りだと思う。だが、これは「共助」=「保険」とは関係のない話であろう。

みんなでお金を出し合って」というとき、「みんな」とはどういう範囲の「みんな」であるか。「共同体」(コミュニティ)というとき、どのようなレベルの共同体を考えているかが問題である。各種保険の被保険者グループのみを共同体メンバーとしてよいのか。短時間労働者はどのような共同体に属しているのか。更に大きな問題は、せいぜい国家単位の「共同体」(コミュニティ)しか考えられていないことである。グローバルな社会保障はどう考えられるべきなのか。「日本」が良ければ、他国はどうでも良いということなのだろうか。

 

(3) 「公助」について

「公助」とは、「自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、必要な生活保障を行うもの」(a)であり、典型的には「生活保護」が該当する。生活保護受給者数は、約210万人(H30/12)である。ここで重要なことは、なぜ「困窮者」が生ずるかである。被保護者に対する支援ではなく、困窮者がなぜ生ずるのか、その原因と対策は? 社会保障は、そこに切り込んでいるのか。そこは社会保障の範疇ではないというなら、誰がこれを真面目に考えているのだろうか。

共助(保険)で対応できない困窮とはどういう意味か。被保護人員のうち、およそ半数は65歳以上の者で、年金で最低生活費が賄えていないということである。下のグラフで見る通り、近年急上昇している。今後も同一トレンドで上昇すると予想しても不思議ではない。これを抑える方策は、現在の哲学(基本的考え方)からすれば、要保護者の厳しい選別しかないように思われる。真ん中あたりの写真を参照願いたい。*4

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https://www.mhlw.go.jp/content/12002000/000488808.pdf

*1:金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」(令和元年6月3日)は、高齢社会における資産形成・管理を論じたものであり、社会保障を論じた報告書ではない。とはいえ、本報告書の老後資金が2000万円不足するとか、投資せよとかの主張が妥当であるとも思えない。

*2:雇用保険労災保険は、重要な社会保険であるから、明記しておくべきだろう。

*3:自己責任論については、別途検討したい。

*4:いよいよもって、ハッピー・リタイアメント法(老人駆除法)が現実味を帯びてくる。