浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

規則(法)を順守するだけでは、何も問題は解決しない

久米郁男他『政治学』(37)

前回、最後のほうで「水道事業の民営化」について、新聞記事や動画を紹介した。この話題は興味深いのでもう少し検討したいと考えていたのだが、あまり深入りすると先に進めないので、一旦保留にして、今回は、第12章 官僚制 第2節 官僚制の合理性と非合理性(p.237~)に進むことにする。

 

合理的組織としての官僚制

Wikipediaは、官僚制を以下のように説明している。

  1.  ウェーバー*1Max Weber 、1864-1920)は、近代官僚制が、①権限の原則、②階層の原則、③専門性の原則、④文書主義等の特質を備えていることを指摘した。
  2. ウェーバーは、近代官僚制のもつ合理的機能を指摘し、官僚制は優れた機械のような技術的卓越性があると主張した。

この点について、本書は次のように述べている。

  1. ウェーバーによれば、官僚制組織は、①明確な権限の配分、②職務の階層的構造、③役所と私生活の分離、④職務の専門的遂行、⑤フルタイムの専念、⑥一般的な規則による職務遂行、というような統制メカニズムを備えている。
  2. ウェーバーは、官僚制組織は、外部からの期待に応えて設定された目的を最大限に達成するという意味において、合理性を最も高い水準で達成する組織形態であると捉えた。

ほぼ似たようなことを述べている。太字にした項目は同じである。本書の③⑥については、Wikipediaは「血縁によるつながりや感情的な結びつきなどではなく、合理的な規則に基づいて体系的に配分された役割にしたがって人間の関係が形成されている」としている。

 

官僚制の逆機能(マートン

マートン(Robert King Merton、1910-2003)は、近代官僚制のマイナス面を指摘している。(Wikipedia

  • 規則万能(例: 規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)
  • 責任回避・自己保身(事なかれ主義)
  • 秘密主義
  • 前例主義による保守的傾向
  • 画一的傾向
  • 権威主義的傾向(例: 役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)
  • 繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例: 膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)
  • セクショナリズム(例: 縦割り政治、専門外管轄外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)

これらの項目をみれば、決して「官僚(国家公務員)」だけの話ではないことに気づく。

職務の階層的構造(役員―部長―課長―平社員)、職務の専門的遂行(部課等で担当業務が異なる)、権限の配分(特に、職務の階層的構造により、権限の配分が異なる)を特徴とする組織(大規模・中規模組織)においては、共通してみられる事項である。自分がいかなる組織に所属して、どんな仕事をしているのかを考えてみれば、了解されよう。官僚はどこにでもいる。

 

Wikipediaは、官僚制の逆機能を検討し、以下の事項が確認されなければならないとしている。

(1) 訓練された無能力 (trained incapacity)…官僚制は訓練による規律によって規則順守の組織運営を実現する。しかし訓練は過去の成功事例から、意思決定を規則化、標準化・ルーティン化する。ゆえに職務上の予測された問題に試行錯誤を要せず、規則を適用し、誰でも職務遂行が可能となる。しかし従来と異なる問題状況、規則制定時に想定しなかった状況での官僚制の対応は不適切な結果を導く。環境が変化しても、従来通り規則を順守すれば、組織目標の達成を妨げ、官僚制は「訓練された無能力」を露呈する。

コンプライアンス(法令順守)という言葉が使われるようになってから久しい。そうすると、法令順守を強調するあまり、環境が変化しているにもかかわらず(法令制定時の状況と異なっているにもかかわらず)、法令を守ってさえいれば良いというような倒錯が起きる。何のためにそのルールが存在するのかを考えようともせず、ルールを守れと言う。「訓練された無能力」とは、言い得て妙である。

(2) 目的の転移 (displacement of goal)…官僚制では組織目的の達成のため規則が制定される。しかし規則の順守自体が組織目的の達成より優先され、手段であった規則の順守が目的であるかのような対応が行われる。これが「目的の転移」である。

「転移」などというとガンの転移が思い浮かび、適切ではない。「目的と手段の混同」あるいは「目的と手段のはき違え」である。

とりわけ「規則」を制定する立場になければ、「目的」が意識されることは少なく、「規則」通りに行動することが正しいと考えてしまう。「何故その規則はあるのか?」を考えようとしない。トップマネジメントであっても、「目的と手段のはき違え」はあり得る。

(3) 規則への「過同調」(over-conformity)…「過同調」は、組織目的の達成のため規則が制定されるが、「法規万能主義」のように規則から逸脱する意思決定が回避される。前例のない意思決定、規則の枠を超える行動は困難となる。組織目的の達成が妨げられても規則への同調が優先される。

(1)と同旨である。「前例のない意思決定」は為されない。規則万能、責任回避、前例主義。

(4) 繁文縟礼(red tape)…官僚制の特徴である「文書主義」では、あらゆる指令と意思決定はすべて文書化され、「繫文縟礼」となる。一定の書式の文書のあること,文書に一定の文言が明記され,日付,署名,捺印のあるなしが問題とされ、そのような文書がなければ、手続きが進行せず、手続きは煩雑化し、執行は遅延する。この結果、文書作成それ自体が職務となりかねない。

繁文縟礼(はんぶんじょくれい)という言葉はあまり聞かないが、「規則や礼儀作法などが、こまごまとしていて、煩わしいこと」という意味である。(繁:茂る、増える。煩わしい。縟:飾り。煩わしい)

「繁文縟礼」などというより、「文書依存症」あるいは「文書主義」といったほうがわかりやすい。

(5) セクショナリズム…官僚制の職員は安定的な雇用関係から、同じ職場の職員と利害が共通し、先任順に昇進し、職員同士かばい合い、攻撃は最小化する。職員たちは内部集団で結束する。この結果、公益や市民・顧客より、自分たちの利害を優先する。職場集団の利益が十分に保障されない場合、上司(大臣)の処理できない大量の資料や文書を提出し、必要な文書を隠ぺいし、情報の提供や報告を遅延、回避させる。こうして自己の保身と所属部署の利益を擁護する。

公務員だけではなく、どのような組織でもありそうな話である。

https://www.snowcon.jp/2021/05/20/kanryousei/

 

組織における形式合理性と実質合理性

以上、官僚制の逆機能を見てきたが、ここで再度、官僚制の「合理性」を見ておかなければならない。

近代的な大規模組織では、ルーティン的な業務の一般的ケースでは、すべての意思決定が制定された規則に従う形式合理的な処理が採用される。一般的な問題状況では、その問題への処方箋が、すでに規則に定められており、規則を順守し、個々のケースに適用すれば、試行錯誤する必要なく問題を処理できる。しかし規則の制定過程で想定されていない、新たな特殊な問題状況で、イノベーションが要請されるケースでの規則の順守は、むしろ問題を解決せず、組織目標の達成を妨げる。このような特殊ケースでは、規則の枠を超え、ケース・バイ・ケースでの個別ケースに適合する実質合理的な意思決定が要請される。…官僚制の問題は、近代の合法的支配の合理性の二つのサブカテゴリーの矛盾関係の認識にある。制定された規則(法)は順守されねばならない。しかし規則(法)を順守するだけでは、何も問題は解決しない。(Wikipedia

規則制定時に想定された状況とは異なる状況下では、実質合理的な意思決定が要請される。これは、良識ある人であれば誰もが認めるであろう。問題は、状況判断にある。現在が「異なる状況」にあるかどうかは、簡単には判断できない。客観的な「状況判断」は可能かどうか。「前提」に遡った真摯な対話が可能かどうか。

ルーティン的な業務であっても、状況次第では、規則変更が望ましい場合もあり得る。何を変え、何を変えるべきではないのか。

*1:本書やWikipediaは、ヴェーバーと表記している。Max Weberは、何と発音するのか。Google翻訳で音声を聞くと、英語ではウェーバー、ドイツ語ではヴェーバーと聞こえる。どちらでもよいのだが、ここではウェーバーと表記する。