浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

「遺伝子」とは何か?

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(22)

今回は、第3章 二つの遺伝子 第1節 「遺伝子」概念の登場 (p.116~)である。

メンデルにおける遺伝子概念*1

メンデルは、遺伝現象の原因となる「原基」を仮定した。

  • メンデルの言う「原基(遺伝的因子)」は、マメの色やしわの有無などといった外的に観察可能な形質を生み出す原因となる、直接は観察不可能な「内的構成上の差異」として想定された。こうした「原基」は、世代を経ても減衰せずに伝えられていくようであったから、分割不可能な粒子的なものだとも考えられた。
  • 要するに、エンドウマメの中には「マメを緑色にする原基」「しわを作る原基」など、形質に対応する何らかの粒子のようなものが含まれているというイメージである。

原基というのは聞きなれない言葉である(無知だからだが…)。原器とは異なる。

  • 個体の発生段階で、その形態や機能が器官としてまだ分化していない状態の細胞群。(デジタル大辞泉
  • 多細胞生物の胚において、将来の器官あるいは組織の素材となるように方向づけ(決定)された細胞集団。(日本大百科全書

メンデルの言う「原基」が、イメージとして「粒子的なもの」であった、というのが山口の強調したいところだろう。

では「内的構成上の差異」とはどういう意味か。

  • 「まだ作用力を発揮していない潜在的な力」というイメージを持っていたのではないかと思われる。
  • それと対比させて私[山口]は、「外的に観察可能」ということで「現実的に現れた(何らかの作用が引き起こされている)もの」のことを意味しようとしている。

メンデルの言う「原基」とは何か? (「物理的性質」が具体的に追及されることはなかったので)次のようにも説明される。

  • メンデルの言う「原基」とは、形質から独立してそれ自身として見出しうるような何らかの物質的実体であるというよりは、交配した植物における形質の出現や分離という現象を説明するための仮想的なものだったと言うべきであろう。(メンデルの時代には、「分子」や「原子」の実在性が議論の的だった)。
  • こうした理論においては、ひとつの遺伝子はひとつの形質に対応する。…遺伝子の単位をどう考えるかということは、遺伝子概念の展開を整理するうえで重要な論点である。

メンデルの言う「原基」とは、イメージとして「粒子的なもの」であったが、それは「形質を説明するための仮想的なもの」であった。

それは「仮説」と言ってもよいだろう。だからと言って、「物理的実体」が証明されなければ、無意味で棄却されるべきものだとは言えない(証拠が無く、単なる仮説に過ぎないなどという非難を聞くことがある)。仮説を立てる能力は、高く評価すべきだろう。

 

仮想的な「原基」は、実際の物質としてはいかなるものであるのか?

  • メンデル理論が再発見されて間もない1902年、サットンは、染色体*2の振る舞いがメンデルの法則にしたがうことを示し、染色体こそが遺伝現象を担う物質的実体であると主張した。さらに、染色体はメンデルの言う「原基」そのものではなく、ひとつの染色体には複数の形質を規定する要素が含まれており、同じ染色体上にある形質は一緒に遺伝する(連鎖している)はずだと主張した。

この仮説は、T.H.モーガンらのチームによって立証された。

  • モーガンは、ショウジョウバエの突然変異を集め、それらの間で交配実験を行うことで、1913年、染色体地図を作製した。同時に、それと唾液腺染色体の模様と比較することで染色体上にある遺伝子の位置を特定し、それによって遺伝子が染色体の上にあることを証明した。モーガンの研究以前は、遺伝子はあくまで抽象的な存在であった。染色体説の実証により、染色体上に並ぶ物質として遺伝子を研究する道を開いたことは、以後の遺伝学の発展に決定的な影響を与えた。(Wikipedia、トーマス・ハント・モーガン)

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http://araye.org/salivary.html

 

  • 1902年、ガロッドは、アルカプトン尿症という稀な病気がメンデルの法則に従って遺伝することを示し、それが代謝経路の異常(アルカプトンという物質を分解する酵素が先天的に欠損)であることを論じた。ガロッドの主張では、遺伝子は、その欠損が病気の原因となる酵素そのものか、あるいはその酵素を生み出す何らかの原因物質である。
  • 1941年、ビードルとE.テータムは、アカパンカビの突然変異株の研究から、「一遺伝子一酵素説」を提出した。…そうした異常は遺伝学の法則に従って遺伝することから、X線照射によって破壊されたのは遺伝子であり、…酵素を作る働きを持つ物質だと推定した。
  • このように、ひとつの遺伝子がひとつの酵素に対応しているという考えを「一遺伝子一酵素」という。こうした考えは、代謝異常という「形質」に対応するものとして遺伝子を想定する点で、遺伝子の単位を形質とするメンデル以来の発想を受け継いでいることが見て取れるであろう。
  • この仮説は、遺伝子がどのようにして酵素を生み出すのかという問いへとつながり、結局のところその問いが、DNA分子が酵素などタンパク質のアミノ酸配列を指定する情報を担っているという分子生物学における発見につながるのであるが、この仮説が唱えられた段階では、遺伝子は代謝過程を変容させることで形質の変化(病気や生育異常)を引き起こす原因であると考えられていると見るべきであろう。
  • ワトソンとクリックによるDNAの分子構造の発見(1953年)は、分子生物学草創期の一大成果とみなされているが、一面では、遺伝子の物質的実体を探求するという古典的な遺伝学の流れの中に位置づけられる。

「一遺伝子一酵素説」(仮説)が唱えられた段階では、「遺伝子は、形質の変化(病気や生育異常)を引き起こす原因である」と考えられているという指摘は興味深い。遺伝子は「病原体」である!?

*1:メンデルの法則…(1)優劣の法則。雑種第1代では二つの対立形質のいずれか一方が現れ,現れるほうを優性,隠れるほうを劣性という。(2)分離の法則。雑種第1代で,対立遺伝子が異なる(A,a)場合,雑種第2代で,優性の形質(A)が3,劣性の形質(a)が1の比で分離する。またこの比で分離するような形質は1対の対立遺伝子で支配されていると仮定できる。(3)独立の法則。2組以上の形質(対立遺伝子)を同時に注目して交雑した場合,それぞれの形質は相互に独立して分離の法則に従う。このため2組の形質(A,aとB,bなど)の組合せAB:aB:Ab:abは9:3:3:1の分離比で生ずる。(百科事典マイペディア)

*2:染色体…元来は細胞核の中に含まれ,細胞分裂が始まると,塩基性色素によく染まるひも状の構造を指したが,その後の分子遺伝学的な知見に基づき,現在では,細胞内の遺伝情報を担うDNAの巨大な糸状分子を指す。(百科事典マイペディア)