浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

パーティーガールがケーキから飛び出してきた

ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか』(6)

今回は、第2章 哲学のあらまし の続き(p.45~)である。

是非もない事実

五感が捉えることのできる証拠に基づく経験的真理は、科学研究の領分に属する。そして、なぜ世界が存在するのかという問いは、科学の手に負えないと一般に認められていた。結局のところ、科学的な説明は現実の一部を、ほかの部分の観点から説明できるだけで、現実を全体として説明することは決してできない。従って、世界の存在は是非もない事実でしかないのだ。B.ラッセル(1872-1970)は、こうした哲学的な共通認識を次のように要約した。「宇宙はただあり、それがすべてだと言わざるを得ない」。

科学研究は五感が捉えることのできる証拠に基づく。科学的説明は、現実の一部をほかの部分の観点から説明できるだけである。「なぜ世界が存在するのかと」いう問いは、科学的説明が不可能である。それゆえ、「世界の存在は是非もない事実である」(=「宇宙はただ在る」)としか言いようがない。

存在を是非もない事実と解釈することは、宇宙がこれまでずっとあったと想定すれば、なかなか都合の良い見方だ。コペルニクスガリレオニュートンをはじめとする近代の偉大な科学者たちのほとんどは、そう信じていた。

アインシュタインはどうだったか。

アインシュタインは、宇宙は永遠であるばかりか、総体として不変だと確信していた。そのため、1917年に自分が構築した一般相対性理論を時空全体に当てはめたところ、得られた方程式が予想とは極端に違うもの(膨張しているか収縮しているかのどちらか)を意味することが分り当惑した。

これは一般相対性理論を理解していないと何とも言えない。

 

膨張宇宙モデル

(宇宙物理学者、カトリック司祭)G.ルメートル(1894-1966)は、アインシュタイン理論に基づき、膨張する宇宙のモデルを作り上げた(1927)。宇宙全体が過去のある明確な時点に、エネルギーが限りなく凝縮された原初の原子から始まったに違いないと主張したのである。2年後、ルメートル膨張宇宙モデルは、天文学者E.ハッブルによって確認された。ウィルソン山天文台で行った観測から、私たちの周りのどこでも、銀河が実際に遠ざかっていることが裏付けられた。理論と経験的証拠は、両方とも同じ結論を示していた。即ち、宇宙には時間の唐突な始まりがあったに違いないということだ。

昔、膨張宇宙の話を聞いたことがあるが、私にはどうしても理解できなかった。銀河が遠ざかっているのがどうして膨張宇宙の証拠になるのか、いま仮に(有限の)宇宙空間の中に1000個の銀河があるとして、(有限の)宇宙空間が膨張しているならば、銀河は互いに遠ざかるだろうが、銀河が互いに遠ざかっているからといって(有限の)宇宙空間が膨張していることにはならない。そもそも宇宙空間が有限ではなく無限であるとしたら、銀河が互いに遠ざかっていたとしても、宇宙空間が膨張しているとは言えない。宇宙空間が有限であるという仮定は、経験的証拠に基づき証明されているのか。この素朴な疑問に答えている入門書に出会ったことがない(昔の話)。以降、この類の本は読んだことが無いので最新の議論は知らない。

聖職者たちは喜んだ。聖書による創造説の科学的証明が、棚ぼたで手に入ったと思ったのだ。ローマ教皇ピウス12世は1951年にバチカンで会議を開き、次のように宣言した。宇宙の起源に関するこの新しい説は「原初の御言葉『光あれ』を裏付けるものとなりました。それが発せられた瞬間、無からにわかに光と放射の海が物質と共に現れました。」

膨張宇宙モデルは、確かに「創造主」あるいは「神」を想起させる。宗教と科学が両立する!?

物理学者D.ボーム(1917-1992)は、宇宙膨張説の構築者たちを、「実質的に科学を裏切り、科学的事実を捨ててローマ・カトリック教会に都合の良い結論を下す科学者」と非難した。(p.47)

天文学者A.エディントン(1882-1944)は、「始まりがあるという考えは、私には気に食わない。……今日の物質世界の秩序が1回の「爆発」によってもたらされたなどとは、とにかく信じられない……膨張する宇宙というのは言語道断である……」

宇宙論者F.ホイル(1915-2001)は、爆発は世界の始まり方としては威厳に欠け、「パーティーガールがケーキから飛び出してきた」ようだと思った。…ホイルは、宇宙の始まりを皮肉っぽく「大爆発」(ビッグバン)と呼んだ。

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Debbie Reynolds jumping out of a cake in Singin' in the Rain © Supplied by Capital Pictures

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https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/f_00066.html

 

どうやって何かが無から生じ得たのか

宇宙に創造者がいようといまいと、宇宙が生まれ出たのは有限の時間を過去にさかのぼったある一時点―最新の宇宙論に基づく計算によれば137億年前[138億年前?]―だったという科学上の発見は、「宇宙が存在論的に自己充足的である」という考えを愚弄するものであるように思われた。自己の本来の性質によって存在するものは永遠で不滅に違いないと考えることは、筋が通っているように思える。

私は「創造者」、「神」を信ずるものではないが、「宇宙は存在論的に自己充足的(永遠で不滅)である」という考えは興味深い。先ほど、膨張宇宙モデルは、「創造主」あるいは「神」を想起させると述べたが、ここでの「自己充足的である」との信念は、ビッグバンとは相いれない。

宇宙がビッグバンを契機に一瞬にして出現し、膨張、進化して現在の形になったのと同じように、すべてを無にするビッグクランチによって、宇宙は遠い将来のある時点で一瞬にして消滅するかもしれない。

ビッグクランチは後で出てくるかもしれないので、その時に考えよう。

ビッグバンの発見によって、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いを避けて通ることはかなり難しくなった。「もしも宇宙がずっと存在したのではなかったのならば、科学は宇宙が存在するに至った経緯を説明する必要性を突き付けられるだろう」と、物理学者A.ベンジアス(1933-)は述べている。

ビッグバンによって宇宙(=時空)が存在するようになったというのであれば、無から有への経緯を説明しなければならない一般相対性理論(あるいは、ビッグバンを支持する理論)は経緯を説明できているのだろうか。数学モデルではなく、「五感が捉えることのできる証拠に基づいて」説明できているのだろうか。A(数学モデル)ならばB(確認し得る現象)であるとして、Bが確認出きたならば、Aが真理であるといえるのだろうか。

もともとの「なぜ」という問いが未解決なのに、今度は「どうやって何かが無から生じ得たのか」の「どうやって」という問題にも取り組まねばならなくなったのだ。

20世紀物理学からの解答は、相対性理論量子力学であるようだ。

相対性理論により、宇宙には時間における始まりがあったという結論が導かれた。

量子力学は、因果関係という考え方そのものを危うくした。量子論によれば、ミクロレベルでの現象は偶然に支配されている。即ち、因果律という古典物理学の大原則に違反する。

相対性理論量子力学は、私には手に負えないのだが、具体的証拠ではなく、「理論により」というところが引っかかる。また「因果関係」が明らかでないのならば、科学的説明とはどういうものかというところから議論を始めなければならないだろう(科学哲学の問題)。

ひょっとすると、世界は全くの無からひとりでに出現したのかもしれない。全ての存在は真空のランダムなゆらぎの賜物、「量子トンネル効果」によって無から生まれたのかもしれない。

言葉遊びのように思える。何も説明していない。素人を煙に巻く話法として良いのかもしれない。

「無→有」の理解のためには、「空間」、「真空」という言葉が何を意味するのかを理解する必要があろう。