浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

砂山くずし

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(38)

今回は、第4章 機械としての生命 第4節 さまざまな力学系モデル の続き「自己組織化臨界」(p.202~)である。

カウフマンは、「生物圏の共構築を支配する法則の候補」を、「カオスの縁」や「自己組織化臨界」などの用語を用いて提出している。「生物圏」とは、さまざまな生物がお互いに関わりあいながら進化してきたことによって構築された生物たちのネットワークである。そうして生物圏は、「カオスの縁」に向かって進化し、「自己組織化臨界」を達成するという。

「自己組織化臨界」の良く出される例が「砂山の形成」であるということなので、次の動画を見てみよう。

Evolution of avalanches in a sandpilehttps://www.youtube.com/watch?v=4FEhR1MJ4C8

この動画は17分24秒と長いので、倍速で見た方が良いでしょう。(再生中動画の [設定→再生速度]を2にすれば倍速になる)

山口は次のように説明している。

自己組織化臨界」とは、さまざまな力学系が、特に手を加えなくても、ある現象が起こるか起こらないかのギリギリの状態に止まり続けるということである。

テーブルの上に砂を少しずつ落としていくと、上から落ちる砂の量とテーブルからこぼれる砂の量とが釣り合ったところで、いつも同じ形になる。砂山の斜面の角度も一定である。この砂山の斜面の角度は、砂がぎりぎり滑り落ちるか滑り落ちないかという境界的(臨界的)状態にある。新しい砂粒が落ちてきた時には斜面が崩れることで、斜面の角度が一定に保たれる。そのために砂山は同じ形になる。

光辻克馬は、「砂山くずしモデル」という記事を書いている。*1

砂山くずしのモデルは、大災害が何でもないようなルールから生じることを示しており、その何でもないルールが、大災害のような稀に起こる大規模な現象と同時に、ふだんから起こる普通の現象も同じように起こすことも教えてくれる。バックらは、この仕組みを「自己組織化臨界(self-organized criticality)」と名付けた。

なだれ[災害]は、連鎖して大規模になる場合と、連鎖せずに小規模でおさまる場合がある。なだれ[災害]の規模と頻度のあいだには、「べき乗則」と言われる一定の法則性が見られる。

ある現象の規模がべき乗則を示すということは、とても大規模な出来事も低いながらもそこそこの頻度で起こり、とても小規模な出来事が想像以上の高い頻度で起こっていることを意味している。

これは、その系で、あらゆる規模の出来事が起こりうる性質を持っていることを示しており、ちょっとした変化により、全く異なった質のものに変わってしまう相転移という)際(きわ)にあることを意味している。このことを、その系が臨界状態にあるという。

地震や火災、恐慌や戦争などの災害には、べき乗則が見られると考えられている。

砂山くずしのモデルが提唱した自己組織化臨界という考え方は、世界についての新しい見方を提案している。

べき乗則が見られる臨界状態では、落石から大雪崩まで、ボヤから大火災まで、あらゆる規模の現象が起こる状態になっている。そして、相互作用のある大規模な系が、自然に(勝手に/自己組織的に)臨界状態に向かい、その状態を保つ性質をもつことを砂山くずしのモデルは示している。

山口の説明に戻る。

バークらは、自然界におけるさまざまな知己学系が「自己組織化臨界」状態にあると考えれば、規模と頻度の間のべき乗則が説明できるはずだと主張した。カウフマンが、生命圏が自己組織化臨界状態にあることを主張する根拠も、生物種の絶滅現象の規模と頻度の間にべき乗則の関係が成り立つことにある。

「自己組織化」や「臨界状態」は、個別には何となくわかる気がするが、これを結びつける「自己組織化臨界」は上の説明だけではよくわからなかった。(特に「相互作用のある大規模な系が自己組織的に臨界状態に向かう」という点)