浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

七十二候カレンダー

新しいカレンダー【七十二候暦】を考える」(2023/2/4)の考え方に基づき、二十四節気の一つ「穀雨」のカレンダーを示す。

穀雨」(こくう)の画像は、「暦生活」(https://www.543life.com/season/kokuu)のものである。七十二候の説明文と画像も同じく「暦生活」のものである。(「暦生活」は、なかなか興味深いサイトなので、今後ゆっくりと読んでいきたい)

1節気3候カレンダー

  • 上記カレンダーは、七十二候カレンダーであるが、二十四節気カレンダーでもある。
  • 上記は、「穀雨」と呼ぶ1節気、その内訳たる3候(葭始生、霜止出苗、牡丹華)を表示したものである。(1節気3候カレンダー
  • 各候は5日間(固定)からなり、1~5の番号をふってある。
  • 各節気は15日間(固定)からなり、1~15の番号をふってある。
  • G歴(グレゴリオ暦)は、現行の暦の日付を記してある。
  • 1年は公転の日数であるが、これを360日+アルファとする。360日は「真円」の360度に対応する。二十四節気は、360÷24=15日で固定である。七十二候は、360÷72=5日で固定である。
  • +アルファは、天文学的には理論的な説明をしているようであるが、(そしてG歴は、その知見に基づいて定めているようであるが)、これを「暦」としてどう取り扱うかは検討の余地があると思われる。*1
  • 私はこの+アルファを、次の1年への架け橋となる日を意味するものとして、「天橋立」と呼ぶことにした。G歴では、5日ないし6日である。
  • 天橋立」は、二十四節気・七十二候に含まれない特別の節気・候であるが、実用的な暦としてはどこかに含めておく必要がある。そこで私は、二十四節気の次、七十二候の次に位置づけることにした。
  • 二十四節気・七十二候の日付は、G歴の日付(現行日付)と1対1対応しないが、上記カレンダーは1対1対応するようにしている。

汎用的なカレンダーとするために

  • 上記の二十四節気・七十二候は、和風の命名をしているが、これはある地域の1年間の風物の変遷を表現したものである。「暦」(カレンダー)としてはこれにこだわる必要はない。
  • スポーツカレンダー、ミュージックカレンダー、動物カレンダー、育児カレンダー、会社カレンダー……様々なカレンダーが考えられる。
  • スポーツにしろ、ミュージックにしろ、その他にしろ、更なる細分化は可能である。24とか72とかのカテゴリー化は、まだまだ粗っぽいとも考えられる。その意味では、1年を12等分しようが、24等分しようが、72等分しようが大した話ではないだろう。
  • 24等分の場合は、01-1から24-15までで360区分、72等分の場合は、01-1から72-5までで360区分となる。+アルファは00-1から00-5(or 00-6)である。これを「日」のIDとして良い。
  • このようにIDを定めれば、G歴と1対1の対応が可能である。
  • G歴1月1日をどのIDとするかは適宜定めればよいだろうが、世界歴(共通の暦)とするためには、IDを国際標準化する必要があろう。

曜日の再検討

  • 上記カレンダーの「元、永、久、和、平」は、私が適当に命名したものである(元号から多いものを適当にとりあげた)。現行の「曜日」に相当する。
  • 現行カレンダーの「曜日」は、これまではほとんど「休日」か否かの目安として使われてきたと思われる。
  • 7曜日のうち 2休日(週休2日制)は、5曜日のうち 1.5休日にほぼ等しい。
  • 休日や労働時間は必ずしも固定的(一律)なものではないので、曜日を基準にして休むことの意味は薄れている。
  • 従って、7曜日から5曜日にしても特別な不具合は生じないと考えられる。

改暦の可能性

国立天文台暦計算室は、G歴の問題点をあげている。

  1. グレゴリオ暦の1年の長さは平均365.2425日であり、1太陽年~365.2422日よりも長い。
  2. 1月1日に何の意味もない
  3. 各月の日数・各季節の日数・月の大小の並びがばらばら
  4. 月日と曜日の関係が毎年変化する。(暦法改良問題

ではなぜ改暦がなされないのか。

  1. どんなに合理的な改良案であっても、長年続いてきたシステムの変更は容易でない。
  2. 大きな変更は社会に混乱を来たし、小さな変更ならメリットも小さい。
  3. 週や曜日に手を入れるのは安息日との兼ね合いもあり、宗教的な反発が強い。(同上)

1.のようなことを言っていては、いつまでもシステムの変更はできない。「合理的な改良案」であれば変更すべきであり、論点は「合理的」か否かにある。(「合理性」の基準の妥当性の議論を含む)

3.安息日が必要であれば、適宜定めれば済む話である。(祝日を適宜定めるのと同様である)

2.は全くナンセンスな言い分である。こんなことを、言っていては何もできない。「社会に混乱を来たさないために、大きな変更が必要である」場合があることを認識すべきである。「小さな変更」でもメリットがあれば変更すべきだろう。

大きな変更か小さな変更かはともかく、メリット・デメリットを考慮して、改良案を構想していく姿勢が必要である。

*1:20世紀なかばごろ、わずかではあるが地球の自転が徐々に遅くなっている(1日の時間が徐々に延びている)ということが知られるようになり、1956年の国際度量衡委員会で、平均太陽時とも地球の自転とも無関係な秒を定め、秒を基にして他の時間単位を定めることにした。これによって、「日によって秒を定める」から「秒によって日を定める」へと変化し、時間単位の定義と従属との関係が逆転した。
その結果、現代の計量単位系においては「秒 (s)」が時間の基本単位となっており、日は秒に換算して位置付けている(1日=24時間、1時間=60分、1分=60秒)ので、単純な掛け算によって、1日 = 24時間 = 1440分 = 86400秒とされる。(Wikipedia、日)