浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

条件連鎖 - 「尊敬される人は判断を誤ることはない」と言えるのだろうか?

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(10)

今回は、第8章 条件構造 の続き、「条件連鎖」である。

例題から見ていこう。例3と例4をまとめて書いてみる。

1.論理的な人は理屈っぽい。

2.議論を好まない人は理屈っぽくない。

それゆえ

3-1.議論を好まない人は論理的ではない。

3-2.論理的でない人は議論を好まない。

Q:3-1.は正しい演繹か? 3-2.は正しい演繹か?

A:3-1.は正しい演繹である。3-2.は正しい演繹ではない。

 

何故か?

議論を好まない人は理屈っぽくない (2) → 理屈っぽくない人は論理的ではない (1.の対偶)*1 → 議論を好まない人は論理的ではない (3-1)

  • 「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できる。野矢は、これを条件構造の連鎖と呼んでいる。
  • 1や2は「前提」であり前提が正しいとは限らないが、このように前提すれば、3-1が正しく演繹されるということである。
  • 前提1も2も論理的でない人については何も述べていない。それ故、「論理的でない人は議論を好まない (3-2)」は導くことはできず、正しい演繹ではない。

https://schoo.jp/biz/column/1424

 

次に例題6を見てみよう。

1.信頼される人は思いやりがあり、かつ洞察力が優れている。

2.洞察力の優れた人や冷静な人は判断を誤ることはない。

3.信頼される人物だけが尊敬される。

以上の前提から、次が正しく演繹されるかどうかを説明せよ。

 a.尊敬される人は冷静である。

 b.判断を誤る人は尊敬されない。

前提3つを認めるとしたら、aやbが演繹されるかどうかが問題である。私はこの前提に疑問を持つが、ここは「演繹」の話なので、そこにはふれない。

「正しく演繹されるかどうか答えよ」という問題ではなく、「説明せよ」という問題である。誰に説明するのかというと、野矢は「自分よりも少しだけものわかりの悪い相手を想定する」と言っている。

野矢は「対偶」を書き出しておくと良いと述べている。次の通りである。

1の対偶:思いやりなし or 洞察力なし → 信頼されない

2の対偶:判断誤る → 洞察力なし and 冷静でない

3の対偶:信頼されない → 尊敬されない

3の対偶をみて、「これはおかしい。<尊敬されない → 信頼されない>ではないか」と思わなかっただろうか。

3は、「信頼される人物だけが尊敬される」であるから、「だけ」に注意して、その条件構造を

3R.「尊敬される → 信頼される」

と捉える。

3が「尊敬される → 信頼される」と言い換えられるのであれば、その対偶は「信頼されない → 尊敬されない」となる。「尊敬される → 信頼される」と言い換えられるのは、前節で説明があった「PのときだけQ」の条件構造だからである。*2

先ほど、「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できるという話があった。この例題6にも、この条件構造の連鎖があるという。

<帰結aについて>

尊敬される人は、信頼される人である(3R) → 信頼される人は、思いやりがあり and洞察力が優れている(1)→ 洞察力が優れている人は、判断を誤ることはない(2)

それ故、尊敬される人は、判断を誤ることはない。

しかしながら、尊敬される人は、冷静である(a)という帰結は導くことができない。

<帰結bについて>

判断を誤る人は、洞察力がなく and 冷静でない(2の対偶) → 洞察力がない人は、信頼されない(1の対偶)→ 信頼されない人は、尊敬されない(3の対偶)。

それ故、判断を誤る人は、尊敬されない(b)という帰結を導くことができる。

 

これは些か難しい問題であった。

「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できるという単純な論理を、実際の文章で「対偶」を駆使して、検証することは意外と難しかった。

*1:対偶については、前回の記事(2023/1/13、条件文-逆・裏・対偶)参照。

*2:P:信頼される人物、Q:尊敬されるとする。

「信頼される人物(P)だけ尊敬される(Q)」という文は、「信頼される人物は必ず尊敬されるとは限らない[白色だけでなく水色部分がある]が、少なくとも信頼されない人物[灰色部分]は尊敬されない。尊敬されるとしたらそれは信頼される人物だけだ」という意味である。