浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

COVID-19:藤原辰史の論考(2)- クリオの審判

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するメモ(58)

  

権威国家、自国中心主義

今回のパンデミックは人びとの認識を大きく変えるだろう。人びとの不測の事態に対するリスクへの恐怖が高まり、ビッグデータの保持と処理を背景とした個別生体管理型の権威国家自国中心主義的なナルシズム国家がモデルとなるかもしれない。

ハラリは、コロナウイルスの対応において、各国の遮断ではなく協力を呼びかけており、それには全面的に賛成するが、それにしても自国中心主義に溺れる国家が国際社会には溢れすぎている。こうして、世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退を見せていくのかもしれない。すでにパンデミック以前から進行していたように。

私たちは、COVID-19対策(検査・検疫-隔離、医療体制整備、移動・外出禁止、国境閉鎖、治療薬・ワクチン開発接種等々)にのみ目を奪われ、そのような対策を可能にし、実効性あるものにする力が何であるかの検討が不十分であるように見受けられる。

ビッグデータの保持と処理を背景とした個別生体管理型の権威国家」、これは中国が念頭にあるか。

「自国中心主義的なナルシズム国家」、これはアメリカを中心とするほぼすべての国家が念頭にあるか。

藤原は、「世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退を見せていくのかもしれない」と述べているが、私には「世界の秩序と民主主義国家」が歴史上存在したとは思えない(もちろん、程度問題だが)。

 

消毒文化

ハラリは述べていないが、新型コロナウイルスを「滅菌」するための消毒サービスが流行して、恐怖鎮静化商品の市場価値が生み出され、人びとが、ただでさえ蔓延していた潔癖主義に取り憑かれ、人間にとって有用な細菌やウイルスまで絶滅の危機、それによる体内微生物相の弱体化、そして免疫系統への悪影響に晒されるかもしれない

細菌やウイルスが、(それ自体)どういう存在であるのか。生物にとってどういう存在であるのか、人間にとってどういう存在であるのか、免疫とは何であるのか。

そういった知識なしに、「新型コロナウイルス」が、唯一の絶対的な敵であるかの如く、恐れおののく対象とすることが、いかに偏狭な見方であるかを知るべきであろう。

消毒文化の弊害について:ある特定のウイルスを体内に長年共生させ、他の病原菌から守るような状況になる可能性を[消毒により]失っていくかもしれない。潔癖主義が人種主義と結びつくと、ナチスの事例に見られるようにさらに厄介である。

新型コロナ陽性者は「毒」を持っており「有害」であるから、罰則をもって「隔離」しなければならない。

新型コロナ陽性者の「接触者」は「毒」を持っている可能性があり「有害」であるから、罰則をもって「隔離」しなければならない。

「無症状の隠れた新型コロナ陽性者」および「その接触者」は「毒」を持っている可能性があり「有害」であるから、罰則をもって「隔離」しなければならない。

「無症状の隠れた新型コロナ陽性者」および「その接触者」は、A国やB人に多いから、交流を断ち、接触してはならない。

「無症状の隠れた新型コロナ陽性者」および「その接触者」は、毒を持っており、有害であるから、「消毒」(=抹殺)しなければならない。(ナチス

潔癖主義者の消毒は、上記のような思考に接続する。(マスク、手洗い、換気は、消毒文化の象徴である。蛇足:全否定しているわけではない)。

このように、悪いことはいくらでも想像できる。しかし、世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、危機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない。世界史で流された血の染み付いたバトンを握る私たちは、今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか。

歴史学者である藤原は、「世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、危機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない」と断じている。私は歴史を勉強していないので「本当にそうなのか」とも思うが、今日の世界の状況をみていると、「危機を反省することなく、未来への指針を生み出していない」のは確かなような気もする。

 

弱い立場に追いやられている人たち、異議申し立て、メディアの社会的責任

藤原は、「指針めいたこと」を探ろうとしている。

  1. 日常の習慣を、誰もが誰からも奪ってはならないこと。…戦争は、人間を不衛生な場所に収容・監禁してきた。…よく食べ、よく笑い、よく寝る、という免疫力をつける重要な行為が、これまで仕事よりもあまり重視されなかった。
  2. 組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり、異議申し立てをしたりすることをいっさい自粛しない・自粛させないこと。…異議申し立ての抑制こそが、かえって新型コロナウイルスによる被害を増大させるだろう。
  3. 戦争にせよ、五輪にせよ、万博にせよ、災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家が精魂を費やすことは、税金のみならず、時間の大きな損失となること。
  4. 現在の経済のグローバル化の陰で戦争下のような生活を送ってきた人たちにとって、新型肺炎飛沫感染の危機がどのような意味を持つのか考えること。…原発事故によって放射性物質にさらされ、いまだに避難中の人びとにとって、病気になるリスクは、新型コロナウイルスに感染するリスクよりも低いだろうか。上司の嫌がらせを受けながら働く人間にとって、過労死や自殺やうつ病になるリスクは、新型肺炎で死ぬリスクよりも低いだろうか。ホームレスが病気を患っている可能性は、新型コロナウイルスに感染する可能性よりも低いだろうか。派遣労働者として働いているシングルマザーにとって、体を崩して子どもに負担をかける怖さは、新型コロナウイルスの怖さよりも小さいだろうか。学校に馴染めない子どもたちが学校によって傷つくリスクは、この子たちに新型肺炎が発症するリスクよりも低いだろうか。権力を握る者たちは、毎日危機に人びとを晒してきたことを忘れているのだろうか。なにより、新型コロナウイルスが、こういった弱い立場に追いやられている人たちにこそ、甚大かつ長期的な影響を及ぼすという予測は、現代史を振り返っても十分にありうる。
  5. 危機の時代に、立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。…インターネット上の新聞記事は、個人の生命に関わる重要な記事にもかかわらず、有料が多い。情報の制限が一人の救えたかもしれない命を消すこともあるのだ。せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信するのが、メディアの社会的責任である

新型コロナを論ずるにあたっては、異議申し立ての抑制、弱い立場に追いやられている人たち、情報の抑制(隠蔽)・偏向、メディアの社会的責任などに、言及しなければ片手落ちである。

私は、ネットの記事を比較的よく読んでいるほうだと思うが、よく「有料記事」に出会う。それはネット・メディアの「利益追求」のためであるが、藤原の言うように、せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信すべきではなかろうか。

 

クリオの審判

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ウスタッシュ・ル・シュウール《クリオ、エウテルペー、ターリア》*1

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eustache_Le_Sueur_-_The_Muses_-_Clio,_Euterpe_and_Thalia_-_WGA12611.jpg

 

日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。果たして日本はパンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうかを。

クリオが審判を下す材料は何だろうか。危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。

試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩り「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。

検査陽性者を「害虫」とみなすこと、すべての人(=「無症状の隠れた新型コロナ陽性者」および「その接触者」)を「害虫」とみなすことが、「人間価値の値切りと切り捨て」でなくて何であろうか。

「検査陽性者」や「すべての人」(=「無症状の隠れた新型コロナ陽性者」および「その接触者」)を「魔女」狩りの対象とする「野蛮」でなくて何であろうか。

「弱い立場に追いやられている人たち」が視界に入らない人たち、視界に入っても「カネ」で解決できると思っている人たち、…には「心の目」がない。彼らは「弱いもの」たちを攻撃しているという自覚が無い。

危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほど晒されてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。これがクリオの判断材料にほかならない。「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。 

「危機の時代」とは、「危機を作り出している時代」であるということ。

「石を投げる人たち」(危機を作り出している人たち)と一緒になって石を投げる卑しさ。

「危機を作り出している人たち」が、「私たち」であるという自覚。…自滅。

クリオの審判は、「人類の死」の宣告であるかもしれない。

 

ウイルスに怯える人たち、石を投げる人たち

藤原は、冒頭「本当に怖いのは ウイルスではなく、ウイルスに怯える人間だ」と述べていた。

なぜ、ウイルスに怯えるのか。なぜ、冷静にウイルスに対処できないのだろうか。

誰が「ウイルスに怯える人間」を作り出しているのだろうか。

為政者は、「ウイルスに怯える人間」を作り出さないこと、「石を投げる人間」にならないようにすることが責務ではないのだろうか。

*1:歴史を司るムーサ(女神)クリオが、人類の偉業を讚えるトランペットとその偉業を記した本を手にしている。花冠をつけた音楽の女神エウテルペーはフルートを奏て、喜劇の女神ターリアは、演劇を象徴する仮面を手にしている。(ルーブル美術館