芝垣亮介・奥田太郎編『失われたドーナツの穴を求めて』(3)
今回は、第7穴 私たちは何を「ドーナツの穴」と呼ぶのか の続き(p166~)である。
芝垣は、「ドーナツの穴」のような文を「PのQ」構文と呼び、「の」の用法を分析している。
PとQの関係
a |
b |
c |
d |
意味上の主語を表す「の」 |
所有関係を表す「の」 |
意味上の目的語を表す「の」 |
同格関係を表す「の」 |
ジョンの判断 メアリーの運転 |
僕の本 私のアイデア |
車の置き場所 リンゴの食べ方 |
彼が学生の奥田君 夫の太郎です |
Pが動作主、Qが動作 |
PがQの所有者 |
Pが動作Qの目的語 |
P=Q |
「が」で置換可 |
|
「を」で置換可 |
「である」で置換可 |
ジョンが判断する メアリーが運転する |
|
車を置く場所 リンゴを食べる方法 |
奥田君は学生である 太郎は夫である |
「ドーナツの穴」という表現は、上記a~dのどれに該当するか?
a.「ドーナツが穴する」という表現は非文法的である。→ 意味上の主語を表す「の」ではない。
c.「ドーナツを穴する」という表現は非文法的である。→ 意味上の目的語を表す「の」ではない。
d.「ドーナツ=穴」ではない。→ 同格関係を表す「の」ではない。
消去法として残ったのが、b.所有関係を表す「の」である。直観にも沿う結果だと思うが、「ドーナツの穴」という表現は、所有関係を表す「の」である。
芝垣は、所有関係を表す「の」について、さらに詳細を述べている。
PとQの包含関係
所有関係を表す「の」 |
|||
Pが有生物(擬人化された「もの」を含む) |
Pが無生物 |
||
QはPの一部分である |
QはPの一部分ではない |
QはPの一部分である |
QはPの一部分ではない |
私の足、ジョンの爪 |
私の服、ジョンの彼女 |
木の幹、机の引き出し、車のハンドル |
×木の土、×机の床、×車の道路 |
Pが有生物(私、ジョン)の時、Q(足、爪)はPの一部分であるが、Q(服、彼女)はPの一部分ではない。
Pが無生物(木、机、車)の時、Q(幹、引き出し、ハンドル)はそれぞれPの一部分である。そしてこれ以外のパターンは存在しない。実際にQがPの一部分でないような場合を無理やり作成したのが、「木の土、机の床、車の道路」であるが、文法的とは言えない表現である。
まとめると、PのQ構文において、「の」がPとQの所有関係を表す時、Pが有生物ならQに制約はなく、Pが無生物ならQは常にPの一部分である、と言える。
穴はドーナツの一部分である
以上の分析より、芝垣は次のように述べている。
「ドーナツの穴」という表現は、所有関係を表す「の」である。
ドーナツ(=P)は無生物なので、「穴(=Q)」は常に「ドーナツ(=P)」の一部分であると結論付けられる。
以上より、ある人にとって、「ドーナツの穴」という表現自体が問題ない場合、その人は、穴をドーナツの一部分であると認識しているのである。
芝垣は、「ある人にとって、「ドーナツの穴」という表現自体が問題ない場合…」と述べている。これは、微妙な(曖昧な)表現である。これだけでは、芝垣自身は、穴をドーナツの一部分であると認識しているのかどうかわからない。論理的に「ドーナツの穴は、ドーナツの一部分である」と結論付けたのかと思いきや、肩透かしを食った感じがしないでもない。
**********
芝垣の分析を考えてみよう。
「ドーナツの穴」という表現は、a,c,dのいずれにも該当しない。消去法で、「だからb.所有関係を表す「の」である」と言うためには、「PのQ」構文で、PとQの関係はa~dの4種類しかないとしなければならない。芝垣はこの点について、「4種類のみ存在することがわかっている」と述べているが、果たしてそうだろうか。
上記「PとQの包含関係」で、Pが「有生物」の場合と「無生物」の場合とで、QがPの一部分であるか否かが異なると述べている。この例示が興味深い。
「木」が「無生物」に分類されている。これは単純ミスだろうか。そうではないように思われる(木が「有生物」だとしたら、木の一部分ではないQを考えられるだろうか?)。
私には、「有生物」と「無生物」の分類ではなく、「人間」と「人間ではないもの」の分類のようにみえる。
芝垣は、Pが「人間」の場合、QがPの一部分であるか否かは、Qが身体の一部分であるか否かにより区分しているようである。
「ジョンの彼女」と言うとき、彼女はジョンの身体の一部分ではない。では何故このような表現がなされるのか。それは「周囲の人が彼女に手出しをしてはならない」という暗黙の了解があるからだろう。これを法律用語としてではなく「占有」とか「所有」と言っても良いかもしれない。
「PのQ」と言うとき、Pが「人間ではないもの」の場合、Qは常にPの一部分だろうか。「車のハンドル」と言うとき、ハンドルは車の一部分である。「車の通行する道路」(車道)と言うとき、道路は車の一部分ではない。「車の影」と言うとき、影は車の一部分ではない。
すなわち、「Pが無生物なら、Qは常にPの一部分である」という主張は、「Pが人間ではないならば、Qは常にPの一部分である」と言い換えられるが、上記のような反例があるから、これは誤りだろう。
もう一点、重要な点だが、QがPの一部分であるか否かは、所有(占有)とは関係ない。車はハンドルを所有していない。車は影を所有していない。人間の場合、身体の一部を「所有」しているという表現は微妙だが、人間でない場合、「所有」しているという表現は適切ではない(木は幹を所有していない、机は引き出しを所有していない、車はハンドルを所有していない)。
以上の理由により、「ドーナツ(=P)は無生物なので、「穴(=Q)」は常に「ドーナツ(=P)」の一部分であると結論付けられる」という主張は、説得力がないように思われる。