浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

弁護士、学校教育、モチベーション

アルフィ・コーン『競争社会をこえて』(15)

今回は、第3章 競争はより生産的なものなのだろうか-協働の報酬 第2節 競争がなにもならないものだという説明 の続き(p.94~)である。

 

弁護士という商売

テレビドラマ『SUITS/スーツ』(Season1:2018年、Season2:2020年)は、なかなか面白いドラマで、毎回欠かさず見ていた。法律事務所が舞台で、弁護士の活躍を描いていた。(どこまで実態に近いのか知らないが、それは問題ではない)。弁護士の仕事は、裁判で勝利することなのか、それとも公正/正義を目指すことなのか織田裕二演ずる主人公の甲斐正午は、勝利第一としながらも、公正/正義を目指しているようでもあった。

コーンは、マーヴィン・E・フランケルを引用している。

利益集団に雇われると、真実にたどり着くことができるのは、便宜的なもの、副産物、偶然の近似値としてであることが多い。簡単に言えば、弁護士の仕事は、できれば法を犯さずに、勝利を獲得することなのである。……弁護士は、まずもって真実を求める聖戦を行っているのではなく、勝利を追求しているのである。……そして、どんな場合でも、これら二つは、弁護士が携わる事例のかなりの部分で互いに両立させることはできないのである。(フランケル

「真実」ではなく「勝利」。…検事も弁護士も「勝利」を追求し、裁判官のみが「真実」を追求する、このような制度になっているというか、そのような志向になっているのではないか(勝訴/敗訴という言い方が、それを表している)。勝ち負けだけで本当に良いのか。誰が法の不備を立法につなげるのか。

 

「競争」の理念を教える学校

コーンはジョン・ノーレスを引いて、アメリカの学校教育(制度)について述べている(本書発行当時(1986,1992)と現在とではどれほど違っているのだろうか)。

チェット・ダグラスは、勉強に心を奪われてしまっていた。例えば、空間幾何学に全力を傾けていたために、三角法のほうは、私と同じくくらい下手くそにしか扱えなかった。チェットが世界の新しい見方を初めて獲得したのは、『カンディード』を読んだときのことだった。そして、クラスのみんなが、別の著者のものを読み始めた後になっても、彼はヴォルテールをフランス語でむさぼり読んでいた。彼にはそうした弱点があった。(ジョン・ノーレス)

チェットのような性格/行動は、競争社会においては「弱点」となる。従って、競争を賛美する社会では、学校教育において、チェットのような生徒をうみださないように指導されるだろう。

他人を打ち負かそうとするすべての気違いじみた、非合理的な争奪戦が、我が国の学校制度にとって本質的なものである。……即ち、我が国の学校制度は、実業界と政府のために人材をふるいにかける安手の請負業者なのである。……学校が関心を持つのは、勝つか負けるかということがすべてであって、教育ではない。(デビッド・キャンベル)

いささか言い過ぎの感もあるが、「実業界と政府のために人材をふるいにかける安手の請負業者」という指摘があてはまるのではないか、よく考えてみる必要がある。

子どもたちに競争を強制することがあからさまに擁護されることもある。つまり、幼いころから競争を経験しておけば、後の人生においてより効率的に競争することができるというわけである。このことは、確かにある程度はあたっている。繰り返し経験することによって、競争の戦略が学び取られるわけだが、それは、他の人々を自分が成功をおさめるための障害とみなすことを身につけるのと同じなのである。

「教育」とは何か、「学校」がいかにあるべきなのか、については、ここで簡単に論じられるような問題ではない。ただ、学校が、「競争を是とし、競争社会にふさわしい人間を養成する機関」なのではないか、という視点があることを覚えておくべきであろう。

 

知之者不如好之者、好之者不如樂之者(論語

「うまくやろうとすること」と「他人よりもうまくやろうとすること」とは食い違った作用をするものだという考えは、動機付け理論が提出する論点と関係づけてみれば理解することができる。われわれ人間は、楽しんでやるものこそ最もうまくやれるものなのである。ある外部からの、外的な動機付けの誘因(金、業績、競争による成功という虚飾)があったとしても、活動そのものが即報酬をもたらすというように簡単にすりかえてしまうことなどできないのである。マーガレット・クリフォードは、「外的な動機付けが作業の遂行に影響を与える一方、作業の遂行は、学習に依存しており、さらに学習は、まずもって内的な動機付けにかかっている」と述べている。

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内発的動機付けとは? https://theory.work/terms-intrinsic-motivation/

 

「楽しんでやるものこそ最もうまくやれる」ということは、私たちの誰もが経験的に知っているであろう。しかし、知っているだけでは、私たちの仕事(活動)がそのようになっていることを保証しない。

之れを知る者は、之れを好む者に如(し)かず。之れを好む者は、之れを楽しむ者に如(し)かず。(あることを知っている人は、それを好きな人にはかなわない。あることを好きな人は、それを楽しんでいる人にはかなわない)。

私たちの仕事(活動)が「楽しんでやれる」ためには、どのようでなければならないか? を問うこと。

 

何よりも、「きわめて複雑な課題に関する作業の遂行が目立って増大しているために、内的な動機付けに依存するようになっているのである」。実際、いくつかの研究が示しているように、あるものの達成へむけた動機付けを高度に備えているように見える人々でさえ、外的な動機付けが最小限のものに抑えられなければ、うまく作業を遂行することはできないのである。

外的な動機付け、とりわけ「お金」による動機付けは、下品な動機付けである。労働を賃金(お金)で評価する(報いる)という思考には、下品な動機付けの臭いがする。人を財産(お金)や地位で評価するというのも、愚劣なことである。