神野直彦『財政学』(14)
今回は、第9章 予算過程の論理と実態 である。予算過程は、以下のように区分される。
- 立案過程…行政府が予算を準備する。
- 決定過程…議会で予算を審議し、成立させる。
- 執行過程…予算に基いて、行政府が財政を運営していく。
- 決算過程…行政府が執行した予算の結果を議会に報告し、執行責任を議論する。
1と2をまとめて「編成過程」と呼ばれる。
予算を立案し議会に提案できるのは内閣のみであるとされる。何故だろうか。議員は法律案を提出できるのに、予算案を何故提出できないのだろうか。本書にこの説明はなさそうだ。
ブリタニカ国際大百科事典は、「予算編成は、行政府内部の予算案を策定する作業と、国会の予算審議の2つから成る。予算は国会によりその使用を監督されているが、予算を行政として実行するのはあくまでも政府であるため、予算の提案権は政府だけにあり、衆参両院の提案権は認められていない」と説明しているが、「予算を行政として実行するのはあくまでも政府であるため」などというのは、理由になるとは到底考えられない。
財政立憲主義
- 国の財政に関する活動は、国会の議決に基いて行わなければならない(財政立憲主義)。
- 国の財政を、国民の監視のもとに置くことは、民主的な財政制度にとって不可欠である。
- 国の財政に対する国民の監視は、行政に対する民主的統制をより実効的なものにする。
- 財政立憲主義の原則は、財政における民主主義(財政民主主義)の一つの現れである。
- 近代的議会制度は、財政に対する国民の統制を確立するために生まれ発達してきたものである。
- 租税の賦課・徴収は、国会の制定する法律によらなければならない(租税法律主義)。
- 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基づくことを必要とする。
- 国の財政に関する活動、即ち租税の賦課・徴収、金銭の借入、国費の支出、国の財産の管理などのほか、国の財政政策の基本原則などや、貨幣制度を定め貨幣を発行するなどのことも、すべて国会の議決に基いてなされなければならない。
民主主義を是とする限り、財政に関する活動は、国民の代表者で構成する国会の議決に基かなければならないとすることは至当だろう。
【超解説】内閣府って何する役所?内閣・内閣官房…全部違う!「地下通路」の行き先は…(https://www.youtube.com/watch?v=L67mAxjwC5Y)より。
予算
- 予算とは、一会計年度における国の財政行為(主として歳入歳出)の準則である。それは単なる歳入歳出の「見積表」ではなく、政府の行為を規律する法規範である。
- 国の歳入は、各種租税法令その他の法令に従って徴収・収納されるから、歳入予算は、国の収入それ自体を実際に拘束するものではなく、その予測という意味を持つに過ぎない。
- 歳出予算は、国の支出それ自体を、目的・金額・時期について限定する意味を持つ。予算に定められた目的外の支出は許されず、定められた金額を超過して支出することも許されない。また原則として、翌会計年度に支出することも許されない。
「予算とは、政府の行為を規律する法規範である」ならば、政府が、自らの行為を規律する法規範(=予算)を、自分だけが提案することができるとするのは、財政民主主義の立場から、おかしいのではないか。(憲法がそう定めているからというのは理由にならない)
予算の性格
- かつては(特に旧憲法下)、政府の支出に事前の承認を与えるものとみる承認説が支配的であったが、今日では、予算の法規範性を認め、法律とならぶ国法の一形式であるとする予算法形式説が通説である。
- これに対し、一部に、予算はそれ自体法律であるとする予算法律説が唱えられている。
- 憲法では、予算は法律とは別個の規定が置かれており、成立要件が緩やかである。そのような予算によって、一般の法律を改廃できるとするのは不合理である。通説の立場が正当である。
浦部は、このように述べるが、言葉にとらわれないで考えてみよう。
社会保障や災害対策や教育や防衛や科学技術や文化振興や…を、どのように進めていくか。それら諸施策の目的をどのように定め、誰が、どの程度の規模で、いつまでに達成するか、どのように優先順位を決めるかなど(法令)は、どれくらいカネがかかるのか(予算)を抜きにして決めることはできない。表裏一体だろうと思う。これを無理に引き離して、予算の提案権を内閣にのみ認めるというのは疑問である。(ここで憲法の解釈を議論するつもりはない)
予算がそれ自体法律であるというのはその性格の差異を無視したもののように思えるが、予算に法規範性を認めるのならば、議員に法律案の提出を認め、予算案の提出を認めないのは片手落ちのように思える。
内閣は基本的に与党議員で構成される。ということは、野党は予算案を提出できないということである。これはおかしくはないか。(いまは考え方の話をしているのであり、それが可能かどうかは別途検討を要する)
- 予算の議決に関し問題となるのは、国会が、政府提出の予算案に対して、どの程度の修正権を持つか、ということである。減額修正に関する限り、国会の修正権に限界はないという点では、ほとんどの学説が一致している。これに対し、増額修正については、予算発案権が内閣に専属しているという点から、その建前を覆すような、予算の同一性を損なうような大修正は認められない、とする見解が有力であり、政府もこの立場をとっている。しかし、予算は国会の議決があってはじめて成立するものであり、日本国憲法は国会の予算議決権に何の制約も置いていないのであるから、内閣の発案権ということだけを理由に国会の予算修正権に限界を設けるのは、国会による予算の議決という財政立憲主義の観点からは、不当とすべきである。国会の予算修正権には限界はないと解すべきである。
「国会の予算修正権には限界はないと解する」のは、至当だろう。であるなら、国会議員が予算案を提出することができない理由がよくわからない。
内閣とは何か、行政とは何か、国会とは何かについてもっと詳しく考えなければならないと思うが、現時点での考えを記しておいた。
付言すれば、議員に予算案の提出権を認めたところで、実際には何も変わらないだろう。公務員の中立性とその担保が問われるように思われる。