浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

オバマケア(お手頃価格のケア法)

香取照幸『教養としての社会保障』(23)

今回は、第7章 【国家財政の危機】次世代にツケをまわし続けることの限界 (7)社会保険料負担―企業負担は重いのか、軽いのか? である。

被雇用者の社会保険料負担は、労使折半である。非正規労働者社会保険に加入することはできず、その適用拡大が課題となっている。しかし社会保険料負担の増大は、「労働コストの上昇を招き、かえって雇用を縮小させるといった意見が、財界特にスーパーや外食産業から出されて、なかなか進んでいないのが現実である」。

では日本の事業主の社会保険料負担がそんなに大きいのかというと、そうではないと香取は言う。なぜなら、「社会保障財源全体に占める企業負担の割合は小さい(国際比較の図があげられている)。

アメリカは、日本よりも社会保障の企業負担が小さいのだが、保険料負担がどうなっているか? ここでアメリカの医療制度の説明が少しあり、本節の最後で香取はこう述べている。(本書は2017年6月発行)

社会全体として見れば、アメリカの総医療費は日本よりもはるかに大きい。対GDP比ではほぼ倍、18%近い額である。それでもアメリカでは、国民を広くカバーする公的医療保障制度ができない。歴史的な偉業と言ってもいいオバマケアも、「廃止」を公約に掲げていたトランプ新大統領の下ではどうなるかわからない。

さて、みなさん。日本の公的医療制度とアメリカの民間医療制度、いったいどっちを望みますか? 

 

アメリカの医療制度

香取は、日本の公的医療制度とアメリカの民間医療制度、いったいどっちを望むかと問うているが、アメリカには公的医療制度はないのだろうか? もちろん、そんなことはない。65 歳以上の高齢者および障害者を対象とするメディケア(Medicare)と、低所得者を対象とするメディケイド(Medicaid)がある。メディケアは連邦政府、メディケイドは連邦政府と州政府が共同で行っている。いずれも1965年に創設された「公的医療制度」である。

これに該当しない人で、自営業者や会社に勤務している人は民間の医療保険に加入している。公的医療制度と民間医療制度が並立しているのである。日本でも同じである。公的医療制度と民間医療制度が並立している。

では、アメリカの医療制度の何が問題とされたのか?

財・サービスの価格は、競争市場で決められてこそ効率的であり、社会全体としても好ましい状態になる*1。医療の価格についても同様であり、需要と供給の関係で決められるべきである。政府(権力)は価格統制すべきではない(恣意的になる)。医療も同様で、「自由診療」を基本とすべきである。なお、病気がちで医療費のかさむ高齢者や経済的に苦しい立場にある人(貧困者)は「救済」すべきである(セーフティネット)。但し、セーフティネット対象外の人でも、思いがけず病気や怪我をすることはあるので、そのためにこそ「医療保険」はある。以上のように公的医療制度と民間医療制度のミックスこそが望ましい。…というのが、自由主義者の考え方であろう。

このような医療制度のどこが問題とされたのか? Wikipediaは次のように述べている。

アメリカの診療は自由診療が基本である。高額な医療費に備え、各自が民間の保険会社と契約を行うが、低所得者は保険料の支払いが困難となること、医療費のかさむ慢性病患者等は更新を拒否されたりする弊害があり、医療の恩恵を享受できない国民が少なからず存在していた。アメリカの自己破産の6割は医療費が原因である。さらに、その医療費が原因で破産した者の8割は医療保険に入っていたとも言われている。高額な医療費と、質の悪い保険のため、身体的のみならず、経済的にも病気や怪我に苦しめられるアメリカ人は多い。(Wikipedia医療保険制度改革アメリカ))

難病に限らず、さまざまな病気により良い治療を施そうと思えば、治療薬やワクチンの開発、医療機器、病院等の設備の充実、情報ネットワークの構築、医療従事者の教育等々が必要であり、医療費は高額となりがちである。そこで万一、病気や怪我をしても生活が破綻しないように、「保険」がある。このような保険は「共助」(「公助」ではない)の考え方に基づくものである。

しかるに、医療費が高額になるということは、「保険料」も高額になるということである。そうすると、(従来は支払うことができていた)保険料支払いに耐えられない者(無保険者)が出てくる。また営利企業である保険会社の立場にたってみれば理解できるように、入院歴のある人、持病のある人、病気になりそうな人などはできるだけ加入させたくない*2。そのような人は、加入拒否あるいは高い保険料を要求され更新が困難となる。結果、無保険者となる。

オバマケアの無保険人口の割合>

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https://www.washingtonpost.com/national/san-francisco-rich-and-poor-turns-to-simple-street-solutions-that-underscore-the-citys-complexities/2018/09/03/d6cf321a-ad4d-11e8-8a0c-70b618c98d3c_story.html

 

オバマケア

このように「医療費は自由価格で高い、民間医療保険の保険料が高い、保険会社が加入者を選別する、6人に1人が無保険者」(香取)という状況の中で、Patient Protection and Affordable Care Act(患者保護とお手頃価格のケア法、通称ACAまたはオバマケア)が、2010年3月に制定された。

オバマケアは、「2010年修正の医療・教育改革法と合わせて、1965年にメディケアとメディケイドが可決されて以来、米国の医療制度において最も重要な規制の見直しと適用範囲の拡大を意味している」(Wikipedia)とされる。

ACAの目指すのは日本の国民健康保険のような「公的保険」ではなく、従来の個人が民間の健康保険を購入する枠組みの中で、保険会社に、価格が安く購入しやすい保険の提供や既往症などによる保険適用の差別などの禁止あるいは緩和を課し、その代わり健康保険を購入していない個人には確定申告時に罰金(追加税)を科すことで今まで保険購入をためらっていた階層に購入を促すものであり、したがって、従来から個人で十分な健康保険を購入していた自営業者や勤務先経由で購入していた被雇用者には直接的な影響や変化はほとんどない。(Wikipedia

オバマケアは公的医療制度ではない。高齢者対象のメディケアや低所得者対象のメディケイドは公的医療制度であるが、オバマケアはそうではない。民間の健康保険を購入しやすくしようとするものである。概略以下の通り(詳細はWikipedia参照)。

  • 保険者は以前の健康状況に基づいて保険加入を拒否することは禁じられる。また全ての被保険者に対し、同じ年齢・同じ居住地区であれば同等の保険料を設定しなければならない。
  • 保険が標準でカバーしなければならない保障範囲(Essential health benefits)が定められる。
  • 被雇用者保険、メディケア、メディケイド、その他の公的制度でカバーされない無保険者は、承認を受けた民間保険に加入するか、罰金を払わなければならない
  • 全ての州に医療保険取引所が開設され、個人や小規模事業者は、そこで保険内容を比較し保険を購入することができる(対応者には政府補助が支給される)。
  • 低収入の個人・家庭は、保険取引所での購入時に連邦政府より補助金が受けられる。
  • メディケイド制度が拡張され、対象者の収入が引き上げられた。
  • 50人以上の従業員を抱えているがフルタイム雇用者に医療保険を提供しない事業者は、もしそのフルタイム雇用者らの医療保険加入に対して政府が(税控除などの形で)補助金を出していたならば、事業者は税制上のペナルティを払わなければならない。

オバマケアとは、このような内容の連邦法である。だから「お手頃価格のケア法」という名前がついている。

オバマケアは、低所得者に補助を行うことにより、国民の健康保険加入率を抜本的に向上させる内容であった。しかし、住民から保険料を強制的に徴収すること2014年までに保険加入を義務づけないとメディケア給付を打ち切るとした点について各州が反発。26州が連邦政府を訴え、2011年1月31日にはフロリダ州では法律に対して違憲判決が出される結果となり、保険制度の実効性が疑問視されるようになっている[なった]。2012年6月28日、連邦最高裁は、根幹部分である国民の保険加入を義務付ける条項を合憲とする判決を下した。

オバマケアは、「無保険者」が、民間の医療保険に加入しやすくするための「任意加入」の制度かと思っていたが、「強制加入」(加入しなければ罰金)の制度であった。ただ、政府が管理運営するのではなく、民間保険会社が管理運営するものである(ようだ)。

オバマケアは2014年に施行され、2016年までに、無保険者の割合はほぼ半減し、2000万人から2400万人が追加でカバーされたと推定されているという。Wikipediaによれば、「世論調査によると、当初はアメリカ人の大多数がこの法律に反対していたが、その個別条項は一般的に人気があり、2017年にはこの法律が多数派の支持を得た」。

 

オバマケア批判

オバマケアは、以下のような点で批判された。

全国民に加入を義務付け、違反すると2016年現在年収の2.5パーセントにあたる罰金を支払わなければならず、保険料支払いが難しい低所得者には、所得に応じた補助金がもらえるが、補助金給付は増税を招き、納税者は不満を募らせた。

保険料も大幅に値上がりし、妊婦検診や小児医療など特定の年齢層に限られる医療や薬物治療カウンセリングなど特殊なサービスを受けるための保険料も支払わなければならなくなった。

さらに健康状態の良くない低所得者の保険加入が増えた結果、保険料の支払いが急激に膨らんだオバマケア導入前から任意で医療保険に加入し税金を納めていた白人中間層が割を食った

保険会社は病歴を理由に保険加入を拒否することはできず、保険会社の支払いが急増し、保険料負担の高騰で中小企業は悲鳴を上げ始めた

こういったオバマケア不支持の理由を見ると、考えさせられる。

2017年5月4日、米下院は本会議でオバマケアを見直す代替法案を賛成217、反対213で可決した。

2017年7月28日、米上院は本会議でオバマケアの撤廃と代替を目指す法案を採決し、賛成49、反対51で否決した。

2017年9月26日、米上院トップのマコネル院内総務[共和党]は、オバマケア見直しに向けた新法案の採決を断念。

2018年12月14日、米与党共和党州知事らが、国民に保険加入を義務付けるオバマケアの廃止を求めた訴訟で、南部テキサス州の連邦地裁は義務付けを違憲とする判決を言い渡した。

2021年6月18日、テキサス州などがオバマケア無効を訴えた裁判でアメリカ連邦最高裁判所は原告の訴えを退けるオバマケア存続の判決を下した。

詳細は不明なところが多いが、制度変更により不利益を被る者がいることによる利害調整の難しさ。

 

低所得者への補助は増税を招く → 増税はイヤだ → 私にどれほどの増税をするのか? → 無保険者への支援をできないのか?

保険料が値上がりする → 医療サービスを受ける人の対象を増やせば保険料は上がる → 医療サービスを受けたくても受けられない人を放置して良いのか?

エゴ(利己心)を隠し、自己の不利益を拒否する。人間性(他者を思いやること)の欠如。慈善(寄付)で免罪符となるとでも…?

*1:私は未だ「厚生経済学」に不勉強で、はっきりした言い方ができない。

*2:生命保険等の契約時に、保険会社に提出義務のある「告知書」を思い浮かべれば良いだろう。