浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「あなたのブログは面白くない」と言われたら…

野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(11)

今回は、第9章 推論の技術 第1節 存在文の扱い方 である。

あなたのブログは面白いか?

以下の①,②から③を導くことができるだろうか?*1

世の中には面白くないブログがある……①

世の中には得るところがないブログがある……②

それゆえ

世の中には面白くなく、しかも得るところがないブログがある……③

「あなたのブログは面白くない。あなたのブログからは得るところがない。それゆえ、あなたのブログは面白くなく、しかも得るところがない」。と言われたらどうしますか? これは論理的に言えるのかどうか?

存在文

①,②は存在文である。存在文とは、「aであるようなbが存在する」というような文である。*2

①は「面白くない(a)ブログ(b)が存在する」。②は「得るところがない(a)ブログ(b)が存在する」。という存在文である。

野矢は、次のような推論(例題1の変形)を例にあげている。

すべての論理学者は矛盾を好まない…①

矛盾を好む哲学者がいる…②

それゆえ

哲学者の中には論理学者ではない人がいる。…③

①,②から、③を導くことができるか? 野矢の回答は次の通りである。

①の対偶より「矛盾を好むなら論理学者ではない」。このことと②より、③「論理学者ではない哲学者がいる」が結論できる。

これは分かりやすい。次のように図示すれば明瞭だろう。

しかし野矢は、次のような例題1から、本章の説明を始めている。

矛盾を好む論理学者はいない。…[1]

すべての哲学者が矛盾を好まないわけではない。…[2]

それゆえ

哲学者の中には論理学者ではない人がいる。…③

これは、些か分かりにくいかもしれない。

[1]を①のように言い換えている。[1]は、存在文の否定である(「矛盾を好む論理学者がいる」の否定)。そして存在文の否定は全称文の形でとらえることができるので(脚注2参照)、①のように言い換えることができる。上図参照。

[2] 上図Rの外側が「矛盾を好まない人」である。PとRの重なり部分が「矛盾を好む哲学者」が存在することを示す。よって、②のように言い換えることができる。「すべての哲学者が矛盾を好む」というのは全称文である。そして全称文の否定は存在文の形でとらえることができる(脚注2参照)。

**********

冒頭の推論を再掲して考えてみよう。

世の中には面白くないブログがある……①

世の中には得るところがないブログがある……②

それゆえ

世の中には面白くなく、しかも得るところがないブログがある……③

これを図示すると、(P:ブログ全体、Q:得るところがないブログ、R:面白くないブログ とする)

図1と図2の2つの図が考えられよう。

図1であれば、QとRの重なり部分があるので、③が推論できる。図2であれば、QとRの重なり部分が無いので、③は推論できない。ということは、「世の中には面白くなく、しかも得るところがないブログがある」とは「必ずしも言えない」とするのが正しく、③は推論できないとするのが正しいと考えられる。

論点は「面白くないブログ」と「得るところがないブログ」が独立しているか(両立しうるか)どうかである。これは「言葉の意味」(定義)を考える必要があるということである。

普通に考えて、「面白くないが、得るところがあるブログ」はあるだろう。また「得るところはないが、面白いブログ」もあるだろう。もちろん「面白くて、得るところもあるブログ」もある。また「面白くもなく、得るところもないブログ」もある。それは読者の判断次第である。多様な読者がいるのだから、こんなことは改めて言うほどのこともないだろう。

野矢は、脚注1の例2について、「①で言われている本と、②で言われている本が同じである保証はどこにもない。それゆえ、①と②から③は導かれてはこない」と述べている。私が上に述べたことは、「同一の本(ブログ)であっても、③は導くことができない」というものである。

 

重要なことは、前提あるいは事実認定の①,②をよく検討することである。

・面白いブログとはどういうものであるか。

・得るところのあるブログとはどういうものであるか。

・面白いブログと面白くないブログがあると二分すること自体が問題である。

・得るところのあるブログと得るところのないブログがあると二分すること自体が問題である。

・そもそも面白さや実益を求めないモノローグ(独り言)のようなブログもある。

 

もし私(逍遥)が「あなたのブログは面白くない」と言われたら、私は「あなたのブログほどではないと思いますが…。ただあなたのブログは、反面教師としての価値は認めます」などと失礼なことは申しません。時間があれば、私は「私もそう思います。どうしたら面白い記事が書けるのでしょうね?」と問うでしょう。話はそこからです。

*1:

この例は、本書p.135の例2を言い換えたものである。

世の中には退屈な本がある……①

世の中には無益な本がある……②

それゆえ

世の中には退屈でしかも無益な本がある……③

*2:野矢は、第7章 第3節で次のように述べていた。「~は、陰謀論である」とまでは言えない(2022/11/15)参照。

「すべてのSはPである」のように、あるもの達すべてについて何事かを主張する文を「全称文」と呼び、「Sの中にPであるものが存在する」のように、何かの存在を主張する文を「存在文」と呼ぶ。

こちらの方がわかりやすい。