久米郁男他『政治学』(25)
今回は、第9章 国際関係における富の配分 である。本章の内容は、
第1節 国境を越える経済的交流の増大
第2節 非対称的な相互依存
- 南北格差の増大
- [南北格差の]格差是正の方策(近代化論、テイク・オフ、従属論、新国際秩序、中心・周辺)
- 冷戦後の経済的相互依存の深化
第3節 経済的交流の増大と国家
( )内は、本書がキーワードとして太字にしているものである。
私は、①グローバル資本主義(グローバル企業と国家の関係)、②欧州共同体(EC)の理念と歴史、③冷戦後の独裁国家の経済体制(と欧米諸国の関係)、④国際投機資金の動き、⑤世界貿易機関(WTO)や経済協力開発機構(OECD)等の国際機関のあり方などに関心があるが、これらについてはほとんどふれられていない。
本章全体の印象としては、「国際経済史」に関心が無ければ、読んでも退屈なだけだろう。いろいろな学者の説を拾い集めて、(論拠なく)結論だけを簡単に紹介しているような感じを受ける。そこで、引用とコメントは省略する。
クイ・ボーノ(cui est bono?)
http://stephenlaw.blogspot.com/2012/03/what-is-conservative-party-for-cui-bono.html
でも、「経済のグローバル化」にふれている部分をちょっとだけ引用しよう。
国境によって区分された国家と国境を越えて統合される市場とが対比され、国家が市場を制御することが困難になったとして、国家の衰退、国家の機能不全などが指摘されている(ストレンジ 1996、サッセン 1996)。国家の衰退という指摘に基く極端な国際関係のイメージは、国家が意味をなさない「ボーダーレス・ワールド」(大前1990)というものに行き着くのである。すなわち、経済活動は、コカ・コーラやマクドナルドなどの多国籍企業に代表される私的な経済主体によって担われ、国境を越えて自律的に展開し、国家にはその活動をコントロールすることが困難になったというイメージである。
私企業の活動の自由を認める「自由経済」ならば、国家が私企業の活動を制御=統制することはないわけで、国家の衰退とか機能不全など、そもそもありえないだろう。
しかし、国家の役割として、「関税、補助金、租税などのほか、通貨、金融、貿易、外国為替などの管理」や「労働規制」を認めるならば、確かに国境を越えて活動する他国籍企業(グローバル企業)の扱いには難しい面があると想像される。国際的な協定や条約などが必要とされる。
経済がグローバル化すると企業間の競争が激化するので、競争力を向上するために国家は市場への介入を制限せざるを得なくなる。つまり、各国は規制緩和に代表される市場への不介入政策を選択することになり、各国の政策は類似したものに収斂していくと考える。
アンダーラインを引いた部分が理解できない。「経済がグローバル化すると、企業間の競争が激化する」と言うが、市場経済では、常に企業間競争があるのであって、「競争の激しさ」は程度問題に過ぎない。
「競争力を向上するために」、市場介入せず規制緩和すると言うが、企業間の競争は、国家間の競争ではない。自企業の利益が第一なのであって、自国の利益のために競争しているわけではない。「競争力向上」は企業の目的なのであり、国家の目的ではない。独裁国家ならいざしらず、国家がそういう目的を掲げること自体が、ナンセンスである。
「規制緩和」と言うが、その内容はどういうものか。例えば、労働者保護規制を撤廃する、法人税率を引き下げる、タックスヘイブン(課税逃れ)を認める、補助金を交付する、関税を操作するなどすれば、他国企業に対しては競争優位になるかもしれない。こういった諸施策が、「規制緩和」とか「市場に介入しない」とか「自由」の名のもとに実施されてよいのだろうか。
各国の国内の政治制度、社会制度等の相違が政府の政策選択を規定しており、経済がグローバル化に直面したとしても各国の政策は必ずしも同じ政策に収斂していくとは限らない(Dore and Berger 1996)。
当然だろう。
以上のように、経済がグローバル化した現在においても、依然として国家(政府)の政策は自律的であり、政府は国内政治の調整における役割を果たしているのである。各国政府は、国際経済関係を他国と協調的に運営していくことが求められる一方、国内の人々の福祉にも配慮した政策を行うことを大きな課題としている。国民の利益に沿った政策と国際的な協調政策とが一致する場合はそれほど問題は生じないが、両者が相違する場合には、政府は両者間を調整するという役割を果たさなければならない。経済的相互依存が深まり、経済活動を担う主体が多様化し、それぞれの主体の受ける利益や費用が一様ではない状況では、政府がどのように国民の利益を集約しどのような政策を選択しているのかを見極めることが、国民にとって重要になってきたのである。
「各国政府は、国際経済関係を他国と協調的に運営していくことが求められる」と言うが、誰が求めているのだろうか。「自国ファースト」ばかりで、「他国との協調」など単なる「お題目」ではないのか。
「経済活動を担う主体が多様化し」と言うが、どのような主体を想定しているのかわからない。
「政府がどのように国民の利益を集約しどのような政策を選択しているのかを見極めることが、国民にとって重要になってきた」…これが本章の最後の文章である。内容空虚な「お題目」に聞こえる。