山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(30)
今回は、第3章 二つの遺伝子 第4節 遺伝子は外的に観察された形質の情報を担うか(p.154~)である。
現在、一口に「遺伝子」と言われるものが、何らかの情報を担うものである点、その物質的実体がDNA分子であるという点については、生物学者の大勢は一致しているのだが、遺伝子が担うという情報の内容や遺伝子の単位については、それを外的に観察された形質とする遺伝学由来の考え方と、タンパク質分子とする分子生物学由来の考え方の二つがある。両者は異質なものであり、本来なら同一視することはできないはずのものなのである。
「遺伝学由来の考え方」と「分子生物学由来の考え方」については、これまでの節で見てきたところである。
遺伝性疾患
ところが近年、医学的関心に動機づけられた遺伝子の解析が、医学系の研究者のみならず情報科学の専門家も多数参加して大々的に進められている。そうした研究では、遺伝子は病気や症状など外的に観察された形質の情報を担うものとして扱われているようなのである。…問題は、DNA分子としての遺伝子は形質の情報を担うかということであった。つまり、遺伝子と形質とを、情報の媒体と読み取るべき情報という形で一義的に対応付けることができるかどうかということである。
遺伝子は、病気の症状などの「外的に観察された形質」の情報を担うものなのか?
東京女子医大遺伝子医療センターゲノム診療科は、「遺伝性疾患」について、次のように説明している。
遺伝性疾患とは染色体や遺伝子の変異によって起こる病気をいいます。
遺伝性疾患には、単一遺伝子病・多因子遺伝疾患・染色体異常などがあり、染色体や遺伝子の変異を親がもっていてそれが子に伝わる(遺伝する)場合と、親自身には全く変異がないにもかかわらず、突然変異によって、身体の細胞、精子、卵子の遺伝子・染色体に変異が生じ病気になる場合があります。(http://www.twmu.ac.jp/IMG/about-gene/hereditary.html)
遺伝性疾患とは、「染色体や遺伝子の変異」によって起こる病気ということであるが、山口の問いは、遺伝子は病気の症状(外的に観察された形質)の情報を担うものなのかというものである。
次のような「可能性」はどうか?
「探求の出発点となった形質の選択に恣意性が入り込むのが問題だと言うなら、逆に遺伝子から形質への因果関係を辿ることで、その遺伝子が何らかの形質の情報を担うことが示せるのではないか」
どのような症状(形質の選択)をもって、遺伝性疾患というのだろうか。遺伝子から形質(症状)への因果関係を辿ることができるのだろうか。
遺伝子から形質へ
そこで山口は、遺伝子と形質が1対1に対応するように思える「鎌形赤血球症*1」の例を取り上げ検討している。鎌状赤血球症という遺伝病がどういう病気であるかは、例えば、遺伝性疾患プラス編集部の解説が分りやすい(ここでは2番目の図のみ引用する)。
https://genetics.qlife.jp/diseases/sickle-cell
この病気の遺伝子は、11番染色体上にあり、メンデル遺伝学で言うところの劣性遺伝をする。
分子生物学的に言うと、この遺伝子は、本来はヘモグロビンのβ鎖*2のアミノ酸配列を指定する遺伝子である。β鎖を構成する146個のアミノ酸のうち、6番目のグルタミン酸を指定するDNA上の塩基配列GAGが、バリンを指定するGTGになっている。これにより、重度の貧血になるほか、脾臓や腎臓、肝臓などの臓器に損傷を与える。
A(アデニン)がT(チミン)に置き換わるだけで重度の貧血症になる!?
通常のヘモグロビンβ鎖の遺伝子とは1箇所だけ塩基配列が異なった遺伝子が、この病気の原因であることは間違いない。しかし問題は、この遺伝子が貧血症の情報を担うと言ってよいかどうかということである。
この塩基配列の暗号から、赤血球の破壊や重度の貧血症、血流障害、疼痛発作、脾臓や腎臓、肝臓などの損傷などの様々な症状は、決して読み取れないだろう。そして、そもそも「鎌形赤血球症」という病気の内実はこれら症状の総体につけられた名前に他ならないのだから、遺伝子は「鎌形赤血球症という病気の情報を担う」とは言えない。
塩基配列GTGが、貧血や様々な症状を引き起こす(病気の情報を担っている)と言えるのかどうか。
(ちょっと違うかもしれないが、SARS-CoV-2が、肺炎等さまざまな症状を引き起こす情報を担っているのか?)
情報読み取りの限界
「いや、遺伝子の塩基配列からそれがいかなる形質を担うかが予想できる」との反論があるかもしれない。第1章で取り上げたように、未知の遺伝子の機能を、それと類似した塩基配列のパターンを持った遺伝子の機能から推定することは「相同性検索」と言い。現在さかんに進められている遺伝子の機能推定作業(ゲノム・アノテーション)における主要な技法である。
相同性検索については、「ポスト・ゲノム時代 合成生物学 人工生命」(2018/11/3) 参照。
しかしこうした方法は、ヒューリスティック(発見の技法)としては有効であるが、「遺伝情報の読み取り」と言えるほどの精度は持っていない*3というのが妥当な評価であろう。…つまり、その遺伝子が本当にその機能をはたしているかどうかを確定するためには、データベースを離れ、いちいち実験なり試験なりをしてみる必要があるということである。
本書の発行は、2011年10月なので、その後の進展はどうなのかは、確認していない。
ヘモグロビンの変異は、ここで列挙したもの(赤血球の破壊や重度の貧血症、血流障害…)のほかにも、ほとんど気づかないような、あるいは予想もしなかったような無数の結果を生じさせることであろう。
遺伝子は、何らかの形質の原因となるものではあれ、ある遺伝子からどのような結果が生じるかは多様であり、遺伝子と形質の間の関係を、情報の媒体とそこから読み取るべき情報というような形で整理することは不可能と言ってほぼ間違いない。
未だ研究途上にあるということだろう。
DNA分子としての遺伝子の側から出発して、その機能を「情報伝達」として妥当に理解できるのは、タンパク質への翻訳か、せいぜいその修飾までである。そこから先、タンパク質がさまざまな機能を発揮し、外的に観察可能な形質の形成に至る経路は、情報の伝達というよりは、因果関係の連鎖であるというべきであろう。
「タンパク質→観察可能な形質の形成」は、因果関係の連鎖である、との主張は覚えておきたい。
実際のところ、DNAの塩基配列を情報源として生産されたタンパク質が、具体的にどのような因果関係を辿って生物の形態を形成するのかという情報については、塩基配列には書き込まれていない。分子生物学によってDNAが担うとされた情報は、タンパク質のアミノ酸配列の情報、情報解読のために必要な情報、情報発現の制御に必要な情報のみである。最近多数発見されているRNA遺伝子が担うのも、情報発現の制御のための情報と考えられている。つまり、これらの情報は、どういう場合にどういう順序でどのようなタンパク質を生産するかを規定するものであって、タンパク質が具体的にどのような働きをするかといった情報は含まれていないということである。
では「タンパク質が具体的にどのような働きをするかといった情報」はどこにあるのか?
もちろん、病気などの形質[症状]を遺伝子と結びつけることは、医学的には意味がある。そのことを否定するつもりはない。…医学は病気の治療という要請にこたえることが第一義である。つまり、そもそも病気の認識は、生物学の理論上の問題というよりはむしろ、人間の日常生活上の関心からなされるものである。即ち、医学では生命を研究するにあたって、そもそも外在的な観点を出発点としているのだ。
外在的とは、「独自の論理に従っているものに対して、その論理以外の論理によって解釈しようとすること」を指すものである(p.159)。この「外在的」という言葉も覚えておきたい。
しかし、生命とは何かを理解しようという純粋に生物学的な観点に立つならば、生命の仕組みをそれ自体に即して、外在的な読み込みをできるだけ少なくしつつ理解することが必要であろう。
そうした観点からは、遺伝子から生物個体の形成へと至る具体的な因果関係のプロセスを明らかにするという、古典的な分子生物学においても進化論においても脇によけられてきた問題こそが、さしあたりは重要な課題となってくる。
進化論に欠落するものー「遺伝子から生物個体の形成へと至る具体的な因果関係のプロセス」が解明されていないこと。
遺伝子や転写産物やタンパク質は物質であり、それらの相互作用は、本来は因果関係の連鎖である。それゆえ、「遺伝子の論理」を読み解くためには、まずはそうした因果連鎖を解きほぐしていくことが必要である。そして実際、「バイオインフォマティクス」などの名のもとに、遺伝子の発現プログラムや、細胞内での様々な物質の化学反応の経路について、その極めて複雑な有様が調べ上げられつつあり、詳細で膨大なデータが蓄積されつつある。
しかし、そうしたデータを前にして我々は「複雑すぎて意味が分からない」と思ってしまう。…しかし、複雑すぎるデータに「意味」を与える新たな理解枠組み、しかもなるべく生命そのものに即した理解枠組みが求められる。先に、「因果関係のプロセスを明らかにすることがさしあたりは重要だ」と述べたのは、因果連鎖についての具体的で詳細なデータを蓄積したうえで考え出される理解枠組みこそが、本当に重要なものだからである。
次章(機械としての生命)で、バイオインフォマティクスについて扱われるようだ。