長谷川寿一他『はじめて出会う心理学(改訂版)』(6)
今回は、第7章 知能である。(第6章 性格 はパスする)。「知能」というのは、いささか問題含みのテーマである。
最初に本書の説明をざっとみて、その後、少し考えてみよう。
20世紀初頭、フランス政府は、普通のカリキュラムでは十分な教育効果が期待できない子どもたちに対して特殊教育を施すことを決め、そのような子どもを客観的かつ公正に選別する方法の開発をビネー(1857-1911、教育心理学者)に依頼した。…ピネーの手法はアメリカに渡り、改良されてビネー式知能検査として広く利用されることになった。スタンフォード=ビネー式検査を世に広めたターマン(1877-1956)は、精神年齢と生活(歴)年齢の関係から、知能指数(intelligence quotient:IQ )を定式化した。即ち、IQ=精神年齢÷生活年齢×100と定義した。
IQは、アンダーラインを引いた「普通のカリキュラムでは十分な教育効果が期待できない子どもたちに対して特殊教育を施す」ための「選別の方法」として生まれたという点が重要である。
今日、ビネー式検査と並んでよく用いられる知能検査に、ウェクスラー式検査がある。…ウェクスラー(1896-1981)は成人用で、更に非言語的な知能の測定もできる検査を作成した。この検査は、WAIS(ウェクスラー成人用知能検査)と呼ばれ、言語性検査と動作性検査からなり、更に最新版のWAIS-Ⅲでは、言語性について7つ、動作性について6つの下位検査が用いられる。…子ども向けのWAISはWISCと呼ばれる。…日本ではGATB(厚生労働省一般職業適性検査)がよく知られて、言語・数理・空間・形態など9つの適正能力が求められる。
なぜ知能検査が行われるのかを考えること。
ビネーは、自分の検査が普通の子どもの知能を測るものではないことや、低い得点の子どもが生まれつき劣っていることを意味しないことを強調している。ところが、この検査がアメリカに渡るや、知能検査は遺伝的な知的能力を数値化する便利な方法とみなされるようになった。「この検査によって、知能欠陥度の高い人たちが社会の監視と保護のもとにおかれることになる。……多くの犯罪、貧困、さらに産業上の非能率を取り除くことになる」(S.J.グールド、生物学者)
知能(IQ)の劣った者は、「社会の監視と保護」のもとにおかれなければならない! 優生思想のにおいがする。
知能が肌の色のように実体を持つという立場に立つ人は、個々の知的活動能力(例:言語の流暢性、計算能力、空間知覚など)すべてと相関するような普遍的要因があるとみなす。スピアマン(1863-1945)はそれを「一般知能因子g」と名づけた。この立場からすると、知能指数は一般知能因子gを反映するものだと考えられる。
スピアマンの2因子説については、次の説明が分かりやすい。
スピアマンは、子どもを対象に古典語や仏語、英語や数学などのテストを行い、テスト間の相関関係を分析し、各種のテストには高い相関関係が認められるとした。ここからスピアマンは、テスト間で共通する一般的な知的能力が存在すると考え、これを一般知能因子(g因子)と名づけた。また、一般因子だけでは説明がつかない点を特殊因子(s因子)と名づけ、テストの成績は、全てのテストに共通する一般因子と、特定のテストに特有の特殊因子によって決定されると考えた。(http://p.hanshinportal.net/id-48.html)
知能は実体概念ではなく構成概念であるという説がある。
知能とは便宜的な構成概念にすぎないという見方もある。…知能は個別的な精神能力の総称であり、IQという合計得点は、和を求める式をどのように決めるかによって違ってくる。…知能の多因子説を主張したサーストン(1887-1955)は、知能を構成する主要因子として、空間・言語・知覚・推理・語の流暢性、記憶の7因子を指摘している。
https://primatologia.files.wordpress.com/2017/03/bonobo-vs-chimpancc3a9.jpg
知能と遺伝や性との関係
個々の知的能力については、その遺伝的バックグラウンドについて少しずつ研究が進んできた。例えば、家系査からある種の言語障害が遺伝法則に従って現れることがわかった。また心的回転[物体を回転させるとどのように見えるかを、頭の中で判断する能力]のような空間処理課題は、一貫して女性より男性の方が良い成績をあげるという報告があり、課題によっては生得的な性差が存在することが示唆される。
知能と創造性
通常の知能検査で試される能力は、1つしかない正解をめざす思考活動で、これは集中的思考能力と呼ばれる。これに対し、与えられた情報から自ら新しい情報や問題を発見していく能力は、拡散的思考能力と呼ばれる。創造性とは、この拡散的思考によって、独創的でかつ有用な結果を生みだす能力のことを指す。創造性は様々な新しいアイデアの源泉である。型にはまらない能力は、日々未知の謎に挑戦し続ける最先端科学の研究や、常識や因襲を乗り越えて独自の世界を創作する芸術活動などで特に要求される。このような一般解の無い能力を測定するテストには、代替利用テスト、アナグラム検査、絵画完成テストなどの種類がある。
通常の知能検査が創造性を検査するものではないということに留意すべきだろう。
*****
知能指数(IQ)は、「頭の良さ」とは関係ない
知能指数は、「精神年齢÷生活年齢(実年齢)」と定義されているのだが、この式の意味を理解しないと、「知能」という言葉に引きずられて「頭の良さ」と誤解してしまう。知能指数(IQ)という言葉は知っていても、その定義を知らない人が多いのではなかろうか(私がそうだったので、私を基準に言っているのだが…)。
ある知能テストで、年齢別の平均点が、表1の通りに知られていたとしよう。(この数値例は、私が適当に作ったもので適切ではないかもしれない)
表1
年齢 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
平均点 |
15 |
30 |
42 |
52 |
60 |
66 |
71 |
74 |
77 |
80 |
A君(6歳)の得点が70点だったとしたら、A君の精神年齢は8歳であり、IQは133(=8/6)である。そして9歳になった時の得点が78点だったら、精神年齢は10歳であり、IQは111(=10/9)である。知能テストの得点は、70→78点と伸びたが、IQは133→111と下がった。
B君(6歳)の得点が38点だったとしたら、B君の精神年齢は4歳であり、IQは67(=4/6)である。そして8歳になった時の得点が70点だったら、精神年齢は8歳であり、IQは100(=8/8)である。
偏差知能指数(DIQ)とは
偏差知能指数は、上の知能指数とは考え方が異なる。同一年齢集団の中での相対的な位置を示すものである。
ある同一年齢集団にX1~X10の10人のメンバーがいて、知能テストの結果が下記の通りであったとしよう。(この数値例は、私が適当に作ったもので適切ではないかもしれない)
点数の平均は60、標準偏差は17.22であるが、これを、平均:0、標準偏差:1になるように標準化(正規化)する。即ち、偏差(X-μ)を標準偏差σで割る。Z=(X-μ)/σ。標準スコア(standard score、SS)と呼ぶ。
知能偏差値(Intelligence Standard Score、ISS)は、標準スコアを平均:50、標準偏差:10にしたものである。即ち、ISS=Z*10+50である。
偏差知能指数(Deviation Intelligence Quotient、DIQ)は、標準スコアを平均:100、標準偏差:15にしたものである。即ち、DIQ=Z*15+100である。
この標準偏差は、母集団が正規分布であることを仮定している。正規分布であれば、平均(μ)±標準偏差(σ)の範囲に68.26%のデータがおさまる。μ±2σの範囲には95.44%、μ±3σの範囲には99.74%のデータがおさまる。
知能偏差値で言えば、50±20即ち30~70の間に95.44%、50±30即ち20~80の間に99.74%のデータが入る。20以下が0.13%、80以上が0.13%である。偏差知能指数も同様である。55以下が0.13%、145以上が0.13%である。慣れかもしれないが、直観的には平均を100にする偏差知能指数が分かりやすいように思われる。
ウェクスラー式検査では、偏差知能指数(DIQ)が用いられる。この計算式をみて分かる通り、IQとは全く別物と考えたほうが良さそうである。
知能指数(IQ/DIQ)の教育への応用(誤用?)
福井中2自殺で、調査報告書の「再発防止の提言」のなかに、「本調査委員会では、本生徒の発達障害の可能性を指摘すべきかどうか躊躇したが、学校の中には発達障害を疑われる子どもたちが多々おり、その特性が理解されず、多くの子が苦しんでいることを考え、指摘をした。学校では、教師同士が子どもを見合い、話し合うことで、子どもの発達特性に応じた指導を心掛けなければならない。」というのがあった。文科省が推進しようとしている「チーム学校」では、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの専門スタッフの拡充を挙げている。(福井中2自殺 パワハラ教師と教育委員会の責任は? 調査報告書の「再発防止の提言」を読む 参照。発達障害については、刷り込み(2)「発達障害」の原因は、「刷り込み」の障害にある?参照)
発達障害はどのように診断されるのだろうか。専門の精神科医が全生徒を診断するのだろうか。それとも小学校入学時に知能検査を実施することになるのだろうか。
https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Hnavi_35025903/
就学時健康診断[初等教育に就学する直前に行なわれる健康診断]では、身体の疾患や、知的発達の度合いが検査される。健常児であれば小学校普通学級に就学するが、心身に障害があり特別な支援が必要な児童の場合、障害のある児童を対象とした就学相談を受けるよう指導される場合が多い。…就学時健診制度が始まったのは1958年である。近年、特に知能検査の実施について是非が問われている。就学時健診では、知能検査を実施し、知的障害の有無を調べ、特別支援教育の必要性を判断する。自治体には、就学時健診を実施する義務がある一方で、受診には義務はないとされる。この点について、自治体の説明不足が目立つ場合も多い。(wikipedia、就学時健康診断)
知能検査が「知的障害者に対する差別」につながるリスクがあるからといって、就学時健診に知能検査を取り入れることに絶対反対というのは一面的だろう。知的障害があるならば、特別支援教育を行うべきであろう。それが本人のためでもある。しかしここで考えるべきことがある。思いつくままに挙げると、①知能検査の具体的内容、②知能検査結果の評価基準、③知的障害の有無ではなく、段階があることに対してどう対処するか、④特別支援教育を受ける者に対する差別-いじめ対応。とりわけ、知的障害の種類と程度に関する不確かな知見に基づいて対策されるべきではない。もしすでに、(私が知らないだけで)確かな知見が得られているのならば、対策が推進されるべきだろう。
知能と遺伝子の関係については、クリスパー革命の話もあり面白いのだが、別途としよう。