浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

COVID-19: ユヴァル・ノア・ハラリの論考(2)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(19)

今回は、新型コロナウイルス後の世界 ― この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる (2020/3/20 「フィナンシャル・タイムズ」紙)(訳:柴田裕之)を読んでみます。

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http://web.kawade.co.jp/bungei/3473/

 

2.新型コロナウイルス後の世界

  • 私たちは迅速かつ決然と振る舞わなければならない。だが、自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ。さまざまな選択肢を検討するときには、眼前の脅威をどう克服するかに加えて、嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすことになるかについても、自問する必要がある。
  • この嵐もやがて去り、人類は苦境を乗り切り、ほとんどの人が生き永らえる――だが、私たちは今とは違う世界に身を置くことになるだろう。

新型コロナウイルスによる危機(?)を乗り切った後、私たちはどのような世界に暮らすことになるか? ハラリは「今とは違う世界」というが、それはどのような世界か。

COVID-19は、新型のウイルス感染症の一つに過ぎず、いずれワクチンが開発され「それでおしまい」、これによって「世界」が大きく変わることはない、「古い生活様式に戻る。

というのが私の予測である*1

もっとも、「小さな変化」が、「世界」を大きく変える契機となる可能性までは否定できない。(「世界」をどう定義するかによる)

 

ハラリは、「2つの重要な選択」(論点)をあげている。第1に「監視」の問題、第2に「ナショナリズム」の問題である。

 

1.「皮下」監視

  • 政府が国民を監視し、規則に違反する者を罰するという方法…今日、人類の歴史上初めて、テクノロジーを使ってあらゆる人を常時監視することが可能になった。今や各国政府は、生身のスパイの代わりに、至る所に設置されたセンサーと、高性能のアルゴリズムに頼ることができる。
  • 今回の感染症の大流行は監視の歴史における重大な分岐点となるかもしれない。一般大衆監視ツールの使用をこれまで拒んできた国々でも、そのようなツールの使用が常態化しかねないからだけではなく、こちらのほうがなお重要だが、それが「体外」監視から「皮下」監視への劇的な移行を意味しているからだ。

「監視」の議論は昔からある。国家権力(政府)による監視が問題とされる。今回は中国と韓国の監視システムが大きく報道された。

「防犯カメラ」や「防災カメラ」も監視カメラだが、問題視されることはない。このカメラの管理者は国家権力(政府)ではない。

軍事目的の人工衛星(スパイ衛星)による監視もある。こちらは自国民を監視するのではなく、仮想敵国の監視である。

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https://gigazine.net/news/20160309-kh-12-photograph/

 

したがって、「監視」を一括りにして論じることはできない。

 

非常事態のプディング*2

ハラリは、「皮下」監視に注目している。どういうものか。

  • (思考実験)体温と心拍数を1日24時間休みなくモニタリングするリストバンド型センサー[を着用していて]、もしFox Newsのビデオクリップを見ているときの私の体温や血圧や心拍数の変動をモニタリングできたら、何が私を笑わせたり、泣かせたり、激怒させたりするのかまで知ることができる。
  • 企業政府が揃って生体情報を収集し始めたら、私たちよりもはるかに的確に私たちを知ることができ、そのときには、私たちの感情を予測することだけではなく、その感情を操作し、製品であれ政治家であれ、何でも好きなものを売り込むことも可能になる。

誰が、何のために、「情報」を管理するのかが問題なのである。国家権力(政府)が管理するならば、国家権力(政府)の施策に反対する者を管理することになる。形式的に民主主義であろうとも、実質的には一党独裁になり得る*3営利企業が管理するならば、営利目的の管理(自社製品・サービスの購買への誘導)になる。

「監視」を議論する際には、「誰が、何のために」こそが、問題にされなければならない。

  • 大規模な生体情報モニタリングが実施されれば、ケンブリッジ・アナリティカ社によるデータ・ハッキングの手口*4など、石器時代のもののように見えてくるだろう。もし誰かが、かの偉大なる国家指導者の演説を聞いているときに、センサーが怒りの明確な徴候を検知したら、その人は一巻の終わりだ。
  • 生体情報の監視を、非常事態の間に取る一時的措置だとして擁護することもむろんできる。感染症の流行が終息したら、解除すればいい、と。だが、一時的な措置には、非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある。常に何かしら新たな非常事態が近い将来に待ち受けているから、なおさらだ。
  • たとえ新型コロナウイルスの感染数がゼロになっても、データに飢えた政府のなかには、コロナウイルスの第二波が懸念されるとか、新種のエボラウイルス中央アフリカで生まれつつあるとか、何かしら理由をつけて、生体情報の監視体制を継続する必要があると主張するものが出てきかねない

まず、国家権力(政府)が「生体情報」を「監視」しようとする際には、「監視」という言葉を使わずに、例えば「健康情報共有アプリ」というような、もっと柔らかい言葉を使うだろう。(国家権力ではない「公的機関が管理することに合意が得られた場合にも、このような表現になるだろう)。

ハラリが危惧するのは、非常事態だとして、いったん国家権力(政府)による「生体情報の監視体制」を許容すれば、プディング令となる可能性は高いということである。だからといって、全否定はしていない。プライバシーと健康のどちらを選ぶかではなく、プライバシーと健康の両方を享受できるし、また、享受できてしかるべきと言う。

 

「石鹸警察」

  • 全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた

韓国・台湾・シンガポールは、追跡用アプリで注目されているが、ハラリはそこにではなく「広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力」に注目している。これは事実認識の問題であり、ハラリの見方が正しいかどうか何とも言えない。

  • 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー*5に見張られていなくてもなお、正しい行動をとることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

これは疑問である。国民は「科学的な事実」かどうか判断できない。専門家でもよくわからない事実を、「科学的な事実」として伝えることはできないだろう。例えば、ハラリは「広範な検査」を称賛しているようだが、検査精度を考慮しないで「広範な検査を」とは言えないはずである。また「偽りのない報告」というが、検査結果の生データを公開されれば、国民はそれを解釈して、適切な行動をとれるというものではない。生データを解釈した報告であれば、「偽りのない報告」と言えるのだろうか。解釈が正しいかどうかをどうやって判断できるのだろうか(例えば、単純に二値分類していないか)。

ならば、公的機関が公表する事実を信頼したとしても、それでもって「正しい行動」をとることができるとは言えないだろう。対象が未知である場合、正しいか正しくないかは、結果でしかわからない。可能なことは、判断時点で、未知→既知となったことを踏まえて他に及ぼす影響を考慮に入れて、対策を講じることだろう。これは「一般大衆」がなし得ることではない。だから実際問題、国民が「科学的な事実」を伝えられて、「正しい行動をとることができる」と考えるのは、幻想でしかないと思われる。従い、「自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ」というのは、説得力がない。

  • 今日、何十億もの人が日々手を洗うが、それは、手洗いの怠慢を取り締まる「石鹸警察」を恐れているからではなく、事実を理解しているからだ。私が石鹸で手を洗うのは、ウイルスや細菌について耳にしたことがあり、これらの微小な生物が病気を引き起こすことを理解しており、石鹸を使えば取り除けることを知っているからだ
  • だが、手洗いに匹敵する水準の徹底と協力を成し遂げるためには、信頼が必要となる。人々は科学を信頼し、公的機関を信頼し、マスメディアを信頼する必要がある。ここ数年にわたって、無責任な政治家たちが、科学と公的機関とマスメディアに対する信頼を故意に損なってきた。今や、まさにその無責任な政治家たちが、一般大衆はとうてい信頼できず、適切な行動を取ってもらえるとは思えないと主張し、安易に独裁主義への道を突き進む誘惑に駆られかねない。

日本の現状を見るに、私は、科学者(専門家)も、政府(対策本部)も、マスメディアも、信頼に足る対策・行動をしてきたのか疑問に思っている。(なぜそう思うのか、ここではふれない)

  • 監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている。新しいテクノロジーも絶対に活用するべきだが、それは国民の権利を拡大するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出すために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任を持って決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。

「石鹸警察」ではない「公的機関」に「健康情報」を集約し、適切に、(1)個人的選択と (2)公的決定 が可能となるようなシステムの構築は望ましい。新型コロナ対策、もっと広く感染症対策に限定しない「健康情報の共有システム」の構築は、真剣に取り組むべき課題だろう。

  • もし私が自分の健康状態を1日24時間追うことができたら、自分が他人の健康にとって危険になってしまったかどうかに加えて、どの習慣が自分の健康に貢献しているかもわかるだろう。そして、新型コロナウイルスの拡散についての信頼できる統計にアクセスしてそれを解析できたなら、政府が本当のことを言っているかどうかや、この感染症との戦いに適切な政策を採用しているかどうかも判断できるだろう。もし監視が話題に上っていたら、同じ監視技術がたいてい、政府が各個人をモニタリングするためだけではなく、各個人が政府をモニタリングするためにも使えることを思い出してほしい。
  • このように、新型コロナウイルス感染症の大流行は、公民権の一大試金石なのだ。これからの日々に、私たちの一人ひとりが、根も葉もない陰謀論や利己的な政治家ではなく、科学的データや医療の専門家を信じるという選択をするべきだ。もし私たちが正しい選択をしそこなえば、自分たちの最も貴重な自由を放棄する羽目になりかねない――自らの健康を守るためには、そうするしかないとばかり思い込んで。

私たちが社会生活を営む上で、「個人情報」(行動情報を含む)を社会の中でどう扱うかである。私達が共に生きる社会において、個人情報(行動情報を含む)をどこまで、いつまで共有するかの合意が必要である。「自由」の名のもとに、個人情報(行動情報を含む)を保護(秘匿)しすぎるのではなく、個人情報(行動情報を含む)の保護(秘匿)が他者を傷つけ、他者の自由を奪うことになる可能性を考慮すべきであろう。

ここで、健康情報(生体情報)のモニタリング技術にふれようと思っていたのだが、長くなりそうなので次回にまわすことにする。

 

2.ナショナリズム

  • 感染症の大流行自体も、そこから生じる経済危機も、ともにグローバルな問題だ。そしてそれは、ナショナリズムに基づく孤立ではなく、グローバルな協力によってしか、効果的に解決しえない。
  • 協調してグローバルな取り組みをすれば、生産が著しく加速され、命を救う用品や機器がより公平に分配できる。
  • 医療のための人員を出し合う、同様のグローバルな取り組みも検討していいだろう。
  • グローバルな協力は、経済面でも絶対に必要だ。経済とサプライチェーンがこれほどグローバル化しているのだから、もし各国政府が他国をいっさい無視して好き勝手に振る舞えば、大混乱が起こって危機は深まるばかりだろう。私たちはグローバルな行動計画を必要としている。

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https://www.catedrajoseptermes.cat/en/news/2020/05/15/covid-19-call-for-submission-for-nations-and-nationalism

 

  • 移動に関するグローバルな合意に達することも欠かせない。何か月にもわたって国際的な移動を停止すれば、途方もない苦難を招き、新型コロナウイルスに対する戦いを妨げることになる。
  • 各国は協力し、せめて絶対に必要な少数の人々、すなわち科学者や医師、ジャーナリスト、政治家、ビジネスパーソンには越境を許し続けなければいけない。
  • 移動者が自国による事前検査を受けるというグローバルな合意に至れば、これは達成可能だ。厳重な検査を受けた移動者しか飛行機の搭乗を許されないことがわかっていれば、入国側も受け容れやすくなる。
  • 現時点ではどの国もこうしたことを1つも実行していない。国際コミュニティは集団麻痺に陥っている
  • 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、グローバルな団結の道を選ぶのか? もし不和を選んだら、今回の危機が長引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くことになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロナウイルスに対する勝利となるだけではなく、21世紀に人類を襲いかねない、未来のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。

「責任はけっして取らず、誤りは断じて認めず、いつもきまって手柄は独り占めし、失敗の責めはすべて他人に負わせる」ような人物がトップにいるようでは、「未来のあらゆる感染症流行や危機」に対処できない。人類存続の危機に瀕するかもしれない。

*1:なお、「古い生活様式」が良いとか、何も警戒する必要はないとかは言っていない。他の感染症や、他のリスク同様に、正しく恐れる」ことは必要である。

*2:プディング…牛乳と卵を使って蒸した料理の総称。甘いスイーツから肉や調味料を加えたおかずになる料理をまとめた呼び名であり、プリンというのはプディングという料理のカテゴリーの中の一つ(たべるご)。…イスラエル独立戦争時(1948)の非常事態宣言で、贅沢品とされたプディングを制限する緊急命令が出され、2011年に撤廃された。

*3:日本の戦後保守政権は、独裁政権であったと評価しうるかもしれない。

*4:興味ある方は、「ケンブリッジ・アナリティカ廃業へ フェイスブックデータ不正収集疑惑で」参照。

*5:ビッグ・ブラザージョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者。