今回は、第8章 条件構造 の続き、「条件連鎖」である。
例題から見ていこう。例3と例4をまとめて書いてみる。
1.論理的な人は理屈っぽい。
2.議論を好まない人は理屈っぽくない。
それゆえ
3-1.議論を好まない人は論理的ではない。
3-2.論理的でない人は議論を好まない。
Q:3-1.は正しい演繹か? 3-2.は正しい演繹か?
A:3-1.は正しい演繹である。3-2.は正しい演繹ではない。
何故か?
議論を好まない人は理屈っぽくない (2) → 理屈っぽくない人は論理的ではない (1.の対偶)*1 → 議論を好まない人は論理的ではない (3-1)
- 「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できる。野矢は、これを条件構造の連鎖と呼んでいる。
- 1や2は「前提」であり前提が正しいとは限らないが、このように前提すれば、3-1が正しく演繹されるということである。
- 前提1も2も論理的でない人については何も述べていない。それ故、「論理的でない人は議論を好まない (3-2)」は導くことはできず、正しい演繹ではない。
https://schoo.jp/biz/column/1424
次に例題6を見てみよう。
1.信頼される人は思いやりがあり、かつ洞察力が優れている。
2.洞察力の優れた人や冷静な人は判断を誤ることはない。
3.信頼される人物だけが尊敬される。
以上の前提から、次が正しく演繹されるかどうかを説明せよ。
a.尊敬される人は冷静である。
b.判断を誤る人は尊敬されない。
前提3つを認めるとしたら、aやbが演繹されるかどうかが問題である。私はこの前提に疑問を持つが、ここは「演繹」の話なので、そこにはふれない。
「正しく演繹されるかどうか答えよ」という問題ではなく、「説明せよ」という問題である。誰に説明するのかというと、野矢は「自分よりも少しだけものわかりの悪い相手を想定する」と言っている。
野矢は「対偶」を書き出しておくと良いと述べている。次の通りである。
1の対偶:思いやりなし or 洞察力なし → 信頼されない
2の対偶:判断誤る → 洞察力なし and 冷静でない
3の対偶:信頼されない → 尊敬されない
3の対偶をみて、「これはおかしい。<尊敬されない → 信頼されない>ではないか」と思わなかっただろうか。
3は、「信頼される人物だけが尊敬される」であるから、「だけ」に注意して、その条件構造を
3R.「尊敬される → 信頼される」
と捉える。
3が「尊敬される → 信頼される」と言い換えられるのであれば、その対偶は「信頼されない → 尊敬されない」となる。「尊敬される → 信頼される」と言い換えられるのは、前節で説明があった「PのときだけQ」の条件構造だからである。*2
先ほど、「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できるという話があった。この例題6にも、この条件構造の連鎖があるという。
<帰結aについて>
尊敬される人は、信頼される人である(3R) → 信頼される人は、思いやりがあり and洞察力が優れている(1)→ 洞察力が優れている人は、判断を誤ることはない(2)
それ故、尊敬される人は、判断を誤ることはない。
しかしながら、尊敬される人は、冷静である(a)という帰結は導くことができない。
<帰結bについて>
判断を誤る人は、洞察力がなく and 冷静でない(2の対偶) → 洞察力がない人は、信頼されない(1の対偶)→ 信頼されない人は、尊敬されない(3の対偶)。
それ故、判断を誤る人は、尊敬されない(b)という帰結を導くことができる。
これは些か難しい問題であった。
「A→B」と「B→C」から、「A→C」が演繹できるという単純な論理を、実際の文章で「対偶」を駆使して、検証することは意外と難しかった。
*1:対偶については、前回の記事(2023/1/13、条件文-逆・裏・対偶)参照。
*2:P:信頼される人物、Q:尊敬されるとする。
「信頼される人物(P)だけ尊敬される(Q)」という文は、「信頼される人物は必ず尊敬されるとは限らない[白色だけでなく水色部分がある]が、少なくとも信頼されない人物[灰色部分]は尊敬されない。尊敬されるとしたらそれは信頼される人物だけだ」という意味である。