ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか』(3)
【目次】は、以下のとおりである。わくわくするようなタイトルが並んでいる。
第1章 謎との遭遇
第2章 哲学のあらまし
第3章 無の小史
第4章 偉大なる拒否者
第5章 有限か無限か?
第6章 帰納法を駆使するノース・オックスフォードの有神論者
第7章 多宇宙論の鬼才
第8章 究極理論のフリーランチ?
第9章 究極理論を待ちながら
第10章 プラトン主義の意見
第11章 「何かが存在することの倫理的な要件」
第12章 すべての魂からの決定的な言葉
第13章 ちょっとした軽妙な詩としての世界
第14章 自己:私は本当に存在するのか?
第15章 無への回帰
【幕間】は、以下のとおりである。こちらも興味をそそる。
幕間 私たちの世界がハッカーによって創造されたことはありうるか?
幕間 無の計算
幕間 カフェ・ド・フロールでの夜想
幕間 是非もない至高の事実
幕間 説明の果て
幕間 嘔吐
幕間 多世界への一言
幕間 それ(イット)はビットから?
幕間 パリのヘーゲル哲学信奉者
幕間 証明
今回は、第1章 謎との遭遇 の続き(pp.18~25)である。
存在の謎とは、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いである。
本書は、この謎を解明するための「旅行記」あるいは「街歩き」の書であるようだ(目次を見てそう思った)。
肩肘はらずに、あまり詮索せず、楽しめればそれで良いだろう。
山田雅哉、存在の謎(https://yamadamasaya.jp/works/from2015/mystery/)
- 宇宙には、生命、意識、喜びや惨めさ、赤面する思い、つま先をぶつけた感覚といった、主観的な心的状態も含まれている。
- もし現実がそれだけのもの(物質的なものと精神的なもの、それにそれらの入り組んだ因果関係)ならば、存在の謎を明らかにするなどおよそ望み薄だろう。
- 数学的対象(数や円などに限らず、n次元多様体やガリア系、クリスタルコホモロジーなど)は、空間や時間の領域にはどこにも見つからない。物質でも精神でもなさそう。ならば、本当に存在するのだろうか?
- 「善」や「美」、数学的対象、論理法則などは、必ずしも何か、即ち精神的なものや物質的なもののあり方とは言えない。だが、それらは何もないというわけでもない。そのようなものが、なぜ、何もないのではなく、何かがあるのかを説明するのに役立つだろうか?
- アリストテレスは、物理現象の説明に持ち出される可能性がある原因として4種類を特定したが、そのうち一つだけ(作用因)が、私たちが考える狭い意味での科学的概念に対応する。
- アリストテレスの体系で最も突飛な原因は、「目的因」だ。私たちが目的因に出会うのは、大変まずい説明のなかであることが少なくない(なぜ雨は春に降るのか? それによって作物が育つから!)
- 説明には必ず「もの」が含まれなくてはならないという想定は、「西洋哲学における、この上ないほど根強い偏見」(ニコラス・レッシャー)とみなされている。
- 世界が存在する理由を探すなら、別の場所つまり数学的対象や客観的価値、論理法則、ハイゼンベルグの不確定性原理といった「ものではないもの」の領域にあたったほうがいいのではないだろうか。ひょっとすると、目的論的な説明に沿った何かから、世界の存在をめぐる謎をどうやって解明できるかについて、少なくとも手がかりが得られるかもしれない。
- もしかすると、人間の理性で見出せる、世界の存在についての非有神論的な説明があるのではないだろうか。そのような説明では、神を仮定する必要はないだろうが、必ずしも神を排除するとも限らないだろう。さらに言えば、なにがしかの超自然的な知性の存在する暗示されるかもしれないし、それによって、ませた子どもが発する「だけどお母さん、誰が神様をつくったの?」という手強い質問への答えが出るかもしれない。
- 存在の謎についての導きを求めて、私は網をかなり広く張り、哲学者、神学者、素粒子物理学者、宇宙論者、神秘主義者、最高に偉大なアメリカの小説家と話をした。
- そのような思想家たちが、なぜそもそも世界が存在するのかという疑問について模索しているのを聞くと、この問題に関する自分の考えが、思ったほどつまらないものではないことがわかってくる。
- 存在の謎を前にしては、誰も知的優越感を誇ることはできない。なぜなら、哲学者で心理学者のウイリアム・ジェームズが述べたように、「ここでは、みなが乞い求めている」からだ。
以上に引用しなかったが、次のような個所があった。(隠された宇宙の代数)
- 9の倍数(18,27,36など)の各桁の数を足し合わせると(1+8,2+7,3+6など)必ず9になる。数学に疎い人にとって、これは偶然に思えるかもしれないが。一方、熟練した代数学者は、それが必然的なことだと直ちに見抜く。
例えば、189なら18、387なら18、1107なら9となる。法則性はあるが、それはどのような法則か。パズル好きなら容易に答えられるだろう。