浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

社会的アイデンティティ(1) ― 私は「集団」に所属する

山岸俊男監修『社会心理学』(15)

今回は、第3章 社会の中の個人 のうち、社会的アイデンティティ① である。

アイデンティティ」と言えば、ID card(identity card、身分証明書) を思い浮かべる人が多いだろう。システムにログインするときの「ログインID」を思い浮かべるかもしれない。では「アイデンティティ」(identity)とは何か。辞書によれば、「同一であること、同一性、一致、同一人であること、本人であること、正体、身元、独自性、主体性、本性」(weblio)である。「IDカード」や「ログインID」で使われるアイデンティティは、「同一人であること、本人であること」を意味すると思うかもしれない。しかし、それは通常「記号」「数字」で表される。それは「人間」を表すものではなく、単なる「識別記号」である。

 

社会心理学におけるアイデンティティは、エリクソンによれば、「変化する環境の中で、自己がさまざまな役割を演じるとき,そうしたさまざまな〈私〉を統合する変わらない自己」(百科事典マイペディア*1)。「人格同一性」あるいは「自我同一性」(日本大百科全書)を意味する。この意味のアイデンティティは、個人的アイデンティティではなく、社会的アイデンティティである。

山岸は、次のように述べている。

自分がある集団や社会的カテゴリーに所属しているという側面から捉えた自己認識のことを社会的アイデンティティという。性格や特徴など自分の(内部)特性から捉えた自己認識を個人的アイデンティティという。

性格や特徴も社会環境から規定される部分があることを考慮すれば、すべてを社会的アイデンティティと言っても良いような気もするが、「物心がついてからの自分は同じ自分である」という意識は否定しようもなく、やはりこれは「自己同一性意識」として、社会的アイデンティティと区別さるべきものであろう。

 

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https://www.simplypsychology.org/social-identity-theory.html

 

社会的アイデンティティ理論

Es Discoveryのウェブサイト(

https://esdiscovery.jp/vision/word001/psycho_word012.html

)では、以下のように説明している。*2

社会的アイデンティティ(social identity)とは、「自分がどのような社会集団に所属しているか・自分がどういった社会的カテゴリーに該当しているかという自覚(自己定義)にまつわる自己同一性のことである。

山岸とほぼ同様の説明だが、こちらのほうがわかりやすいか。カテゴリーという言葉は、集団よりは広い意味で使っているようだ。

H.タジフェルとJ.C.ターナーは、社会的アイデンティティが形成される心理的要因として、カテゴリー化[A]、自己高揚の動機づけ[B]、社会的比較過程[C] の3つを上げている。

(A)カテゴリー化…社会集団・組織をそれぞれの規模や評価、特徴によって分類すること。[ex. 一流の大企業・普通の大企業・中小企業・零細企業・個人事業]

大学や所得層、国家についても例示がある。

このカテゴリー化の分類には、…必然的に『大小・優劣・貧富』といった相対的な価値判断が伴うことになるので、そこに優越コンプレックス*3や劣等コンプレックスが生じやすくなるのである。

誰もが同じ価値判断をするわけではないが、多くの人に共通する価値判断があり、そうした価値判断によりコンプレックスが生じる。

私たちは、その人が「どういう考えを持っているか、どういう行いをしているか」によってではなく、どういう集団・カテゴリーに属しているか(学歴、企業、財産、趣味等)によって、その人を評価する(決めつける)傾向があるようだ。

(B)自己高揚の動機づけ(自己評価の上昇の動機づけ)…人間は自己高揚感を得るために「外集団」よりも「内集団」を贔屓(ひいき)して高く評価する傾向がある。

「内集団」とは自分が所属する集団であり、「外集団」とは自分が所属しない集団である。「ニッポン」や「うちの会社」や「わがチーム」というような言い方に現れているように、自分が所属しているグループ(内集団)を贔屓して高く評価する傾向ある。自分が選択して、そのグループに所属するようになったとしたら尚更である。

(C)社会的比較過程…カテゴリー化が行われている社会的状況の文脈(コンテクスト)では、「集団間の社会的比較過程」によって自分が所属している内集団の価値が高いと思うことによって、自分自身の自己高揚感や自尊心も同時に満たされやすくなるのである。

自分が所属しているグループが、他のグループと比較して優秀であり価値が高いと思えるならば、自己高揚感や自尊心も同時に満たされやすくなる。

 

山岸は次のように述べている。

社会的アイデンティティには、自分が所属する集団のメンバーであることそのものを評価したい気持ちが含まれる。自分が所属する集団(内集団)とその他の集団(外集団)を比べて、内集団の評価がより良いものであってほしいと望む。その結果、内集団に利益を与えて優位性を高めようとする内集団ひいきなどが起こる。(本書)

自分が所属するグループ(集団)を肯定的に評価している人は、グループに所属していることに優越感を持つ。その評価は、世間一般の評価(マスメディアによる世論操作?)や(よくわからない機関による)ランキング付けやグループ管理者によるメンバー評価などにより影響される。

「内集団ひいき」という言葉は、「依怙贔屓」(えこひいき)という言葉を想起するように、エゴイズム(利己主義)に結びつく。他集団との競争、差別をもたらす。自らの価値を高め、所属するグループの価値を高めようとすることが、それ自体悪いはずがないのに、差別をもたらすとしたら、どこで間違ったのかを考える必要がある。

 

自分が所属するグループ(集団)を肯定的に評価していない人は、グループに所属していることに優越感を持たない。(否定的に評価している人は、劣等感を持つ)

内集団が自分にとって望ましい集団であるとは限らない。そのような場合、その集団から離れて別の集団に移ったり(社会移動)、集団間の差そのものをなくそうとする(社会変動)。…それがかなわない場合、認知を変えたり、下方比較したりするのである。(本書)

国家レベルの話でなければ、別の集団に移動するケースが多いだろう。集団間の差をなくすことはほとんど不可能と思われる。認知を変えることは安易な解決のようだが、肯定的に評価しない(否定的に評価する)原因が自分にある場合には認知を変えることは有効である。下方比較は慰めでしかないが、そのような状況もあるかもしれない。他者による支援が必要である。

*1:現代におけるアイデンティティの喪失の問題は個人と社会の不適合の現象として、社会学の研究課題となっている。また最近では、人類学や政治学において、アイデンティティの、個人を他者との連鎖の中に位置づけ、個人を超えた想像の全体へと結びつける側面が注目され、近代世界における〈想像の共同体〉としてのネーションやエスニシティを、個[個人]に強固な集団的アイデンティティを付与する物語としてとらえる視点が有力となっている(百科事典マイペディア)。…この話は面白いが、ここでは触れない。

*2:実存的アイデンティティも興味深い。…社会的アイデンティティとは違って『自分がどの集団に所属しているか・他人からどのような人間として評価されているか』はあまり関係せず、『自分が自分をどのような個性や信念、価値観を持つ存在であると思っているのか』という自己完結的な自己定義に依拠している部分が大きい。(Es Discovery)

*3:優越コンプレックスとは、A.アドラーによる定義した、劣等コンプレックスの一種です。自分が優れた人間であるかのように見せかけることで劣等感に対処する態度をいいます。劣等コンプレックスの強い人は、それを過剰に埋め合わせしようとして虚栄心に満ちた態度をとることがあるのです。(臨床心理学用語事典、http://rinnsyou.com/archives/363