浮動点から世界を見つめる (旧:気の向くままに)

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

リアリズム(現実主義)、リベラリズム(自由主義)

 久米郁男他『政治学』(18)

第2節の最後に、現代の国際システムは、17,18世紀の国際システムからかなり変容を遂げているとして、国民国家の数の増大、地理的範囲の地球大への拡大、国民国家(主権が国民に帰属)がほとんどを占めること、国際関係に影響を与える国家以外の主体*1の存在の増加が挙げられている。本書はこれらの詳細を述べているわけではなく、私もここで詳細にふれるつもりはない。また、ナショナリズムについては、別途きちんととりあげたい。

今回は、第7章 国内社会と国際関係 第3節 国際関係をどう見るか であるが、本節を読む前に、第1節 国際関係の特質 を復習しておきたい。(2019/01/10  秩序ある世界(平和な世界)はいかにして形成されるのか?参照)

第1節では、リアリズム(現実主義、realism)、リベラリズム自由主義、liberalism)の話があった。今回は、Wikipediaを参照して復習しておこう。

 

リアリズム(現実主義、realism)

無政府状態の国際関係を国益と勢力均衡の観点から分析する国際政治学の主要な理論。国際関係における現実主義は、世界は無政府状態であるという考えを基礎に置き、国際関係の行為主体は国家以外になく、無政府世界における国家の至上目標は生き残りであるために安全保障が最優先となり、そのためにパワーが用いられ、国際的な様々な事象が発生する、という考え方である。あらゆる価値観を排除して国際関係を客観的に分析しようとする点に特徴があり、国際協調や国際法を重視する理想主義に対して批判的である。軍事力や国益を重視するが、好戦的であることを意味しない。長年にわたって多くの外交政策の基礎理論として採用され続けている。

軍事力や国益を重視するが、「好戦的であることを意味しない」というが、果してそうだろうか。

ここで「無政府状態」(アナーキー)とは、

国際関係においては各国家の上位にたって権力を以って法を執行する中央政府が不在である無政府状態アナーキー)であるから、ホッブズが述べたように自然状態(state of nature)つまり「万人の万人に対する闘争」になると現実主義では考えられる。…権力機構が整った国内社会においては市民が各々武装して自衛する必要性はなく、社会内で紛争が発生しても警察が治安維持し、裁判所で紛争を調停・裁定する。しかし、国際社会においては国内社会のような権力機構がないために紛争が発生しても当事者が独自で解決するしかない。

簡単に言えば、「無政府状態」(アナーキー)とは、「世界政府が存在しない」という意味である。現実主義者は、世界政府が存在しないという現状認識から、以下のように主張するらしい。

  • 国家中心主義…国家は自助努力が要求されるため、常に[国家]利益を巡る競争状態にある。国際社会の主体は国家である。非国家の主体である国際機関は国家の集合体以上ではない。多国籍企業も国家の支援が不可欠である。
  • 安全保障重視…世界が無政府状態であるために、国家は自衛することが求められる。安全保障は最重要課題である。安全保障を確保する手段には自立と同盟の二種類がある。
  • 権力闘争…国際関係はパワー・ポリティックス(権力政治)の原理で動いており、すなわち国家はそれぞれが自らのパワー(power 権力・勢力)を最大化するために争っている。

「世界政府が存在しない」から、このようになっていると言うのであれば、たぶんそうだろうとは思うが、だからといって、「国家」(国益)中心に考え、「安全保障」(軍事力)を重視し、「パワー(権力・勢力)」を最大化すべきということにはならない。世界レベルで、まともなルールをつくるべきである。どうして、この方向に向けて努力しないのであろうか。

 

繰り返しになるが、リアリズム(現実主義)の考え方は、次の通りである。

  1. 国際関係における行為主体(Actor)は、単一で合理的に行動する主権国家である。
  2. 国家の追求する目標は、安全保障である。
  3. 国際関係におけるパワーは、軍事力である。
  4. 国際政治は、権力闘争の色彩を強く持つ。

これには、以下のような批判や反論がある。

  1. 国際関係における行為主体は主権国家に限らない(例:国際機関、NGO、個人など)
  2. 国家の追求する目標は安全保障に限らない(例:経済的・文化的繁栄など)
  3. 国際関係におけるパワーは軍事力に限らない(例:経済力、文化力、ソフトパワーなど)
  4. 国際政治は権力闘争の色彩のみではない(例:政治、社会、経済、金融、文化の交流・協調など)

これらは、まったく正当な批判であると思う。

無政府状態アナーキー)=世界政府が存在しないことが、諸問題の根本的な原因であるとするならば、世界レベルで有効なルールをつくることが最優先されるべきだろう。なぜ、世界政府の不存在を前提にして、議論をはじめなければならないのだろうか? 上記のいずれも、「世界政府の不存在」や「国家」を前提にしているように思われる。

 

リベラリズム自由主義、liberalism)

国際法と国際制度が国家の行動や国際秩序に与える影響を重視する思想であり、リアリズムに対抗しながら発展してきた。その哲学的な基盤は多様であり、ベンサム功利主義やカントの世界平和論などが挙げられる。最も初期のリベラリズムは理想主義 (idealism) でありその後に相互依存論、レジーム論、連邦主義、機能主義、新機能主義、交流主義などの展開を経てネオリベラル制度論 (neoliberal institutionalism) として現在でも主要な立場として位置付けられている。(Wikipedia、国際関係論)

Wikipediaには、「リベラリズム (国際関係論)」という項目もあるが、これ以上によくわからない。

本書の説明がわかりやすいので、再掲する。

国際関係では国境を超えた経済的・社会的交流の増大、それに伴う人々の認識の変化などが起こっており、国家の行動は軍事的な安全保障という目的のみに限定されているわけではなく、国際関係においても個人のレベルでは相互利益や共同体意識が存在しているので、それらをもとにした協調は可能である。リベラリズムでは、人間を、自己保存を第一に考え利己的に行動する主体とは捉えていない。即ち、国際関係には中央集権的政府は存在してはいないものの、国家間あるいは人々の間には共通の利益や規範等が存在しており、それが秩序の源泉となりうるために、対立や紛争は常態化しないと考えるのである。従って、国際関係において国家間関係のみでなく、個人や国内社会のあり方にも注目することを提唱する。(p.137)

Wikipediaのリアリズム(現実主義)の説明にあった4つの批判と同旨である。国家を相対化しなければならない。

 

 

第3節は「国際関係をどう見るか」である。最初に問題提起がある。

現代の国際関係において秩序はどのように維持されると考えたらいいのだろうか。国際関係における秩序を考える際、最も重要な具体的問題は、戦争を防ぐにはどのようにしたらいいのか、という問題であろう。国際関係において絶え間なく起こる戦争の防止を考えるには、なぜ戦争は起こるのか、ということを検討することが必要である。原因がわからずに、防止策を考えることは困難であるからである。…戦争がなぜ起こるのか、という国際関係に根源的な問いに対しては、歴史学社会学政治学、心理学など、多様な視点から研究がなされてきた。

ここで戦争というのは、現実の戦争(hot war)のみでなく、冷戦(cold war)(国際的な緊張状態)を含むものと考える。なぜ戦争が起こるのかの原因を究明せずして、対策を考えることは出来ない。これは言うまでもないことだと思うが、いったいどれほどまともに原因究明がなされ、対策が講じられてきたのだろうか。新冷戦時代と言われる現状を鑑みれば、結果的には、原因究明がなされず、有効な対策が講じられなかったと言わなければならないだろう。歴史学者社会学者や政治学者や心理学者は、どんな研究をしてきたのだろうか。防止策を考えようとしてきたのだろうか。

私は、ここでの「国家間の戦争」を、「争いごと」一般に拡大してもよいと考える。世の中には「楽しいこと」も沢山ある。「争いごと」を無視して、自分だけ楽しければ良い、というのではなく、「争いごと」をなくして、皆が「楽しいこと」ができるようになれば良いと思う。だから「国家間の戦争」がなくなればそれで良い、というものではない。

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映画『COLD WAR あの歌、2つの心』(Zimna wojna*2 https://youtu.be/8sTW38rzOP8

 

三つの分析のレベル

ウォルツやシンガーは、国際関係に生じる現象の因果性の検討は、個人のレベル、国家のレベル、国際システムのレベルから行えるとした。

  1. 個人のレベルでは、政策決定に関与する政治家や指導者という個別の人間、あるいは一般的な人間性に焦点を当てる。
  2. 国家のレベルは、国家の特質(政治体制、経済体制、社会体制など)に焦点を当てる。
  3. 国際システムのレベルは、国際関係における主体間(この場合、国家)の関係に焦点を当てる。(パワーの配分や、国家間の相互作用)。

どのレベルに焦点を当てるかによって、戦争の原因が異なり、戦争防止策も異なる、という。

第1のレベルに焦点を当てた分析からは、好戦的指導者の排除や平和教育の充実など、第2のレベルの検討からは、民主主義的な国家を増やすなどの対応策が提案される。また、第3のレベルからは、各国の勢力の均衡を図ることが挙げられる。

3つのレベルの分析から導き出される「戦争防止策」なるものは、全く空虚な言葉だけの防止策に聞こえる。どれほど、実効性のある具体策が提言されているのだろう?

 ウォルツ*3は、3つの分析のレベルのうち、第1と第2のレベルでの説明が、戦争の直接的な原因(特定の戦争開始に関して、どのような政策決定が行われたのか、最終決定者はどのように行動したのか)を説明するには最も適していることを認めながらも、それらの説明は第3のレベル、即ち、国際システムの構造から制約を受けているとみなした。ウォルツは、国際システムの構造自体に戦争の根本原因があるとして、国際システムの構造を考慮に入れずに戦争の原因を検討することを批判した。ウォルツによれば、戦争は、指導者を変えたり、人間を民主的に教化したり、国家の国内構造を変更することによって回避することは不可能であり、国際システムの構造がアナーキーであるかぎり、国家が安全保障に不安を覚える状況が生じるため、戦争の原因は作り出されると指摘した。このような見方は、国際関係における現象を国際システムの構造から説明するものであり、リアリズムの中でも、特に構造的リアリズムあるいはネオ・リアリズムと呼ばれる。

一見もっともらしいと感じるが、よく考えたい。「国際システムの構造がアナーキーである」とは、無政府状態アナーキー)、即ち、「世界政府が存在しない」という意味である。世界政府が存在しないことに、戦争の根本原因がある、という。そうだろうか? 世界レベルの「警察」や「裁判所」が存在しないから戦争が起こる、というのだろうか。取締りや刑罰を与えなければ、戦争が起こるというのだろうか。実体のよくわからない「国家」なるものが、お互いににらみ合って、隙あらば他国を侵略しようとしているというイメージである。戦国時代か、ヤクザの抗争の世界である。もっとも現状認識が「ヤクザの世界」であるというなら、ウォルツは正しいだろう。それで、ウォルツはどういう防止策を考えているのだろうか。本書は、「原因がわからずに、防止策を考えることは困難である」と言っていた。なぜ、ウォルツがどういう防止策を考えていたのかの紹介がないのだろうか。

 

続いて、ヴェントの「エージェントと構造」の議論が紹介されているが、これをとりあげるかどうかは未定である。言葉は魅力的だが、実は大したことは何も言っていないということがよくある。

*1:国際連合IMF世界貿易機関WTO)などの国家間の国際組織、国境を越えて経済的活動を行う多国籍企業赤十字社アムネスティ・インターナショナル国境なき医師団のような非政府組織(NGO)、国境を越えて活動する民族、個人など。

*2:昔の映画ではない。2018年のポーランド・フランス・イギリス合作の恋愛映画である。

*3:ケネス・ウォルツ、『人間、国家、そして戦争』(1959)