浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

分子生物学のセントラルドグマ

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(25)

今回は、第3章 二つの遺伝子 第2節 分子生物学における遺伝子概念の展開 の続き(p.130~)である。

 

分子生物学における遺伝子概念(続)

デルブリュック*1をはじめとする初期の情報学派の研究者たちは、同時代の生化学的遺伝学の研究を無視した。

彼は、遺伝現象の本質は、遺伝子と形質の関係にあるのではなく、遺伝子の自己複製であると考え、それを示す最も単純な系としてファージに着目した。 

「本質」という言葉は便利な言葉ではあるが、何を「本質」と考えるかは人によって異なるだろう。「遺伝現象の本質は、遺伝子の自己複製である」と言っても、何故そう考えるのかを説明しなければならない。

ファージというのはウイルスであり、正式にはバクテリオファージと呼ばれる。

バクテリオファージ…細菌を宿主として増殖する細菌ウイルスの通称で、単にファージともいう。細菌体内でのファージの増殖は結果的には溶菌という現象を起すので、細菌[bacteria]を食べる[Phage]ものという意味でこの名がつけられた。ファージが特定の細菌の表面に吸着すると、まずファージ核酸が細菌内部に注入され、細菌固有の核酸の機能が阻害されるようになる。一定の潜伏期 (約 10分) ののち、ファージ核酸その他のファージ構成成分が次々に再生され、感染後 20~40分には 100~200個の新生ファージが出現し、その宿主細菌が崩壊してファージ粒子が放出され、その周囲にある細菌細胞に吸着して増殖を繰返す。(ブリタニカ国際大百科事典)

溶菌とは、「細菌の細胞が細胞壁の崩壊を伴って破壊され、死滅する現象」である。(Wikipedia

ハーシーとチェイスは、遺伝子の物質的実体が、タンパク質ではなく、DNAデオキシリボ核酸]であることを明らかにした(1952年)。
ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を明らかにしたのだが、DNAにせよタンパク質にせよ、具体的な分子の構造や振る舞いを明らかにするためには、結局のところ生化学的手法や、構造学派が持つX線による構造分析の技術が必要であった。ウイルキンズの研究室で働いていたロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶の鮮明なX線回折画像を見たことが、DNAの二重らせん構造を確信するうえで重要な役割を果たしたことはよく知られている。
DNA分子の構造が明らかになったところで、クリックは「遺伝情報は、DNA→RNA→タンパク質と一方通行で流れ、その逆はない」という「分子生物学セントラルドグマ」を構想した。
その後、1970年頃までに、DNAの複製、mRNAへの転写、タンパク質への翻訳についての具体的な仕組みが解明されていった。…遺伝暗号の形式の解明やその解読も実現した*2

分子生物学セントラルドグマ(中心原理)は、覚えておかなければならない。

こうした一連の研究の中で、もともとは遺伝学や生化学、X線結晶学などにおいて各々の観点から生命現象の解明に用いられてきたそれぞれの実験技術は、DNA分子のいかなる構造が情報を保存し、それがいかにして読み取られるか、すなわち暗号装置としてのDNAの仕組みと働きを明らかにするという目的意識の下で利用されることになった。かくして、分子生物学パラダイムの下に、遺伝学や生化学やX線結晶学などの諸分野が統合されていったのである

 パラダイムとは、「認識の枠組み」という意味に理解しておこう。

遺伝学や生化学やX線結晶学などの諸分野が、バラバラにあるのではなく、分子生物学パラダイムの下に統合されたという点が重要である。

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 図:遺伝子とたんぱく質と疾患(https://www.3d-gene.com/about/bio/bio_001.html

 

分子生物学における遺伝子の単位

恐らく最初のうちは、遺伝子は何らかの形質の情報を担うと考えられていた。メンデル以来の遺伝学で遺伝子(原基)が形質の原因となると考えられていたように。

現在の遺伝学においても、遺伝子が「アイレス」や「フシタラズ」など、その遺伝子に対応すると考えられた外的形質にちなんで名づけられているところに、そうした思想は息づいている。

アイレス(眼無し)、フシタラズ(節足らず)。

「顔が親に似るのは遺伝である」というのは、「遺伝子は何らかの形質の情報を担う」と考えることだろう。

遺伝子はどんな情報を担っているのか。それは、タンパク質のアミノ酸配列に加え、情報解読のために必要な情報、情報発現の制御に必要な情報であり、DNAの塩基配列(「暗号」とみなされた)によって保存されている。

「暗号」で思い出したが、ハンコ廃止の流れは、「デジタル署名」を促進することになるだろう。

暗号は、発現制御の情報に従って、適切なタイミングで読み取られ、適切なタンパク質が生産される。

かくして、分子生物学において遺伝子の単位はDNAの塩基配列のうちで一つのmRNAに転写される部分であり、それはその近傍の発現制御を担う部分によって制御されているということになった。つまり、遺伝子の単位は、外的に観察可能な形質に対応するものではなく、タンパク質という物質に対応するものとされたのである。

遺伝子の単位が、「観察可能な形質」に対応するものではなく、「タンパク質という物質」に対応するものとされたことは、生物の物質的理解に寄与しただろう。ただ、生物のこころ(意識)はどういう位置づけになるのだろうかという疑問はある。

タンパク質というのは一つの分子として、それ自身で輪郭を持つ。そうしたものと対応させることで、遺伝子の単位もまた、客観的に決められるようになる。

細胞内において酵素として働いたり、細胞や組織を構成したりするなど、具体的な働きをするのはタンパク質であり、その点でタンパク質の働きは外的に観察可能な形質に関係するものである。それゆえ、遺伝子がタンパク質に対応するものであるとするなら、遺伝子と形質との対応関係も、何とかとれるように思える。つまり「1遺伝子1タンパク質」という図式は、前時代の、遺伝子を外的形質の原因とみなすような遺伝子観とも整合できるように思える。

遺伝子の単位が、「タンパク質という物質」に対応するものとされたからといって、「観察可能な形質」と無関係になったわけではない。概念がより明確になったというべきか。

こうした古典的な分子生物学の枠組みは、ほぼ同時代に成立した情報理論の観点から見ても正当化されている。

情報理論については、次項の「自己増殖する機械」における遺伝子の機能 で説明される。

*1:デルブリュックについては、2020/10/27 遺伝子の量子力学的モデル でふれている。

*2:DNA分子は、ATGCという4種類の塩基が鎖のようにつながっている。これら4種類の塩基の中から3つを選んだものが、ひとつのアミノ酸を表現している。この3つの塩基の組を「コドン」と呼ぶ。1967年までに30種類のアミノ酸を指示するすべての遺伝暗号(コドン)が解読された。そしてアミノ酸が順につなぎ合わされることで、特定のタンパク質が生産される。